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その日は仕事が遅番だったので、午後からのんびりとテレビをみていた。
そろそろ着替えて出掛けようかなと思っている時、いきなり揺れた。
最初はそれほど大きいとは思わなかった。
やがて横揺れが長く激しく続き、本能的に庭へとびだした。
庭に停めてある二台の車が跳ねていた。
石灯籠が崩れ落ちた。
一瞬、もはやこれまで、と思った。
ようやく揺れが収まり、家の中へ戻ると再び揺れた。
家が壊れる、と思って、今度は母もいっしょに外へとびだした。
父はけっこう落ち着いていて、家の中の倒れたものを戻したりしていた。
そんな大きな揺れが何度かあった。
気が動転していたので、何度揺れたのか、たしかな記憶はない。
あいかわらず落ち着いている父がラジオをつけると、どうやら東北のほうで大地震が発生したらしかった。
隣の市に住む妹から、無事のメールが届いたので、こちらも無事だと返信した。
職場に電話して仕事の確認をしようとしたが、電話はまったく通じない。
しかたなく、車で職場へむかい、休校になることと仲間の無事を確認した。
最初に揺れた瞬間、母はすぐにテレビをつけたらしいが、
揺れと同時に停電したらしく、テレビはウンともスンともいわなかったそうだ。
ラジオや懐中電灯の予備の単一乾電池がなかったので、近くのコンビニへいくと、停電した店内は大混雑していた。
ものすごい数の人たちが、飲料や食品を手に長蛇の列を作っていた。
もちろん、乾電池などとうに売り切れていた。
その夜、あいかわらずの停電の中、懐中電灯をレンジの上においてキッチンを照らした。
その明かりで、なんとかありあわせの夕食をとった。
水もでないので、食器はシンクにおいたまま。
父が、物置から古い石油ストーブをひっぱり出してくれた。
こんな時のために、捨てずにとっておいたと言う。
灯油を入れてスイッチを入れると、ちゃんと作動する。
みんなでストーブとともに居間へ移動した。
その間にも余震は何度も続いていた。
ストーブが自動停止するほどの余震はなかったが、感覚的にはけっこう揺れていた。
電気のない生活がこんなに辛いとは。
ストーブをつけていても、ほかほかカーペットはもちろん使えない。
寒くて身体が痛くなりそうだった。
夜十時頃、外で何かが白く光った。
あっ!街頭が点いた!
急いで電源を入れると、テレビがついた。
家電の子機もピカッと光って電気が通ったようだ。
井戸水の蛇口をひねると、水が出た。
水道水は出なかった。
ストーブを消してヒーターをつけた。
カーペットも暖かくなった。
電気が、水が、こんなにありがたいなんて。
たった数時間の停電だったが、電気がついたとき、涙が出てきた。
翌日はスーパーもドラッグストアもコンビニも、必需品はほとんど品切れで、魚の缶詰でごはんを食べた。
営業しているだけありがたかった。
翌々日からは少しずつ買い物ができるようになった。
真空パックのおでんやお漬け物を買えた。
近所の八百屋さんが地元の野菜を豊富に揃えてくれた。
ベーカリーではぶどうパンを買えた。
妹と一緒に何件もお店をまわった甲斐があった。
あれから十日近く。
まだ余震はあるが、普通であることをこんなに感謝したことはない。
「よいことがない」なんて贅沢な言葉。
「何もない」ことが幸せなことなのだ。
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