青い空の調べ

.夢失き人に夢と希望を、夢追い人に愛と勇気を・・・

イジメ

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守護霊は知っている…

誰も見ていないからといってゴミを投げ捨てる人がいる…
誰にも分からないからといって他人の物を持ち帰る人がいる…
誰も知らないからといって怠ける人がいる…

本当は 見ていないのは 分からないのは 知らないのは…
それらの行為を平気でする本人自身なのでしょう

それは大切な 人の心を見ていないだけのこと
それは正しい良し悪しの規準が分からないだけのこと
それは人の道を知らない(知ろうともしない)だけのこと

他人の目は誤魔化せても
自分の心の内部に存在する良心の目は
決して誤魔化せない(欺けない)のです

弱者をイジメる加害者たちは
自分の心(良心)を見失った人である
イジメた事実を隠蔽(いんぺい…覆い隠す事)しても
良心(守護霊)たちは一部始終を知っている

本当は隠し事など何一つ出来ないのだから
いずれは必ず自分の身に返ってくる…

これが心の法則である…

良い心は良い事柄として返ってくるし
悪い心は悪い事柄として返ってくる…

人から人へ、物事から物事へ
あらゆる姿や形を変えて
やがて自分に返ってくる…

だから心を振り返るという
自己反省が必要なんだ

悪事を行う者は自己反省が出来ないのです
自分の思いと行いを振り返り見る人は
他人の気持ちを理解しやすいが
自分の思いと行いを振り返り見ない人は
他人の痛みや苦しみを知るよしもないでしょう…

だからこそ心を無視した形だけの対策では
イジメは永久に無くなることはない…

ある青年の話…

イジメの根本原因は家庭で植え付けられる…。
これはイジメの加害者も被害者も同じであります。

人は、その人なりの個性(魂の傾向性)を心に抱いて生まれてくるのです。
そして幼児の時期に極度に圧迫されるか、無闇に放任されるかで、
心の調節が取り辛い性格を作られてしまう…。

もちろん、それを克服することも人生ではあるけれども、
人生はカルマ(悪業)を超越してプラスマイナスゼロにするだけでは誠に短い一生であるし、
それだけでは魂そのものは喜ばないのであります。







ある日、一人の青年を紹介された。
青年は極度の物怖じであった。
青年の両親は代わるがわる彼を罵った。
青年は小さな呻き声で、ささやかな反抗をしていた。

『この子は生まれた時から奥手で、自分では何もやろうとはしないんですよ…』
『まったく、こいつは、どうしようもない子で…』
『ほんとに情けない子で呆れてしまいますよ…』
『ずっと、こんな調子でブラブラしてるだけ…』

こうした話を両親は延々と続けたのでした。
でもね、僕は見逃さなかったのです。
ご両親が彼のことを罵るたびに、彼は小声で『ウン、ウ〜ン…』と唸っていたことを…。
『そうじぁない、そうではないんだ』
僕には彼の心の叫びが聞こえてきていた。



僕は彼をセミナーへと連れ出した。
その道中、彼とは夢のある話をした。
そのとき彼は、どこにでもいる普通の若者であった。

セミナー会場では、彼と班が別れてしまった。
彼の班で、彼が自己紹介をする際に、
彼は慣れない受け応えに追い込まれて、
とつぜん会場から飛び出して行った。

知らせを聞いた僕は、すぐに彼の後を追いかけて、
最寄りの駅で彼を見つけた…。
しかし、ここで彼の自由にさせてあげようと、
僕は付かず離れず距離を置いて、彼に付いて行った。

彼は名古屋駅までは何とか電車に乗って行ったが、
それから自宅に行く方法が解らなかった。
そうして2時間が過ぎて行った。
歩いては立ち止まり、しばらくそのまま殻に込もり、
また歩いては立ち止まり、また俯いたまま殻に込もった。
そうこうしているうちに彼は三人のホームレスに絡まれた。

このあたりが限界だと察して、
僕は彼を助けに行った。
そうして、これから、どうしたいのか…と、優しく聞いてみた。
彼は何も言わず、またそのまま殻に込もって30分が過ぎた…。

僕は、その場から彼のご両親に電話をして、
一部始終を話した上で彼を迎えにきてもらった。



その翌日、彼のご両親から電話があり…。
『 あの子が、ああなったのも、元を正せば全て私たち親の責任です。
あなたの昨日の話を聞いて、そのことがよく解りました。
私たちも心を入れ替えて、これから家族で、少しずつですが、
助け合って生きて行こうと思います。
ありがとうございました… 』

ご両親のザンゲだけで、すべてが解決するとは思えないが、
この家族に僕は少しばかりの希望を見たように想う…。



大切なことは、現状を裁き合うことではなくて、
その現状を受け入れた上で癒し合い支え合い、
家族が共に歩き始めることなのだから…。

ただし現状を本当に受け入れるためには、
その根本原因を知らなければならない。
現状把握とは、問題の根本原因にフタをせず、
真相を見つけ出すために行うものだから…。

本当の強さとは何だろうか…

それは腕力なのか…
・・・権力なのか…
それとも財力なのか…

人は死を迎えた時に
形態や称号は天国へは持って行けない…

けれども天国へ持って行けるものがあるとするならば
それまでに積み重ねた努力の結晶であると思う…
それは心の習慣であり
それが心の傾向性である…

よき傾向性は潜在意識となって
今世のみならず来世以降も
まるで運命の流れのように手助けしてくれる

だから決して死を急ぐ必要はない

今できる小さなことから
よき習慣をコツコツと積み重ねればよいのだから

いくら腕力が優れていても
権力や財力に恵まれていても
自分の内から溢れ出す感情を抑えきれず
いてもたってもいられない衝動に駆り立てられて
自分自身のワガママを自制できなければ
その人は感情の奴隷になりかけている…

こうした観点から見ても
イジメの加害者(イジメをする人)は
イジメの被害者(イジメをされる人)よりも
人として弱い精神を さらけ出しているということ…

人間にとっての本当の強さは
過去世・現世・来世に渡って
愛を貫いてゆかんとする
心(精神面)の強さであり
自我に対するガマン強さでもある…

かくのごとく優しさとガマン強さは別ものではなくて
あなたという人間の心の内部で
一つに融け合ったものである…

他者への愛において自制をする時に
・・・それがガマン強さとなり
他者への愛において手を差しのべる時に
・・・それが優しさとなる

どうか 強さ・弱さを誤解しないでほしい
優しさの土台にある忍耐力には
積み重ねてきた数々の苦渋が横たわっている

イジメがエスカレートすると、加害者(イジメをする人)は、被害者(イジメをされる人)自身が嫌がる行為を強要したり、人として行ってはならない言動を無理強いしたり、さらに体に直接的な痛手を負わせたり…と、まるで悪魔の手先にでもなったような愚行を平気でするようです。

彼ら(加害者)は、相手(被害者)を、同じ人間として見られなくなりがちで、そうした彼ら(加害者)こそ、人としての心を見失った精神異常者になりつつあります。

同じ人間である相手の痛みが、なぜ解らないのでしょうか…。





自分の体が傷付けば痛いように
相手も体が傷付けば同じ痛みがある

自分が恥ずかしいと思う行為は
相手も同じ恥ずかしい思いを抱く

自分が嫌だと思うことは
相手も同じように嫌がるはずである…

同じ人間だから
心の痛みも体の痛みも同じなんだ

優しさ…とは 想いやる心
相手の気持ちになって考えてあげること

何も難しいことはない
自分が嫌だと思うことを
相手に強要しないこと…

これだけでも世の中に愛が溢れ
イジメも虐待も減少する





心の教育が皆無に等しい状況は、現代まで歴史を綴ってきた大人たちに責任があります。
以前に他のHPでも書きましたが、マスコミにも大きな原因(責任)があります。

来年こそは、今まで大人たちも目をそむけてきた根本問題にメスを入れ、今まで治外法権とされてきた心の手術(精神的な変革)を目指すべきでしょう…。







………………… ブログを通して、廻り逢った心優しき大切な皆様へ …………………



6月12日よりブログを始めて約半年の間に、心優しき皆様と廻り逢えましたことを、僕は心から感謝いたします。

それぞれの意志で、さまざまな人生を辿ってこられた多くの人々が、姿の見えない誰かと、ネットを通して深い心の交流が出来るブログというツールは、自他ともに固定観念を打ち破る力があると思えます。

これを宇宙に例えれば、一つ一つのブログは、太陽のような尊い個性の輝きを放っています。
その輝き(個性)と、他の輝き(多個性)とを結び、響き合い輝き合いながら、大きな銀河を構成しているのです。
そして、すべてが大切な、一つ一つのブログ(個性の輝き)です。

どうか末永く続けていかれますように…。 

さらに光の共鳴が、友愛となり恋愛ともなって、このヤフー銀河は、ますます輝きを放つことでしょう。





皆さま本年は、心あたたまる多くの言葉を、誠にありがとうございました。

また来年も、どうぞ宜しくお願いいたします。



あなた(皆さま)に出逢えて
…………… 本当に良かった!!!

それでは、よいお年を、お迎え下さい…ね!!!

レッテルとは、決め付け…とか、思い込み…というものから、自分も他人も認めるような性格や習性が身に付き、それが本人の心に染み付いてゆくものです。

しかしこれは、よくよく観察してみると、決め付け…は、他者への見方が自分の思いの中にあり、思い込み…も、自分自身の思いの中に判断基準があるわけで、決め付けも思い込みも、個人的な主観が大元となっているわけです。

それが、複数の人々による同意見で『そうだ、そうだ…』と賛同することによって、主観が集合体となり、他者へのレッテルは強固なものになっていくのです。

そうしてレッテルを貼られた人は、それが良いイメージのレッテルならばいいであろうが、悪しきイメージのレッテルであると嫌な気持ちになる…。

それで自分では、その悪しきレッテルを剥がそうと、いろいろ努力してみても、たとえ10のうち9まで脱レッテルに成功しても、たった一つの失敗で、心ない他者からは『やっぱり、あなたは○○なんだー』と、たった一つの失敗の方を本当だと思いこんで、残りの九つの成功(脱レッテル)の方をニセモノ(偽善)だと決め付けの追い込みをかけられる…。

そうこうしているうちに、レッテルを剥がそうと努力している本人も、たった一つの失敗で『やっぱり自分はダメなんだー』と思い込んで、ますますレッテルの深みに嵌り込んでいくのです。

つまりレッテルとは、自分は(他者は)こういうものだ…と、狭い視野で決め付け、主観的な思い込みに囚われた固定観念であるということです。

こういう主観(色メガネ)で他者にレッテルを貼るような人は、たとえ世の中が虹色で素晴らしい風景(色彩)であっても、主観という単色だけの色メガネで見渡せば、その色あいにしか見えないということです。

しかし皆さん、ここで考えてみて下さい。
人間はレッテルそのものに縛られて生きなければならないほど、不自由な生物なのでしょうか…。
そうではないでしょう…。

本来は、どのような生き方でも出来る自由な表現体として、人間は(万物の霊長は)創造されたはずで、さまざまな人生を選択できるという自由意志の中で、現在只今の自分の性格・人格を自他ともに認めて生きているはずなのです。

つまり、性格も人格も、過度のレッテルも、時間はかかるかもしれないが、十分に変えられるものであるということを、全ての人が信じてもいいのではないですか…。

長らく悪しきレッテルに悩み苦しんできた人たちは、この事実に希望を持ち、勇気をもって今日を、そして明日を踏みしめて生きて下さいね…。

レッテルという固定観念もまた、イジメに利用されてきた悪しき風習の一つなのです。
この悪しき風習を、勇気をもって薙ぎ払ってゆかねばなりません。

それは、皆さんの心の中にある草薙の剣で…。


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