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14世紀に宮古島の西に位置する久松地区(昔は野崎村という)の南側にミノシマという村がありましたが宮古島の戦乱時に http://www.beerbreak.jp/vol51/hero.html与那覇原軍(いうさ)に住民すべてを殺害され全滅した村のひとつです、当時をしのばせるのがこの井戸のみが残っています |
歴史のこと
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宮古島にもトンネルが何箇所か有りますが、人の行きかうトンネルではなく、排水用のトンネルです、管理人も探検に出かけましたが、真っ暗なトンネルは苦手でした、 |
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懐かしい響きです、戦前戦後の時代は青年団が活躍した時代でしょうね、管理人の住まいする砂川中学校区にはうるか地区、友利地区、上区、下南地区が有りますが、写真は現在残っている下南青年会場の建物です、当時の青年達がが活躍している姿が浮かんできますね |
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1920年(大正9)の着工後、17年もの歳月をかけて1936年(昭和11)に完成した。建物には全国から集められた3万トン近くの花崗岩や大理石が使われ、延べ254万人もの人々が携わった記録されている国会議事堂に宮古産トラバーチンが使われています、産出された場所がインギャーのウガン山です、上の写真はその時運び出された桟橋跡、当時の議事堂内のカーテンは宮古上布http://www.geocities.co.jp/Milano/4258/galerie/11.htmlで飾られていたそうです |
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狩俣集落は宮古島でも古い集落ですが、いまも神秘的な集落の一つです、写真の石門は北門ですが、狩俣集落には昔3つの石門があったそうです、北門、東門、南門、現在南門はありませんが、東門はコンクリート製に作り変えられています、問題は北門です、この門は一般の人達に利用される事はありません、何でも門の向う側はあの世と繋がっているそうです、特別な日に、特別な人達しか通る事は出来ないそうです、 |







