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《百思千考という言葉がある》
「いろんなことに想いを寄せて徹底的に考える」というのが私の解釈なんだが、そんな思考経路に入っていったきっかけは、大学を出て郷里にやむなく帰ってきて、4月の上旬に入社した製鉄所の下請けの構内荷役運搬会社での業務上災害(労災事故)に直面したことだったように思う。 そこでは親である鉄の運輸部から翌日の作業日程をいくつかの運輸会社が仕事を取り合い、トラッククレーンとトラックまたはダンプと玉掛け作業員でチームを編成してよく朝一番から業務を開始するのだが、それらの一連の編成を現場に卸して回る係をやっていた。 ある時、海が荒れ気味の中を鋼材を積んだ船が岸壁に接岸し、トラッククレーンで鋼材を釣り上げて、陸のトラックに積み替える作業が続く中で、いくつかの要因が重なり合って船が片側に大きく傾いて、鋼材が崩れて玉掛け作業員が転がり落ちた鋼材と船の壁に挟まれて死亡するという事故が起きた。 救急車を手配し会社の上層部に連絡し家族に電話を入れて事故の発生と病院名を告げて、バイクで病院に駆けつける。 しばらくして髪を振り乱した奥さんが真っ青な顔を引きつらして病院に駆け込んでくる。 「お父さん、お父さん」と泣きながら声をあげて来る。 手術室に駆け込もうとする奥さんを必死の力で止めて、「今、先生の手術を受けている。今は入ることができない。我慢できんでしょうが我慢してください」と必死になだめる。 30分か1時間して手術室のドアが開いて先生が出て来られる。 すがりつく奥さんに「奥さん、残念でした」と先生が告げる。 「おとうさん、わあ〜ん」と絶叫で泣き続ける奥さん。 何も出来ないでただ立ち尽くすだけの自分。 あの頃は製鉄所は建設の真っ最中で、ダンプ・トラック・トレーラー・トラッククレーン・マイクロバス・乗用車・軽四輪・バイクなどで構内はごった返しで構内の道路はすべて山土で穴ぼこだらけ。 雨が降れば道路は泥水が跳ね散らされ、胃がおかしくなるほどの荒れた道路だった。 そのころから業務災害(労災事故)を無くそうとの機運が上がりつつあった時代。 一か月に1人は死亡事故が発生し、重症・軽症の事故は毎日のように、広い構内のどこかで起きていた。 私が見聞きした事故も多数あったが、死亡事故ではなくても重傷事故でも、家族との連絡と応対は胸が張り裂ける辛さを体験させられた。 中学時代、いや高校時代からかな? 不条理なことへの怒りを覚えるようになって、それが大学での学生運動に没頭するきっかけになり、最初に努めた会社での相次ぐ現場の労災事故でますます高まっていったように思う。 製鉄会社の運輸部が募集した労災事故防止のスローガンに「事故の起こりそうな場所・作業を探そう」と書いた私の提案が採用された。 その提案はその時だけのスローガンであったが、それ以降の私の人生はいまだにそのスローガンの目で世の中や自分の周りや自分の町を見るようになっていった。 それは「事故」に限らず「この町をもっと良い町にするには何が大切か」とか、「あの道はこうすればもっと良くなるはずだ」とか、「この地域の特性は何か」とかがいつも頭の中を駆け巡ってきた人生になってきた。 老いぼれとなり脳が劣化してしまったが、それでも「百思千考」の理念は衰えることがないと確信している。 |

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