ここから本文です
ブログ始めました!
一冊で一つの話が続いているものだと思って読み進めていきましたが、全部で5編の話が入っている本でした。
1編目が本のタイトルにもなっている「イン・ザ・プール」という話です。
この話の主人公は伊良部総合病院を訪れて医者から神経科を受診するように言われます。受診をしてみると病院と同じ名前の神経科医・伊良部がおり、伊良部は太っていて癖の強い男で最初は訝しんでいましたが、有酸素運動を進められてプールに通うようになったころには彼に成果を話すことを楽しみにしていました。伊良部の積極性もあり、いつの間にかプール仲間のような関係になっていました。
しかし、妻からはプールにのめり込みすぎ、おかしいのではないか、となじられて夫婦喧嘩になってしまいました。その上、仕事のストレスが溜まってしまい、伊良部の悪い企み、夜通しプールで泳ごうという計画にのってしまいます。
窓からプールに侵入を試みましたが、伊良部の身体がつかえてしまい人に見つかるのではないかとヒヤヒヤ。機転をきかせてなんとか人に見つかることなく伊良部を助け、その場から逃げることができました。
プール依存症はその事件のおかげかなくなってしまい、妻とも仲直りをするきっかけとなりました。
身体に良いとされていることでも、アスリートでもない限りある時点を超えてしまうと本人以外には異常ととらえられてしまいます。それをどのようにして本人に拒否をされず治すのか。伊良部のような普通ではない感性の人間を目の当たりにすることで普通の感覚に戻ったように感じました。
この話の後に続く4編も最初は取っ付きにくいものですが、読み進めていくにつれて伊良部は実は名医なのでは、と思ってしまうものでした。

この記事に

最近本を読む時は文庫本ばかりなので、ハードカバーというだけで読むのが大変だと思ってしまいました。
タイトルから豊臣秀吉を連想して、「戦国時代とどう絡んでくるんだろう」と本を開きました。

創業家とその家系ではないが社長になった人物との立場の対立構造をメインとして話は進みます。
フィクションと謳われてはいますが、読む人が読めば話の元となった実際の人物が特定でき、そもそも会社名も文字ってはいますがどう考えてもトヨタ自動車の話と分かります。
世界に名だたる起業であればブラックな面はいくらでもあり、それらは隠されているだけなのだと少し怖くなりました。
物語を締めくくる最終章では、水素自動車を主流にしてみせるという会見の場面をシニカルに描写してあり経営陣の理想と現実の剥離が表されていました。
大企業の世間には出るはずもない話が小説の名の元に世の中に出され、無言の圧力で他の作品のように大きく取り上げられることがなかったのに評判になったのは仕方がないと感じる内容でした。
最終ページの「登場する組織や人物はすべてフィクションであり、実在の組織や人物とは関係ありません」という一文が読み終わったあと笑いを誘いました。
個人的には完全なフィクションもののほうが好きなのですが、たまにはこのような作品を読むのも面白いなと感じました。

この記事に

友情/武者小路実篤

武者小路実篤は学生の頃に教科書や資料集で名前を見ただけで、どんな作品をのこしている人なのかは知りませんでした。
作者の名前から堅苦しい内容の小説かと思っていましたが、作品のタイトルはシンプルなもの。
タイトルのように話の中身もシンプルな友情ものなのかと思いながら読み進めていくと、話が進むにつれ雲行きが怪しくなっていくものでした。

時代背景のせいもありますが、現代なら社会人の年齢の男性が16歳ならまだ安心だ、とまだ子供な女性に自分の理想を押し付けて2人の未来を勝手に夢見てるのには少し引いてしまいました。
そんな主人公と対照的に、友人である大宮は主人公より大人なだけあり、自分を信頼している友人のために本音を隠し、身を引こうと海外にいってしまいました。
そんな彼を手紙で説き伏せ、海外にまでいってしまう杉子はとても情熱的で当時の女性らしからぬ行動力で描かれているな、と感じました。
主人公であるにも関わらず、最初から惹かれあっていた大宮と杉子からすると第三者になってしまう彼には最後には同情の念を持ってしまいました。
失恋して、友をなくし、さらにその内容を雑誌にまで書かれて、このあと彼が仕事で大成しなければ可哀想すぎではないでしょうか。
彼の涙と嘆きで作品は終わっており、読み終えたあとは虚しさが残りました。

この記事に

本書の主人公、ユーグ・ヴィアーヌは妻を亡くした後も悲しみから抜け出すことができない生活を送っていました。
家族が自分よりも先にいなくなってしまう無念さを感じている人物が出てくる物語はいくつもありますが、この作品にはキリスト教が深く関わってきます。

ユーグ自身もそうですが、熱心な信者である家政婦のバルブは主人であるユーグにもキリスト教の教えを説きます。
話の舞台は風紀のきびしいカトリックの町なため、ユーグと、妻によく似た踊り子のジャーヌ・スコットは町の人々から徐々に変わった目で見られていくようになります。

ユーグは妻の遺髪を触れないほど神聖なものとして何年も大切に扱っていました。
それほど忘れられない妻によく似たジャーヌを偶然見つけて、彼は彼女を追う足を止めることができませんでした。

彼女を見つけ、話をし、彼女の家に通い…流れだけをみればそんなに違和感はありませんが、ユーグはジャーヌ本人ではなく亡くなった妻を彼女越しに見ていただけでした。
髪は妻の髪色と同じままに染め続けることを要求し、性格や行動も妻と比べ、どうやったらジャーヌが妻に重なるかを考えていました。

中でもそれが顕著だったのが、妻が着ていた古い仕立ての洋服をジャーヌに着せようとしていた場面です。
まだ真相を知らないバルブの「埋葬から一週間以内に売ってしまわないなら、生きているかぎり大切に保存しておかねばならない」という発言はとても印象的でした。
洋服のプレゼントを一度は喜んだジャーヌですが、案の定、生地が良くても時代遅れの洋服に難癖をつけました。
状況が面白くなり、おどけながら妻の洋服を着たジャーヌですが、ユーグは彼女の態度を見て馬鹿なことをしたと後悔しました。

ユーグとジャーヌの関係を人から聞き、自宅に彼女が来ることに抗議をした結果、長く家政婦として働いたバルブが解雇される流れは避けられるものではありませんでした。
この選択肢を選んだために、ユーグが妻の遺髪をもてあそんだジャーヌ妻をその遺髪で殺害してしまう悲劇で物語は幕を閉じてしまいました。

ユーグの妻に対する愛情は純粋で真っ直ぐなようにみえて、実はねじ曲がったものだと感じました。
そのため彼はあんなにも大切に思っていた「妻」を2度失うこととなりました。

読後感が良いとは言えない物語でしたが、宗教観や愛情の形が独特で面白い作品でした。

この記事に

「直接会うのが駄目やったら、せめて電話だけでもどうかな。」

目次ページに載っている章のタイトルにどんな内容の話なのだろうと気になりました。

レインツリーの国は物語の中で重要な役目を果たすブログのタイトルで、ひとみという女性がそのブログの管理人でした。

ある本の感想から始まるこの物語は、ひとみという女性と伸之の、その本についてのそれぞれの思いから個人のやりとりへと繋がっていきます。

やりとりをしていく中で管理人に実際に会いたいと思った伸之は、消極的なひとみをなんとか誘い、雨空の中で会うことになりました。

嬉しかったはずの出会いは、映画館での彼女の態度やエレベーターでの行動で伸之の機嫌を損ねてしまいました。
しかし、それには理由があり、ひとみは聴覚障害をもち、野暮ったく見える長い髪で覆った耳には補聴器をつけていました。
彼女達からそのことを言われ、それに気がついたのはひとみを傷つけた後でした。

たしかに彼女の行動は違和感を覚えるものでしたが、伸之の責め方はあまりにも酷いと感じました。
彼女に謝る内容の長いメッセージを送っていましたが、その内容もあまりにも自分本位な謝罪でした。

視点は伸之からひとみにかわり、彼女の心情が綴られていきます。
「何の引け目も衒い(てらい)もなく好意をぶつけてくることが、却って(かえって)ひとみに耳のハンデを改めて突きつけずにはいない。」という文章が障害をもつ人と健常者のどうしても埋められない溝を表していました。

また「聞く」と「聴く」の違いには、なるほど、となりました。
ヘッドホンをしていることにも伸之は何の気なしに偏見を持っていて、これもひとみには頭に来て当然な内容だと感じました。

お互いの本音を話し合い、時間をかけて本当の意味での交流を重ねていき、彼らは交際を始めました。

障害者と健常者というシビアな題材を扱っている作品でしたが、関西弁を交えていて暗くなりすぎず、さらっと読める文章でした。
タイトルだけ知っている図書館戦争の著者だと知って、そちらの作品も読んで見たいと感じました。

この記事に

開くトラックバック(0)

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事