ゆくの菜園日記

ダイエットはマイナス6キロ台をウロウロしています

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クラス会余話


《クラス会余話》高校クラス会を終えた夜、記憶が鮮明なうちにとフェイスブックの記事を書いていると携帯がなった。東京の親友からだった。
「お前、終わった後にどこへ行ったんだよ。駅でしばらく待ったけど来ないので列車で倉敷に来て一人で飲んでいるんだよ」
「何言ってるんだよ。駅裏の幹線道の信号が待っても待っても青にならず、お前たちが後を誰も振り向かずに駅へと歩いて姿が見えなくなったんだよ。腰通で杖を持ってよたよたと歩いていると、ヤスダとノブチャンが両脇に付いてくれて、やっと駅に着いたら誰もいないので、ノブチャンはタクシーで八重に帰り、ヤスダと階段をえんこらえんこらと上がって列車に乗ったんだよ」
「そんなに腰が痛かったのか?」
「みんなにもそう言ったはずだよ」
「悪かった悪かった。クラス会はお前がいつも段取りやらなんやらやってくれるから帰ってくるんだよ。帰ってきたら二人で飲むのが楽しみなんだよ」
「こっちも同じだよ」
「ところで最近ブログに記事がないのでさみしいよ。お前のブログが誰の記事よりも楽しいし懐かしいし、大好きなんだよ」
「それがね、ブログの会社が12月で閉鎖すると発表したから、大事な記事を引っ張り出してコピーしてる最中なんだよ」
「そうか、ブログ自体が無くなるのか。さみしくなるよ」
「フェイスブックを読めよ」
「フェイスブックは入るのが面倒だと聞いているのでね」
「じゃあ、12月まではフェイスブックの記事をそのままコピーしてブログに載せるよ」
「そうしてくれ。それからまたクラス会をやってくれよ。学年全体の同窓会に来てくれと言われるんだけど、学年には関心がないんだよ。クラス会だけで俺はいいんだよ」
「それもこっちと同じだよ。なんといってもずっと同じ担任と生徒だったからね」
「今度はいつごろにやってくれる?」
「今日、最後に大きな声で言っただろう。来年はフキチャンとミヨチャンが女の子二人で発起人で岡山でやってくれと口説いて決めたんだよ。岡山で来年4月だよ」
「難聴で聞き取りにくいんだよ。よく聞こえなかったんだよ」
「難聴はこっちも同じだよ。混声合唱団を辞めたよ」
延々と親友との会話が続いたのであります。
ここでなぜか鼻歌で「川岸のベンチで」のメロディが流れてきた。
”若者の瞳 明るく輝き 乙女の黒髪 そよ風にゆれる〜♪
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高校クラス会がやっと終わった。
思えば去年の秋口、9月か10月に旧友が我が町教団の会議に出席して終わった 直後にやってきて、しばらく話し込んだ最後に取り上げた話が元だった。
その頃も教団近くの親族の放棄した元旅館のゴミ出しや家具の処理はしていたんだが、今年の2月からの旧店舗付き家屋の解体話が一気に進んで、ゴミと不用品の処分と家具などの移転に期日が決まり、慌てて処理作業を行い腰を痛めてしまった。
最悪の時は約1週間寝たきりで過ごしたんだが、下手をするとクラス会に出られなくなる恐れもあった。
座薬と痛み止めの飲み薬と整形医院のリハビリを続けて、何とか出られそうになった。
一方出欠回答は出席が予定の15名を超えて16名になったが、当日直前に2名が欠席との電話が入り、男子6名女子8名の14名が確定した。
予定時間を迎えて代表が挨拶して和やかに懇親会が行われたが、一人の女子が無断欠席となり13名でのクラス会となった。
私は欠席があろうとなかろうと、欠損金が出れば自分が補填すれば済むことなんで「最後まで身体が持つのか?」と自分の体調ばかりが気になっていた。
同級生がみんな心から楽しそうに歓談していたことが嬉しくて、いつもより多めにビールを飲んでいた。
クラス会のお世話は今回が最後と思っていたので、発起人を降りることを宣言して、次回は岡山で女子2名が世話を焼くことをやや強引に固めて散会した。
家に帰ってきて焼酎を少し飲んでいると携帯が鳴りだした。開くと無断欠席した女の子からだった。
「14日の日曜日だと思い込んでいたんです。さっき、同級の女子から電話があってどうして来なかったの?と詰問されて、慌ててはがきを見たんです。ごめんなさい。会費はどうすればいいの?」といったので、「ボケだしたのはみんなだよ。来年は女子に世話役を頼んでいるから、通知があったら頼むね」と言って、会費は不問とした。
そんなことも含めてこれが私たちのクラス会なんです!
この記事はついでにと焼酎を飲みながら、豆をバリバリと食べながらキーボードを叩いている。
いま「高校3年生の歌詞が口から流れてきた。
「僕らフォークダンスの手を取れば甘く匂うよ黒髪が〜♪」
何回も書いてるように高校2年でフォークダンスを覚えて以来、自由なホームルームの時間にはフォークダンスばかり踊っていたんです!
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先日前の家をごそごそとやっていて、懐かしい中学の卒業アルバムを見つけたんだが、そのときとっても嬉しくて興奮してしまい、記事に書くことが出来なかったことをやっと書き出すことが出来た。
行き着く先はさっぱり見えてないのだが、気が変わらない間に一行でも多く書いていきたい。
「嬉しくて興奮した」こととはアルバムのタイトルが、「追憶」と書かれていたためであります。
中学の授業で三宅詩子先生に教えてもらった曲で、恐らく一度唄ったか聞いた時点でグサっとえぐられた曲だったように思います。
未だに一人で居る時などにこの歌が頭に浮かんだ時は「気をつけ」の姿勢で唄ってきたスペイン民謡であります。...
高校で見たルネ・クレマン監督のフランス映画「禁じられた遊び」のギターの調べが古いスペイン民謡のロマンスと言われていて、同じくこの「追憶」もスペイン民謡と言われていて、元の音楽がスペインのどこの地方の歌かもいまだに解らずじまいの音楽に、遠く離れたジャポンの私がえぐられていることが不思議でなりません。
ついでだからとネットで追跡を始めると、元のメロディはスペインの古い民謡と記されているそうでありますが、歌のタイトルは「flee as a bird」と記されていてアメリカのメアリー・ダナ(女性)が1841年に賛美歌として発表された作品だそうです。
意味は「鳥のように自由に」とか「鳥のように逃げる」とかの意味だそうで、初代イスラエル王サウルの追っ手が迫る中で、ダビデの友人たちが「「早く逃げろ」と声を掛けるシーンだそうであります。
「主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私の魂に言うのか。「鳥のように、山へ逃げよ。それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。拠り所がこわされたら、正しい者に何ができようか。」
という詩が現れてきました。
日本では、
「星影やさしくまたたくみ空 仰ぎてさまよい木陰を行けば 葉うらのそよぎは思い出誘いて 澄みゆく心にしのばるる昔 ああ懐かしその日 さざ波かそけくささやく岸辺 すず風うれしくさまよい行けば 砕くる月影思い出誘いて 澄みゆく心にしのばるる昔ああ懐かしその日」
と唄われてきたが、「『Flee as a bird』のメロディは明治時代の日本にも輸入され、明治23年(1890年)に文部省唱歌『月見れば』として日本の音楽教科書に掲載された。
その後、昭和14年に「追憶」として「今唄われている歌詞が付けられて、音楽の教科書に掲載されて日本中に広まった。」と記されていた。
元の歌詞とは全く違うので少々戸惑いを感じてしまいます。
元の歌詞が旧約聖書の記述に依拠したのであれば、ユダヤ教に起因することであり、私には全くの門外漢であり考えるのが面倒になるばかりであります。
でも「賛美歌」であることは全面的な賛同するものであります。
改めて思うに、西洋やアメリカの音楽と日本の音楽との隔たりを実感するばかりです。
幸いにも、この歌を賛美歌で唄っている動画があったので取り込んできた。
男女の混声で歌われる動画に続いて懐かしいサッチモのトランペットで流れる音楽もありユーチューブに載っていた。
この記事の落ち着く先はどうなるのかさっぱり解らなくなってきた。
要は日本の歌「追憶」は欧米では広く賛美歌として今でも歌われたり楽器で演奏されている曲だと言うことだけは確かなようだ。
この歌を教えてくれた中学の音楽の三宅詩子先生は私の中学入学と同時に大卒の教師として始めて赴任されて4年間を過ごされた。
卒業後20年位の始めての同窓会が開かれた時、ゲストで招かれた三宅先生は懇親会になったとき、私の傍にやってきて、「ここに座らせてもらうわ」と言って隣に座られた。
先生は「ユクモトクン」と声を掛けて来られた。
「私、この中学校の同窓会に始めて参加させてもらったんだけど、みんなの顔と名簿を観てもあなたの顔と名前しか覚えてないんよ。あなたがいてくれて嬉しいわ」と言った。
私も黒い顔がパア〜っと赤くなったように感じながら「先生に教えてもらった歌はいつまでも覚えています。音楽の時間だけは真面目な優等生でしたから」と言った記憶がある。
「あなたがボーイソプラノから掠れた声になり、低い声になってしまったときは悲しかったわ」と言われた。
中学では先生から「無理に声を出したらだめよ」と諌めてくれていた。
私も先生との再会が嬉しくてならず、最後まで立ち上がって同級生の間を歩くことなく、三宅先生とずっと話をして過ごした。
中学で覚えて未だに唄っている曲は「追憶」を始め、「帰れソレントへ」「流浪の民」や「ドナウ川のさざなみ」や「秋の夜は」や「家路」「埴生の宿」「菩提樹」「金髪のジェニー」「オールドブラックジョー」とか世界の歌を沢山教えてもらっていたが、少しづつ記憶から消されつつあるようにも思えるのが残念です。
先日見つけ出した中学のアルバムを眺めながら、同級生の女の子の中に好きな女子もいたんだが、三宅先生が一番好きだったのかなと思った。
先生が私の初恋でありマドンナだったのかもしれない。
私には三宅先生なしの「追憶」は無かったのだ!
いや、三宅先生あっての「追憶」だったのだ!!
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Lyrics: Flee as a bird to your mountain, Thou who art weary of sin; Go to the clear flowing fountain, Where you may wash and be…
youtube.com
高校音楽部のKU先輩が10月になればと言っていた2回目の「打ち合わせ」がまだ出来ないでいる。
一番の眼目は参加者が10人を超えるか否かになっている。
往復ハガキの原稿は出来ているんだが、もし10人以下になると送迎バスが出ないので、各自でバラバラに会場に行くか、電車で乗り合わせて最寄の駅からタクシーで行くしかないことになる。
そこらをどう判断して、最終的な方針をどう立てるかが最大の課題になっている。

先輩はグランドゴルフグループとかいろんな組織の役員をしていて、毎日目が回りそうだと話していたが、忘れているかも知れないので催促してみよう!

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先日、中学高校の旧友からもらった猪肉。
彼が今年の1月に仕留めた100キロを超える大物だったそうだ。
脂がたっぷりとついているので食べるのが楽しみだ。
今年も猪猟の解禁が近いので、連日猟銃を磨いたり何やらで準備に忙しそうだ。
「今年も獲るけえ、待っとけえよ」と話してくれたが、歳も歳なので怪我をしないことを願っている。
                             
                               
         

中学同窓会の余話

今年の1月に中学の同級生達とミニ同窓会を行なったのだが、会の名称は「懐かしき旧友たちとの懇親会」というタイトルを付けた。
そのミニ同窓会を終えてしばらくして、一人の発起人の女性から電話が掛かってきた。
『あの時に2次会に参加した男性たちに「カラオケ」をしようと声を掛けたら数人が「よっしゃ、いくぜ」と答えたので、少し経ってから「4月に町内のカラオケ店でやりましょう」と声を掛けたらみんな「急に言われても都合がつかん」とか「その日は都合が悪い」とケッチンを食ってガックリしていたんです。あなたはカラオケには行かないと聴いていたので声を掛けなかったのですが……』という内容だった。
女の子に恥を掻かせてはいけんと思ったので、「今度企画したらワシが行くよ」と答えると、「ほんと?」と言ったので、「ミニ同窓会でお世話になったんだからそれ位は付き合うよ」と答えて9月に女性3人と男性2人で、私には十数年ぶりにカラオケに参加したのです。
女性たちを引き回して散散に賑わせたら、件の女性が「Y君は何にしても迫力があるねえ、びっくりだわ、10月にもやりたいので協力して欲しい」と頭を下げられた。
いよいよ期日が近づいたのでこれはと思う男性二人に電話をすると二人とも、「参加させてもらう」と応えてくれた。
10月5日は女性が3人と男性が4人のカラオケ大会となりそうになった。
前月にマイクを握った歌を思い出して、次回は何を唄おうかなと考えている。
ちなみに前回に唄ったのは「あしたの虹・抱擁・青春のパラダイス・山のかなたに・おけさ唄えば」などだった。
今度は何を唄おうかな〜?
場の雰囲気を壊したらいけないので、ロシア民謡とか旧制高校の寮歌もいけないし…………
「惜春鳥・故郷の花はいつでも紅い・青春・山のけむり・柿の木阪の家、ひばりの陽気な渡り鳥」といったところかな…………
選局が難しいなあ〜

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