化学物質に過敏。食材はEM育ち。 ∞いのちはつながっている∞

■6000ベクレルを越える放射線量もEM使用で、検出限界値以下■心臓は1%機能しなくなっただけで25%が機能不全に

●甦れ!食と健康と地球環境

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「Digital New Deal:デジタルニューディール(大学発ベンチャー起業支援サイト)」から、比嘉照夫教授の『甦れ!食と健康と地球環境』が、よりよく活用されることを願って、お届けします。
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第26回 EM技術による食品の保蔵と品質の向上



 前回にEM技術の立脚点は、従来のエントロピーの概念とは逆の対極にあるシントロピー(蘇生)の系に位置し、この法則は、地球の蘇生的進化に合致したもので、地球の進化を支えた微生物の応用技術であることを紹介した。

 エントロピーの法則に支配されている従来の科学からすれば、「信じ難く、許せない暴挙であり、オカルトやマジカル的なことを、いかにも科学的、らしき説明をして、世の中を混乱させているエセ科学である。」として、非常識な科学者から、一方的に激しいバッシングに合っている。

 常識的なことを言えば、ある現象や発見が万人が認めるような法則性の成立が科学にいたるプロセスである。そのためには、再現性の検証は必要不可欠な条件である。この場合、数学的、物理化学的に説明のつく非生命の世界は、デジタルの分野に属するため、必ず答えがあり、検証できるようになっている。

 それに対し、生命の世界は、増殖や環境条件によって過去は消滅し、外部の条件によって、全く逆のことが次々と起ってくる。ゲノム(DNA、RNA)サイエンスの立場からは、その因果関係を明らかにすることも可能であるが、その結果を応用することは、極めて限られたものである。個のレベルでもこのような超複雑系であり、それが集団となり、また、種が異なり、生態系のレベルになると、ある共同体の意志が働いているような現象も現れてくる。

 その中で起こっていることは、相互作用を高度にし、より複雑化したアナログの世界である。

 科学の検証で最も重要なことは再現性である。再現性がなく、特定の人にしか出来ないとか、特定の人にしか理解できないことは、科学以前の話である。理論はどうであれ、再現性があれば、万人の理解することとなり、そのプロセスの中で理論が完成すると最終的には科学(万人が認める法則)となる。

 これまで紹介したように、EM技術は再現性があり、小学校の子供や高齢者や障害者が行っても、最終的には類似の成果を得ることができ、極めて優れた再現性を持っている。この作用は、生命体、非生命体に限らず、すべての分野で応用できるため、その法則性の説明のために、確認されたのが、抗酸化作用と非イオン化作用と触媒的にエネルギーを賦与する三次元の波動の存在である。

 EMを非難する科学者は、科学のルールである再現性の検証を行った者は皆無である。その上、当方が、いつでも公開討論に応じるといっても、こんなことは科学の常識ではあり得ないとして、否定するエセ科学者がいたるところに溢れており、日本の科学技術の将来にブレーキになりかねない状況がある。EM技術が一般に広く理解される理論となるには、更に時間が必要であるが、今回は食品の分野における応用事例を紹介したい。

 食料の自給率を高めることは、我が国の重要な課題である。一般的には生産を増やせば問題が解決されるように考えがちであるが、収穫された農産物の30%は消費にまわらず棄損されている実態が理解されてない。

 先ず収穫された農産物の20〜30%は規格外で廃棄される。更に流通や保蔵の過程で20〜30%が劣化し食料とならず、家畜のエサまたは食品加工原料となる。残りの40〜60%の中の25〜30%がレストラン、スーパー、コンビニ等や家庭の冷蔵庫で期限切れとなり、生ごみとなり廃棄されている。その対策のために、食品リサイクル法や種々のバイオマス推進事業が行われているが、家庭から出る生ごみのリサイクルを含め、この問題に根本からメスを入れない限り、食の問題の解決は困難である。

 無農薬の農産物であれば、規格外のものはすべて、加工用または飼料にすることが容易であるが、従来の技術では、2級の材料からは2級以下の製品しか生まれないのが常識である。この加工のプロセスで、純度の高いプロバイオティック用のEMを活用すると、機能性の高い超一級の製品に仕上げることが可能である。輸送や保蔵中に劣化する農産物は同様な方法で、高品質の加工品や飼料にすることも容易である。また、生ごみを含め、食品廃棄物のすべてを飼料化することも、コスト的に問題をかかえることなく解決が可能である。

 この程度のことであれば、何もEM技術でなくても、という声も無きにしもあらずであるが、食品廃棄物には、驚嘆する程の賞味期限切れの食品が山を成している。家庭内でも賞味期限が切れると、消費期限でもないのに、惜しげもなく続々と生ごみとなっている。食の安全感覚が過敏になり、内容的には全く変わらないのに、期日が過ぎると、まるで毒物に変わったかのような錯覚にとらわれて、大騒ぎとなる。

 売れ残った商品を回収し、賞味期限のラベルを貼り直し、再販することは、食品安全法が出来るまで当り前に行なわれ、被害者が発生する事例は、極めて、まれな状況であった。また、製造物責任法によって、商品に責任を持てる期間を明記することが義務付けされていることから、出来るだけ表記を短くし、絶対に責任を追及されないような説明に徹している。名産のおみやげをもらっても、数日で、賞味期限が終ってしまい、その期日を過ぎたものを口にするのは、まるで毒を食べるような勇気が必要な人々が累々である。

 生ものは、その加工のプロセスで、EMから作られた抗酸化物質の処理により、賞味期限を2〜3倍に延ばすことが可能である。殺菌処理された密封保存の場合も、賞味または消費期限をこれまでの2〜3倍にすることも容易となる。また容器にEMの触媒波動を持たせるようにすれば、保存期間は更に長期化することができ、保蔵庫をすべてEM仕様にすれば、電気量は30%以上も節減になる。その上、物によっては、長期に保蔵するほど熟成が進み、良質な発酵食品と同じプロセスをたどることもでき、長期に寝かせたウイスキーやワインなみの扱いも可能である。

 食品の保存には、酸化防止剤のビタミンCなども活用されるようになり、一見すると一石二鳥的な添加剤もある。食品添加物は日進月歩で、中には、かなり優れたものもあるが、その殆んどが酸化すると、健康に良くないものに早変りするものばかりである。我が国の食品添加物は世界断トツで米国の3倍以上、英国の18倍以上となっており、他国で禁止になっているものがかなり、使われている。

 それに相応し、1人当りの食品添加物の摂取量は年間25kg以上となっており、世界断トツである。食品添加物の健康への影響は、一般の、急性や慢性毒性ではチェックできないものも多く、人間の一生は、テストのレベルよりもはるかに長く、自然物以外の化学物質は人体、に濃縮されやすい仕組となっている。

 アルツハイマーやパーキンソン等々の高齢者の難病の大半は、化学物質汚染も大きな原因と目されるようになってきた。農薬や化学肥料で汚染された農産物に、疑わしき食品添加物、合成洗剤や合成的に作られた医薬品の大半は、国民病となり始めた高齢者の難病の原因とする疫学的研究も出始めている。

 EM技術は、いずれの分野においても、その代替技術となり得るもので、食と健康という観点から様々な応用が試みられ、殆んどの分野で満足すべき結果が得られるようになってきた。

第25回 EM技術の立脚美


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第25回 EM技術の立脚美



 これまで、環境や一次産業、すなわち、食の生産の場におけるEMの活用事例の紹介と、EM技術を活用した場合の未来像について紹介した。本シリーズの冒頭でも述べたように、EM運動の目的は自己責任と社会貢献を基軸に幸福度の高い社会作りにある。そのためには、環境はもとより、すべてのものがスパイラル的な循環によって蘇生化され、健康であるという自然の進化にかなった流れを構造化する必要がある。

 現在の科学技術の大半はエントロピーの法則に従っている。この法則の範囲内にある成果物は、時間とともにエネルギーを失い、秩序が失われ、弱体化し、バラバラになって、汚染になるという運命をたどることになる。大気の20%以上も酸素で占められている地球環境では必然的なものといえるが、現代技術の大半が酸化すなわち、劣化との戦いであり、機能性の向上の基本的条件ともなっている。

EMの本質的な効果は抗酸化作用と非イオン作用と触媒的にエネルギーを賦与する三次元の波動の作用によるものである。この作用は生命体、非生命体、有機、無機、有害化学物質や放射性物質はもとより、すべての物質に例外なく現れ、時間の経過とともに蘇生的な現象が明確に現れてくる。

 エントロピーの法則に従った科学教の熱烈なる信者は、この現象をマジカルとかオカルトというレッテルを貼って激しく攻撃する習性がある。すなわち、科学の常識に反する非科学的という理由である。常識的に考えると地球の進化はエントロピーとは全く逆の蘇生的なものであり、私は、その現象をシントロピー(蘇生)と称し、エントロピーの対極にある概念として位置付けている。

 かつての地球は高温で放射能が多量にあり、CO2、メタン、硫化水素、アンモニアだらけの高温の星であったとされている。これらの有害物質が経時的に変化し、地球の水や大気の構成物質と太陽のエネルギーを固定する有機物質の基材になっている。この状態は、言ってみればエントロピーの極限状態であり、今の人間の側からすれば汚染の極みである。

 このような地球を現在のように人間が住めるようにクリーンにし、蘇生化したのは光合成細菌のような耐熱性の高い嫌気性の微生物群の働きと植物への進化によるものである。このような微生物群は、かつては化学合成菌として扱われたが、最近では、極限な条件に生存するものは、極限微生物と称されるものになっている。すなわち、最適増殖温度が100℃以上の微生物や、放射能のエネルギーを活用する微生物や数万気圧に耐える微生物等が次々と確認され、今では溶岩の中にも微生物が存在するという報告もある。

 EMの中心的役割を果たしている嫌気性の光合成細菌を粘土に十分になじんだ状態にし、1200℃でセラミックス化しても、その情報は保持される為、そのセラミックスから光合成細菌を再び取り出すことが可能である。学会で発表しても何らかの間違いではないかと一笑に伏され、もし間違いであるなら実験方法の間違いを指摘してくれと反論すると実験方法に間違いはないがにわかに信じることは出来ないで終ったのである。

 追試すればすぐわかることであるが、こんなことは絶対にあり得ないとして科学の常識である追試もせずに、オカルト、マジカル、エセ科学のレッテルを貼りっぱなしである。海外ではかなりの数の研究者が追試実験を行ない、1200℃で焼成されたEMセラミックスから光合成細菌を復活させており、その結果「思想が変わった」とか、「DrHigaの言うことはすべて信じる」という学者も増えつつあるが依然として少数派である。

 嫌気的で耐熱性の光合成細菌に限らず、合成機能を有する極限微生物は、CO2やメタン、アンモニア、硫化水素が大好きである。その排泄物が酸素であり、水であり、窒素であり、イオウであり、炭素である。また、それらの代謝産物は様々な形で地下資源として固定化され、その結果、地球の浄化は蘇生的に進行し、高等生物が住める現在のような姿にまで進化したと考えない限り、エントロピーの極限にあった地球が今のように秩序を保持するに至ったプロセスは説明不可能である。

 科学教の狂信者にあいそを尽かした私は、独自の活動を展開することになったが、今ではEMの万能性について、かなりの賛同者が得られ、様々な分野に幅広く活用されるようになってきた。これまで主に環境や一次産業の分野の事例について紹介してきたが、EM技術の更なる社会化には、現在の科学技術の立脚点の確認が必要である。

 エントロピーの法則に従う現在の科学技術は、基本的には資源消費型の汚染放出技術であり、加工や工作のレベルのものが大半を占めており、本当の意味で創造的なものは例外的存在である。その見分け方は、極めて簡単で、活用の結果汚染を放出するものは、すべて、加工や工作のレベルのものでクリエイティブでないという判断である。

 地球の環境問題や人間の健康問題も、すべて汚染の程度で決まってくることは改めて述べるまでもない。太陽電池を基点に電気自動車または水素エンジン等のように汚染を排出しない技術は、創造的な技術と言えるものであるが、健康という観点から見れば、有害な電磁波を大量に放出するという構造的な泣き所をかかえている。

 電磁波や静電気は、電気や機会の動力を活用した結果のゴミとして理解することが可能であり、波動汚染として様々な問題を引き起こしている。過敏症の人に限らず免疫力の低下に著しく作用することも明らかとなり、新しいタイプの汚染となり始めている。

 太陽をエネルギー源とする技術革新は工学分野はもとよりCO2を資源化するバイオマスや、微生物による油の生産など新局面を迎えつつあり、この成果は、これまでの資源や環境問題を解決する力があるといえるが、まだ緒についたばかりである。

 原子力発電もCO2を出さないという観点からすれば、それなりの評価が可能であるが排出される汚染を安全な方法でエネルギー化できるようになるまでは、不完全技術の域を脱することは不可能である。今や地球は寒冷期に向かっているという説が有力であり、CO2温暖化は科学的スキャンダルになり始めている。環境問題イコールCO2による温暖仮説も嘘となった場合の科学教の狂信者はどのような反応をするか楽しみである。

 要するに、現在の科学技術は、地球の進化過程で固定化された資源を使い汚染を放出し、地球の進化の逆方向をたどっているだけである。環境汚染問題はそのために起こったものであり、根本的な解決は発生した汚染を地球の進化と同じ方向性で処理する必要がある。

 すなわち、EMの主役である光合成細菌のような超能力的な力を有する多様な極限微生物を活用し、汚染物質にエネルギーを賦与し正常化し、再資源化したり、汚染エネルギーを有用なエネルギーに転換する技術の確立である。

 改めて述べるまでもなく、EM技術は地球の進化の原点となった抗酸化、非イオン、三次元の触媒的なエネルギー賦与能力を持った微生物の応用技術である。この技術は劣化したあらゆる材料も蘇生させる力をもっている。すなわち、エントロピーの法則(滅亡の法則)とは逆のシントロピー(蘇生の法則)への大転換である。次回からは、その応用事例を紹介したい。


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第24回 食と健康、環境を守る農業の未来像(4)



 前回までに農業は構造的に負の含み資産を増大させ、いつの間にか「国の荷物」になった経緯を説明した。原因が構造的であれば、根本的なリストラが必要である。

 そのためには、農地の利用率を高め、生産部門では、これまで述べたような超多収で高品質の限界突破(ブレイクスルー)を実行し、食料の自給率を高め、高度なバイオマス産業を展開し、高品質の農産物を輸出商品とし、農村を未来型の観光資源として発展させる必要がある。同時に高齢者や社会的弱者を受け入れ、生きがいを与える巨大な社会福祉的なセーフティネットに再構築するとともに、環境や健康や水産振興に対する役割を評価し、「農が国の基」になるように再構築せねばならないのである。

 現在の「食料、農業、農村基本法」は諸悪の根源となった旧農地法よりは、かなり進歩したものであり、企業の農業への参入や新規就農の門戸を開いているが、更に強力に農地の利用率を高める施策が必要である。日本の耕作放棄地は約38万ha(2005)現在では40万haは越える状況になっている。この面積は埼玉県よりも広く、日本の全農地の8%以上、限りなく10%に近づいている。

 リーマンショック以来、企業の農業参入や就農人口は増えつつあるが、その大半は期待はずれとなっている。その上、既存の農家に後継者がない場合が多く、就農人口は減り続けている。一方、就農したいが農地が手に入らない農学部や農業高校の卒業生はもとより、農業をしたいという人々は無数におり、その人々を受け入れるだけでも、農村を活性化することも可能である。

 それを現実のものにするためには、様々な法的整備と技術的なトレーニングと生産物の販路や所得保障的な解決策が必要である。例えば、3年以上耕作を放棄した場合は、その土地の利用権を失う制度を作り、所有権は、そのままにし、固定資産税は利用者が払うようにする。また、所有者が農地を活用したい場合は条件によっては3〜5年で戻るようにする等々の農地の利用を流動化し、利用率を高める法的措置が必要である。

 話し合い次第では、現在の法律でも、このレベルであれば、実行は可能であるが、現存する技術的なトレーニングや販路や所得保障的な解決策では、限界がある。そのためには、現在の農業のマイナスの含み資産をプラスの含み資産に転換する以外に方法はないと考えるべきである。この要は、これまで、くどいように強調してきた化学肥料や化学合成農薬を使用しない高度な自然農法や有機農業に転換することであり、一次産業のすべてにわたって化学合成物質(医獣薬を含め)の使用を全面的に禁止することである。

 これまで述べたように、EM技術は耕種農業はもとより、畜産、水産、林業などあらゆる分野で、安全で快適、低コストで多収・高品質で持続可能な技術であり、25年以上の実績がある。国内では、名桜大学やEM研究機構の協力によって北海道の三笠市をはじめ、かなりの数の市町村がEMモデルタウン推進事業に取り組み始めている。

 すでに、注目すべき数々の成果が上がっており、後、数年もすれば、国全体に広げられる普及モデルになるものと考えている。ポイントは大量のEM活性液を安価に供給し、水や空気の如く使うつもりでやれば、数年で転換が可能となる。予算的にみると、現在の有機物等のバイオマス、リサイクル法に関する助成金と有機農業推進法にかかわる助成金でも、かなりのレベルの対応が可能であるが、下水処理や地域の環境保全や自然資源の回復等を視野に入れた総合的なものにする必要がある。

 機能性の高い(健康に良い)農産物は、従来の農産物とは異なる新商品である。現状のままでも、海外で品質の良い日本の農作物は好評で、一次商品全体で4年前の輸出総額は7000億円を越え、限りなく1兆円に近づく、輸出力を持っている。

 このようなことを話すと、700億円の間違いではないかとの誤解もあるが、これまで述べたように、EM技術で根本的に日本の農業を改革すれば、食料の自給率は100%一次産品の輸出総額は10兆円以上になると考えている。

 10兆円といえば、今の農業の総生産額である。耕種部門では、それなりに理解できるが畜産のエサの問題はどうなるかという話が出て、飼料の自給は、絶対に不可能という結論になる。

 この場合も、飼料の供給システムと畜産廃棄物の高度利用と耕種部門と連動させれば解決は比較的容易である。すなわち、EMで栽培した無農薬のワラや農作物の残渣をEMで発酵処理すれば、極めて良質な粗飼料となる。EM技術であれば、飼料用の超多収の米や、トウモロコシを更に20〜30%増収でき、秋〜春の水田牧草も戦力となる。その上、EMで飼育した家畜の糞尿は超一級の有機肥料となる。

 更に、畜産を振興するのであれば、生ごみの飼料化、農水、畜産加工場の廃棄物や飼料化も容易である。また、雑木林や竹林、間抜材や道路や公園管理から出てくる植物残渣も細断しミネラルを添加しEMで発酵すればキノコの生産にも活用でき、その残渣も含め、すべてが良質の粗飼料になる。その結果、我が国の広大な山林も濃密なキノコ資源や牧場と化することも容易となる。

 また、EMを注入した木材は、白蟻の被害も全くなく、耐久性が数倍も強化される特徴がある。同時に、木材の機能性が向上するため、化学物質過敏症の対策はもとより、100〜200年の長寿命の住宅は常識となり住む人の健康も守る理想の建築物を作ることも可能である。この応用は、間抜材に限らず、すべての木材に可能であり、これまでのカテゴリーとは根本的に異なる新建材であり、世界中に輸出できる新産業としての潜在力を持っている。

 願わくば、山頂からEMを流せば、樹木の酸性雨の被害も激減し、CO2固定力も著しく高くなり、森林生態系は豊になり、川や海の自然資源を育て、環境全体を安定的に維持する機能的な森林と化することも可能である。

 農業におけるバイオマスといえば、メタンガスに代表されるように、後向きの対策が主流である。下水や畜産廃棄物など、元々、悪臭を発する腐敗物からメタンを取り出すことは、産業的見地からすれば、愚の骨頂である。悪臭の制御には膨大なコストがかかり、機材も錆び易く、劣化が早く、自家用ならいざ知らず、事業としては、とても採算の合うものではない。

 EM技術で悪臭を発する有害な有機物を処理すれば、極めて良質な有機肥料となる。その肥料を活用し、多収品種を栽培すれば、従来の2〜3倍もの収量すなわち、炭酸ガスを資源化することが可能となる。このようにして、得られた穀類、サトウキビ等はアルコールにもプラスチックにも、石油にかわるあらゆる分野に応用ができ、その残渣は、飼料や非木材パルプとしての活用や炭酸ガス取引枠等々の高次の展開が可能である。

 農村は、緑が多く、水もきれいで、健康にいい場所であると言う錯覚が支配的である。農薬や化学肥料など毒物を散布された農村は、健康にとっては、最悪なものである。また、農業は他の見地から判断すると、犯罪行為に近い毒物を合法的に撒布する類稀な産業である。このような場所に、エコツーリズムとか、農村観光とか銘打っているのは、サギに限りなく近いビジネスである。

 したがって、高齢者やリハビリの必要な人々を受け入れる場合は、危険な化学物質を一切使わない農村が絶対条件である。また、日本の近海漁業のダイオキシン問題は未解決のままである。EMはダイオキシンを分解する蛍光性の放射菌を好気、嫌気状態でも活性化する力がある。EMを使い続けていると底質のダイオキシンはもとより、様々な残留化学物質が分解されることも明らかとなっている。

 水産振興についてはすでに述べたが、量はもとより、質の向上も同時に解決する必要がある。水産養殖にEMを活用すれば、抗生物質を含めたすべての薬剤を止めることが可能であり、海草の復活も顕著で養殖魚は天然魚なみの高品質となる。

 これまで述べたように、EM技術で、農業に産業としての付加価値を付ければ、時間の経過とともに、地域全体がクリーンになり、環境全体を望ましい「いやしろ地」に変えることが可能となる。「いやしろ地」とは、すべてのものをいやし、生き生きとさせる聖なる地のことである。

 農村が真の意味で「いやしろ地」になれば、農村は巨大な最良の保養地となり、全国の病院をすべて合せたよりも、はるかに保健効果の高いものとなる。美しい「いやしろ地」やおいしくて健康に良い食べ物、人々が親切で滞在が長くなるほど健康になるという条件はウエルネス観光の基本である。ウエルネスとは精神的にも霊的にも心身ともに健康で幸福であるという概念を持っている。

 内需拡大が容易でない我が国の状況を考えると、高機能な一次産品の輸出と国際的ウエルネス観光は、別の次元で、日本を活性化することにつながるものである。いずれも、アナログの総合力であり、従来のデジタル的方法では歯が立たない分野である。

 日本がWTOやFTOで窮地に追い込まれるのは、農業の保護が常に念頭にあり、その圧力団体が選挙を通し、影響力を及ぼしているからである。これまで述べたように、EM技術を活用し、無化学肥料、無合成農薬にし、一次産業全体が、巨大な国家の含み資産となれば、農産物はWTOやFTOの交渉に上げる必要はなく、相手国の農産物の輸入制限や課税はこちらの意のままである。

 EM研究機構を中心に、EMに関する多数のボランティア団体の協力で、様々なモデルを作りつづけており、答はすでに出尽くしている状況にあるが、要はトップの決心次第である。
 
 


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第23回 食と健康、環境を守る農業の未来像(3)

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 前回は農水省の1、農業生産における地球温暖化対策の推進。2、有機農業の推進。3、環境保全型農業の推進。に対するEM技術の応用と農業に産業としての付加価値をつける方法を紹介した。すでに述べたように農の本質は質、量ともに食の供給に責任を持ち、積極的に環境を保全し、自然資源を育み、人々の健康を守ることにあるが、現状の化学肥料、化学合成農薬、大型機械を中心とする近代の農業技術は、全く逆のことを行っており、食料輸出国はすべて類似の方法に従っている。

 日本農業の壊滅的な不振は、農民を保護するために作られた数々の法律が、構造的な自己矛盾を引き起こし、同時に合理化された海外の安い農産物と競争を強いられているためである。 この問題の解決には、全く別の次元で当る必要があり、従来の延長線上には、いかなる合理化を行っても、お茶をにごす程度であり、事態を更に悪化させるのみである。

 倒産した企業を再建する場合、同じような手法を使っても、含み資産の少ない企業の再建は容易ではなく、いかなる努力を払っても、失敗するのが通例である。含み資産とは株の総額や現金以外の土地や建物、客の信用度、社内の人材や技術力や情報量等を含め企業の本質を支える力である。経営者のミスで、資金繰りが行き詰って倒産しても、システムを変え、その潜在力を多様化すれば、金融機関や債権者の協力が得られ、それを機会に、潜在的な不良資産や不良債権を根本から取り除くことが出来るからである。

 このような常識は、誰でも知っているが、現実の世の中のルールは、すべてデジタルである。それに対し、アナログの部分は非常時の潜在力とみなされているが、企業の実力もアナログ次第である。すなわち、デジタルとは数値化し、お金に換算できる部分であり、アナログとは普遍的な数値化は困難であるが、デジタル化すると膨大な金額になる幅広いものである。数値化できない「人の思いやりや親切や生きがい等々」はすべてアナログの属するものである。

 更に、くどく言えば、現在の資本主義は、デジタルの世界である。そのため、デジタル以外は、法に触れなければ、何をやっても勝てばいいという人間の良心に反するようなことを平気でやる人々を増産し、犯罪を含め様々な社会不安を引き起こす、負の含み資産を持っている。この負の含み資産が増えると、社会は不安定となり、人々の不幸をメシの種とする職業が繁栄することになり、資本主義、すなわち、デジタルの限界と自己矛盾が明確に現れてくる。

 ITの発達とともに、アナログ部分からデジタル部分への換算が行われ始め、裁判も次第にその様式を取り入れつつあるが、形式的には可能であっても、人間の力量や思いやりや希望や強い意志が入ると、たちまちにして不確なものとなる。

 例えば、米国で家事をすべてデジタル化、すなわち、主婦が行う労働を他の人が行って賃金を支払った場合の試算がある。その結果は、フルタイムの勤労者の80%以上、場合によっては120%に達するというものである。我が国には法的には50%が目安となっているが、この場合は単に労働の対価である。主婦の家庭管理や育児能力が高い場合は、この数値は、大きく変わるのである。例えば、省エネ技術に詳しく、物を大事に効率よく長く使ったり、日常的に、建物をていねいにメンテナンスする力があるとすべての減価償却は半分以下になる場合も多く、子供の健康や教育も母親の能力次第では、塾も病院も不要であり、社会人としての成功率も、はるかに高いものとなる。

 このような個人の能力差を含め、世の中は、デジタル化できない部分が大半を占めているにもかかわらず、デジタルの部分だけで決着を試みようとするために、様々の問題を次々と生み出している。格差社会はその象徴的なものである。この現象も、小泉改革とは無縁で、ITのスピードとデジタル化万能主義の結果、短期間に勝敗が決するために生じたものである。

 
 このような背景を十分に理解せずに、デジタル大好きな経営者が米国にならって、デジタル的能力主義を導入した会社で成功したのは、ゲーム的、ギャンブル的性格を持った虚業の分野に限られている。実業の分野においては、ことごとく失敗し、利己的で要領のいいデジタル的人間が多くなってしまい、会社はギスギスし、業績が上がらないうちに、デジタルの代表である金融ショックに打ちのめされ、生き残ったのはアナログを重視した会社のみである。

 更に、しつこく言及すると、役所は、すべてデジタルであり、デジタル人間が出世できる仕組みとなっており、実業ではなく虚業である。同時に、デジタル的人間は「科学的という宗教」が大好きである。宗教とは、常識ではあり得ない嘘を奇跡と称して信じ込ませるドグマを持っている。科学は歴史が示すように、常に過ちをおかし、常に進化し、その基軸は常にゆれ動いている。

 このような不安定なものを信じて疑わない背景には、デジタル化された教育システムとテストのせいである。その上、デジタルの世界では、100点を取れば、すべてわかったことになり、デジタル的秀才が役所に入り、出世する仕組みが出来上がっており、常識的に分かることにもデータを要求するようになる。

 その結果、自分では行動せずに、常に他人の情報を集めるようになり、データ化されていない住民の善意をすべて否定し、悪代官と化するのである。その上、問題が発生すると、活用した他人のデータのせいにする「勉強好きの無責任」ぶりを発揮し、この現象はすでに社会のDNAとなっている。

 更に、付け加えると、役所の人事異動もデジタルでマニュアル化をなぞるため、数年で配置転換が起こり、結果として前任者の責任を放免し、新しい部署で一所懸命に勉強する「勉強好きの無責任」を増幅する仕組みとなっている。この病疫は国中に蔓延し、外交を含め、あらゆる分野で素人国家となり、真のプロが育たない滅亡的な構造に陥っている。

 換言すると、デジタルの世界は、すでに答がわかっているか、必ず答が出る世界である。問題が発生するのは、常に従来のデータを越えた領域であり、アナログの重要性を無視した場合である。自然生態系や農業や人体の機能の仕組みの大部分はアナログの世界である。

 すでに述べたように、農業は生み出した富よりも、作り出したマイナスが多く、また、医学の進歩(デジタル化)が膨大な病人を作り、科学的処方に則った投薬で副作用を増幅しつつ、難病を大量に作り出している現代の医療は、国を亡ぼしかねない状況になっている。その殆んどが、科学的というデジタル教の失敗であり、犠牲者である。新インフルエンザをめぐる膨大な失態も、健康を守るという個人の責任範囲に対し、デジタル化を武器に国が介入した結果である。

 その失態に対し、誰も責任はとらず、処罰されることもなく、すべて過去のデータのせいにしているが、このようなデジタル教の膨大な無駄は、我が国を高コスト体質にしており、日本の国際競争力の低下は、構造的なものとなっている。

 農業に対する付加価値の付け方も、その潜在力(アナログ)の再評価ということになるが、その基本はあくまでも、生命や自然の理にかなった、農の本質が生み出す力を、社会全体の中に位置付け、経済的な評価を下すことから始める必要がある。

 日本の水田のはたす水源涵養や治水機能等々は、すでに評価の対象となっているが、化学肥料や化学合成農薬を使用すると、その評価は無意味である。すなわち化学肥料や化学合成農薬の引き起こす環境汚染や自然生態系の破壊は、人々の健康や水産業に対し、膨大なマイナスを生み出しているからである。

 すでに述べたように、EM技術を徹底すれば農業の生産過程で環境を積極的に浄化し、生態系を豊にし、水産業等の自然資源を大幅に回復させることが可能である。その上、食の安全と機能性による医療費の節減効果も、正しく評価すれば、今の数倍も農業を手厚く保護しても、おつりが来ることになる。

 我が国が、EM技術等々で化学肥料や化学合成農薬を全廃すれば、海外で化学肥料や化学合成農薬を使用した農産物は、全面的に輸入を禁止することも可能となる。また海外の有機農産物の輸入に対しても、その農産物は、日本の環境保全や水産振興に寄与していないため、その分にかかわる税金をかけることも可能である。

 このような手法は、WTO(世界貿易機関)の協定違反にもならず、「農は国の基」として、その本質を充分に発揮できるようになる。

 食と健康と環境を守る農業の未来像を考える場合、耕種部門の農業だけではなく畜産、水産、林業、バイオマスはもとより観光、障害者や高齢者を含む福祉、社会全体のセーフティネットとしての調節機能等も農の潜在力として評価する必要がある。

 おいしくて、体にいい食、美しい自然と合致した無農薬で生態系豊な農村は何にも変え難い保養地であり、観光地でもある。今の農薬まみれの農村は危険きわまりない汚染地帯である。かつて、農村は都市では働けない弱者や都市で失業した人々を受け入れ、必要に応じ都市の労働力を供給する機能を有し、農村全体が社会と機能を持ち、巨大なセーフティネットのバッファーゾーンとして機能する膨大な国家の含み資産であった。

 合理化、国際競争力を含め、数値のみが一人歩きして、いつの間にか悪しき資本主義に呑み込まれ、農の本質を忘れ、デジタル社会に組み込まれ、気がついてみると「農は国の荷物」になってしまったのである。

第22回 食と健康、環境を守る農業の未来像(2)
http://dndi.jp/19-higa/higa_22.php
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 前回は、食の安全性は食を生産する人の常識であり、義務であり、それをふまえた食の機能性が重要であり、農の本質を正しく評価する必要性を強調した。とは言え農業も経済行為であり、経済性が成立しなければ衰退する一方であり、その根本的な対策は農業に産業としての付加価値をつけ、その派生的な社会的貢献度も対価として評価して農業の未来を切り開く必要がある。


 農林水産省生産局農業環境対策課から出された平成22年度予算概算決定の概要は主として次の三点となっている。

1、農業生産における地球温暖化対策の推進 
2、有機農業の推進 
3、環境保全型農業の推進

となっている。
 かつての、化学肥料、農業、大型機械による環境破壊型農業から環境保全型農業への歴史的な大転換を推進しつつあり、食の安全性や地球温暖化に対する積極的な姿勢は、それなりに高く評価すべきものである。と同時に、従来の技術では、これが限界かと思われる部分も多く、EM技術を活用するとそれらの限界をことごとく突破することも可能である。


 先ずは、「農業生産における地球温暖化対策」についてである。日本の農地の大半を占める水田に関し、地球温暖化を加速する要因は大型機械を中心にする燃料と、化学肥料や農業に使われる石油由来のエネルギー、水田から派生するメタンガスである。


 EM技術を活用するとイナワラを水田に戻すだけで化学肥料や農薬を使用した従来法よりも増収することが可能であり、メタンガスの発生は、ほぼ完全に抑制することも可能である。


 群馬県伊勢崎市で水田約5haにEMを活用し、米麦二毛作を行っている兼業農家がある。10a当り年間500〜1000LのEM活性液を5〜10回に分けて水口から流入させ、イナワラやムギワラを全量水田に戻す単純な方法である。農薬や化学肥料を全く使用せず、深耕せず表層代騒を数回ていねいに行うだけで除草剤を全く使用せず、米は10俵、麦は6俵の成果を上げている。


 EMの中心的役割をはたしている光合成細菌を更に活性化すれば米は15〜20俵、麦は10俵にすることも可能であるが、現在の年間10a当り16俵という数値でも食料の自給率という観点からすれば革命的であるが、この技術の温暖化対策は、以下の通り数値化することが可能である。化学肥料農薬にかかわるCO2がゼロ、メタンガス発生の抑制による温暖化対策(一般的な水田から発生するメタンガスを算出しCO2×20〜30として換算)と一酸化二窒素の抑制量(CO2×500として換算)、および農業機械の年間省エネ等は30%以下となる筈である。


 その上に、穀類として固定されたCO2の総量を上乗せすれば膨大なCO2取引枠が生まれることになる。まさかと思われる話ではなく、現にオーストラリアのマカイ市を中心にしたEM栽培のサトウキビは、このような試算を加え、下水や製糖工場の廃棄物を高度に利用し、30〜50%の増収となっており、その増収分がCO2取引枠として認められているのである。


 EM技術がシステム的に整備されれば二毛作でなくても、秋の緑肥栽培で有機質量を増やし、EMで発酵合成型の土壌にすれば、10a当り15〜20俵という数値も困難ではない。同時に、食の安全性の観点から進めている水田のカドミウムの問題も解決するのである。


 したがって、日本のCO2を大量に排出している企業は、海外のCO2取引枠にお金を支払うことなく、国内の農業振興に大きく貢献することになり、農業も産業的に大きな付加価値をつけることになる。


 第2番目の「有機農業の推進」については、コスト的にもあらゆる面で化学肥料や化学合成農薬を使用した結果よりも、はるかに秀でた成果が多数あり、20〜30haの大規模農園においても、その成果が確認されている。この場合は、EMを活用した畜産と連動すると更に効果的である。

 牛のゲップはもとより、畜産の廃棄物から発生するメタン対策は、バイオマスの活用以外は決定的な決め手がないため、その制御は困難とされている。しかしながらEMを家畜の飲料に添加したり、飲水に混和して活用すると悪臭はもとよりメタンガスの発生を抑えることが容易であり、これもCO2取引枠として活用できる可能性がある。


 すでに述べたように水田の大半は外部から肥料を加える必要は殆んどなくなるため畜産の廃棄物をEM処理し畑作でスラリー状で活用すれば堆肥を作る必要がない。

 有機栽培の推進でネックとなっているのは堆肥にかかわるコストである。そのため規模の拡大は困難と思われているがEMを添加し悪臭の発生をおさえた液状の有機肥料の活用はこの問題を根本から解決する力がある。


 また、EMを使って堆肥化する場合でも切り返しは数回で済むため、従来の堆肥を作る労力の5分の1〜10分の1となる。その上、生ごみ等の飼料化や堆肥化も焼却処分よりもかなり安いコストで行えるようになっている。畑作における雑草や病害虫対策も除草剤や化学合成農薬を活用するよりも、はるかに勝れた方法も、すでに確立されており、要はシステム的に実行するのみである。


 第3番目の「環境保全型農業の推進」は、化学肥料を減らし、地域の未利用・低利用資源を肥料として活用することと、カドミウムの低減を目標とする土壌環境復元対策となっている。この項目で納得し難いことは、土壌環境をはじめ、河川の生態系を壊滅的に破壊している除草剤を含む化学合成農薬の低減に対する対応が欠如していることである。


 エコファーマー制度で化学合成農薬の低減は実行済みという感覚では、農業に付加価値をつけることは困難である。


 当然のことながら、EMは自然発生的な、あらゆる有機物を機能性の高い有機肥料にすることが可能であり、下水や生ごみの資源化もお手のものである。カドミウムについても、日本の基準はWHOが示した0.3ppmよりはるかにゆるく、0.5ppmとなっている。何の対策もされないまま、我が国がWHOの基準を受け入れると、かなりの米がその対象となるためにm本格的な取り組みに着手したことは喜ばしい限りであるが、化学肥料や除草剤や化学合成農薬を多用し、水田を乾燥させる現在の技術体系では、構造的にカドミウムの含量が増える仕組みとなっている。


 すなわち、土壌が化学物質で酸性化すると金属として固定されていたカドミウムはたやすく溶けてお米に吸収され、人体に入ることになる。土壌の有機物含量を高めたり、水を張りっぱなしにして還元状態を保てば、カドミウムの溶出を防ぐことが出来るが、このようなことをすると、イモチ病に弱くなり、秋落ちとなり、収量は激減しまずい米となる。


 そのため、現在の稲作は後半から田植直前まで乾田にする技術体系となっており、現実問題としては、EMの活用以外に方法はないといえる。すなわち、イモチ病の発生や秋落ちの間接的な犯人はメタンガスである。EMはメタンを糖分に転換する力があり、抗酸化力や非イオン化力を強化する力があるため、結果的にカドミウムを金属に戻し、吸収させない状態にすることが出来、水田を乾かさなくても、病害虫の発生も少なく多収高品質になる仕組を持っている。


 以上、農水省生産局農業環境対策課の施策に対するEM技術からの見地を述べたが農業に対する総合的な付加価値の付け方については次回に説明したい。

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