【小杉雅之進とは?】 天保14年(1843)江戸生まれ。 15歳の時長崎海軍伝習所三期生として軍艦の蒸気機関について学び、 江戸に戻って海軍士官となる。 安政7年(1860)、遣米使節団がポーハタン号でワシントンに向かう際、 随伴艦・咸臨丸の蒸気方手伝いとして乗り込み米国に渡る。 帰国後は軍艦操練所教授方となった。 慶応3年(1867)、オランダから榎本武揚が開陽丸と共に帰国すると、 同艦乗組員となり、翌年蒸気方一等(機関長格)に昇進。 戊辰戦争中は榎本に従って蝦夷に渡る。 この時26歳、蝦夷島政権においては『江差奉行並』となる。 降伏後は弘前・最勝院に幽閉され、その間に『麦叢録』を執筆、 同時に「付図」の絵画12枚を残している。 一年程で親戚のお預かりとなり、更に二年程後に赦免される。 明治42年(1909)、67年の生涯を閉じる。 この本は小杉雅之進が執筆した箱館戦争の記録『麦叢録』と 戦闘の様子を詳細に描いた「付図」を元に、 近年発見された箱館においての旧幕軍の人物画(30枚)や戦闘図(20枚)なども交えて まとめられています。 そして最後には『麦叢録』の全文がほぼ原文のまま掲載されています。 海軍側からの記録なので、陸軍側からとはまた違った面が見れて面白いです。 特に小杉さんの描写力は素晴らしく、「付図」を見ながら読むと、 その時の情景が目に浮かぶようです。 また軍艦に乗っていることの多かった榎本さんの行動についても多く触れています。 そして詳細な戦闘図は大変貴重なものだと思います。 余談ですが、写真技術の発達していなかった時代には、 戦争において正確な絵を描くことができる、 というのは欧米では士官の絶対条件だったぐらいですから。 実際箱館戦争に参加したフランス人ブリュネも絵が上手くて、 人物画等を多数残しています。 そして一番面白いのが人物画。 漫画風でちょっとユーモラスな感じなんです。 階段から落ちる人や、酔って踊る人など、どれもコミカル。 しかもカラーなので皆が様々な色の軍服を着ていたことがわかります。 絵についての説明が一切残されていないので、 どれが誰かということはわからないそうです。 ただ榎本さんではないか、と言われている人物画がこちら ↓ 筆者は何かの匂いを嗅いでいる榎本さんだ、と書いています。 でも私は口ひげに油か何かを塗ってお手入れをしているところだと思うのですが、 どうでしょう? 土方さんらしい人物は見当たりませんでした、残念!
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ご訪問&コメントありがとうございました。この本以前から気になっていたのです。ブログを読ん絶対読まなっきゃ!!と思いました。なお7月30日 小杉雅之進の百回忌法要が函館称名寺でとりおこなわれます。その時に彼の遺品や麦叢録附図に入れなかった絵画などが展示公開されるそうです。是非行きたいけど函館は遠すぎる!
2008/7/15(火) 午後 10:17 [ - ]
美春さん>>中島登さんの描く人物は皆錦絵のようで、心から亡くなった友を悼んでいるのがわかりますね。
小杉さんの描く人物は愛嬌があって、情けないシーンばかりなので
つい笑ってしまうんですけど、
見方を変えると箱館戦争でいかに旧幕府軍が混乱していたのか
ということがわかります。
大鳥さんと同じですネ(笑)。
榎本さんが手にしているコンパクトのような物に卵白が入っているのかも(笑)?
小杉さんも土方さんについては亡くなったことぐらいしか書いてませんでした。
やはりいわゆるエリートの驀臣にしてみれば元新選組副長の存在は薄かったのでしょうか・・・。
2008/7/15(火) 午後 10:20
舞桜さん>>私もずっと新選組側からしか見てませんでしたが、
大鳥圭介の『南柯紀行』を読んで、他方向から見ることの面白さを
知りました。
まずはそこから入るのをオススメします・・・ですよね、美春さん(笑)!
土方さんが生き残っていたら・・・
意外と自分大好きなご様子の方なので(ラブレターを故郷に送ったり 笑)、
いろいろ書き残してくれたかもしれませんね〜。
でもきっと生き残るという選択肢はなかったでしょうね。
2008/7/15(火) 午後 10:29
イタチさん>>箱館戦争に限らず戊辰戦争には様々な立場の人々が参加してますから
様々な側面からの記録が残っていて面白いです。
小杉さんの残した戦闘図を見ているだけで、箱館戦争の激しさが
伝わってきます。
2008/7/15(火) 午後 10:36
ケイさん>>この本はホントお勧めですよ♪
絵を見ているだけで面白すぎます。
小杉さんの百回忌が函館で行われるんですか。
それは気になりますけど、私も遠いです〜。
麦叢録附図に入れなかった絵画というのはこの本に載っていた
近年発見されたという『戦闘画』かもしれませんね。
この本の最後に『戦闘画』は農大図書館所蔵と書いてあったので
気になってます。
私が農大の博物館で見たのは1枚だけでしたから。
でも『麦叢録』があるのは函館なんですよね・・・。
2008/7/15(火) 午後 10:47
ナデシコさん、おはようございます(^O^)小杉様の御子孫から頂いたメールによりますと、函館にある麦叢録は明治7年に出版されたものの一冊ではないかとおしゃっていました。ではオリジナルはどこに?。。。
2008/7/16(水) 午前 9:14 [ - ]
ケイさん>>オリジナルは残っているんですかね〜。
元々は親戚知人にだけ配ったもので、
その後明治7年に出版されたとのことですが、
その初めに配ったというものもどこかに存在するのでしょうね。
2008/7/16(水) 午後 5:31
この髭の雰囲気は榎本さんでしょうね。
最近視力が落ちた私は右手にお酒、口元にスルメイカを・・・
ってな感じに見えるのですが・・・。
2008/7/16(水) 午後 8:32
ホント、「人物画」を見るだけでも楽しめそうですね〜。
小杉さん、ご自身の自画像は描かなかったのでしょうか?
2008/7/16(水) 午後 9:03 [ - ]
ノーシンさん>>やはり榎本さんですよね。
口元にスルメイカだったら面白い〜(笑)。
写真が小さすぎましたからね。
2008/7/16(水) 午後 9:43
猫娘さん>>『人物画』は漫画のサザエさん風のコミカルな感じで、
こんな昔にこういった作風があったのかと驚きでした。
小杉さん自信ではないかといわれているものもありますけど
基本皆1枚目の写真同様鼻ペチャで同じ顔をしてます(笑)。
2008/7/16(水) 午後 9:49
ナデシコさん、こんばんは♪小杉雅之進はどういう理由で自分の描いた箱館戦争の記録を「麦叢録」と名付けたのか、ご存知でしたら教えてください。私は最近まで麦叢の意味を知りませんでした。
2008/7/16(水) 午後 10:49 [ - ]
ケイさん>>「麦叢」の意味、よくわからないのですが、麦畑のことですか?
それなら冒頭に「此ノ挙や初冬より起こり仲夏に終わるを以て麦叢録と題し」とあり、
ちょうど麦の種蒔き〜収穫までと同じ時期なので
自分達をそれに例え、冬に箱館に上陸し夏になって降伏した、
ということからこういう題名にしたのかなと思うのですが。
何も説明がないのでわかりませんね〜。
2008/7/17(木) 午前 8:54
2005年に手に入れた本で、懐かしいです〜!この五稜郭の
日常の様子を描いた漫画は本当に貴重な資料ですね。
この原画が「市立函館図書館」に展示されていますが、
ご覧になられましたか?(関連記事にTBさせていただきました)
2008/7/17(木) 午後 8:16
julesさん>>読破済みですか、さすが〜♪
私は残念ながら函館図書館に行けなかったので原画は見てませんが
ぜひ見てみたいですね。
色使いが綺麗そうです。
TBありがとうございます!
2008/7/17(木) 午後 10:32
さすが、ナデシコさん。なんでも知ってますね。そういうことから
麦叢になったのですね。( ..)φメモメモ ありがとうございました。
2008/7/18(金) 午後 8:25 [ - ]
ケイさん>>その一文から察しただけなので、合ってるかわかりませんけど。
一応麦の収穫時期は調べてみました(笑)。
でもなんでわざわざ麦?っていうのが私の疑問ですが、
本人にしかわからないことでしょうね。
2008/7/18(金) 午後 10:33
ナデシコさんこんにちわ♪ 一昨日「小杉雅之進が描いた〜」を手に入れました。わぉ〜 原文そのままの麦叢録!ちょっと手ごわいぞ!!ナデシコさん読破するとはスゴイ!!コツなどありましたら教えて下さい。あせらず少しづつ読みすすめようと考えていますが。。
2008/7/23(水) 午後 2:02 [ - ]
ケイさん>>ついに手に入れられたんですね!
原文私もかなり苦労しますよ。
漢文とか大嫌いだったのでレ点ぐらいしかわからないし、
かといって難しい漢字を調べることさえしないのでいい加減です(笑)。
でも前半の説明文を読んでからだと分かりやすいので大丈夫だと思います。
あとは私は原文の資料を他にもいくつか読んだことがあるので
慣れましたね〜。
あまり構えずに楽しんで読めればいいと思いますよ♪
また感想など聞かせてくださいネ!
2008/7/23(水) 午後 7:14
昔の記事にコメントごめんなさい。このページを拙ブログにリンクさせてください。
2013/7/28(日) 午前 6:48 [ washi ]