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【 連光寺 母の墓前に 手を合わせ つねなる守に 感謝するのみ 】
(旅の記念樹…一人旅回想録)
【信州中野】
(園児たちの心)
僕は愛知県一宮市に生まれました。
家庭は貧しく、その日の糧に困るような生活が続いていました。
我が家は借金取りから逃げるように転々と引越しを重ねました。
僕が子供心に覚えているだけでも五回は引越しています。
そのためか僕には生まれ故郷に対する実感がありません。
ただ一つだけ故郷といえる場所があるとすれば、子供の頃から時おり家族で訪れた信州です。
信州は母の在所で、母は信州の中野で生まれました。
後に長野市の東隣、須坂市にて少女時代を過ごしています。
若かりし頃の母は、地元の町工場で仕事をしていました。
その後に織物の女工として愛知県一宮市に出てきたそうです。
そして父と結婚をして一男二女を得ました。
父は博打癖から多大な借金を抱えました。
そのため母は早朝より深夜まで年中休みなく機(はた)を織り続けたのです。
時おり訪れる借金取りに頭を下げて我慢に我慢を重ねながら、子供たちを育ててくれたのです。
そして僕が18歳になった時に母は家を飛び出して、僕も後を追うように家を出ました。
この辺りの事情は母の追悼記(書庫にあります)に詳しく書かれています。
『いのち消ゆる、その時まで』
http://hahanotuitouki.blog.so-net.ne.jp/
晩年の母は、名古屋の音大の女子寮の寮母をしておりました。
1995年5月29日に胃癌が原因で他界しています。
その母の遺骨を何処に埋葬するかで、僕たち姉弟は困惑してしまいました。
母は生前よく信州へ帰りたがっていましたし、離婚をして名前も旧姓に戻っていました。
だから最後には母の実家の先祖代々の墓所に帰してあげることが、最大の親孝行だと感じたのです。
こうした系図をもつ僕にとっても、まさしく信州は心の故郷になっています。
西に戸隠山・黒姫山・妙高山。(いずれも二千メートル級の山々…)
北に野尻湖・斑尾山。
東に志賀高原・菅平。
長野盆地の中央を、かの日本一長い信濃川が雄大に流れています。
かの長野オリンピックでも有名になりましたが、信州には『信濃の国』という県歌があります。
母も生前よく口づさんでおりました。
http://www.youtube.com/watch?v=torIjweSqrU
数年前、母の墓参りのために中野市の連光寺に参った折に、久しぶりに連光寺の住職にお逢いしました。
住職は僕の事を覚えていて下さったようです。
『しばらくぶりですねぇ』
…と声を掛けて下さいました。
住職は仏事に奉公される傍らで、寺院所有の幼稚園の園長を兼任しておられます。
穏和で人徳の優れた素晴らしい人です。
想えば母の骨入れの後、住職を囲んで、ささやかな宴を開いたのです。
その時に住職が次のような説話をして下さったのでした。
ある日、子供たちが…。
『園長せんせい、ちょうちょ、たすけて…』
…と泣き叫んだそうです。
住職(園長)は園児たちの元へ行ってみると…。
チョウチョが蜘蛛の巣に引っ掛かって喘いでいたのでした。
チョウチョを不憫に想い、住職は蜘蛛の巣を取り払ってチョウチョを助けてやったのだそうです。
ところが園児たちは悲しそうな顔をしたまま園長先生を見ていたといいます。
子供たちは園長先生に聞いたそうです。
『せんせい、クモはどうなるのー』
そのときに住職は内心《しまったー》と想ったそうです(笑)
子供たちにとって綺麗なチョウチョも、醜いクモも、同じ尊い命をもった生き物だったのです。
形の善し悪しで判断しがちなのが人間の性(さが)かもしれません。
しかし子供たちから容姿を超えた生命の尊さを学ばされたということです。
こうした実話を惜しげもなく住職は語って下さいました。
沢田研二/コバルトの季節の中で
http://www.youtube.com/watch?v=Zox0nAD0WS4
(秋を感じさせる想い出の一曲です)
【画像は『えすけっとくらぶ』イラスト・カット素材集より】
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