青い空の調べ

.夢失き人に夢と希望を、夢追い人に愛と勇気を・・・

旅の記念樹

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【 気が付けば 失いがちな 愛ごころ  寄り添う鯉の 睦まじき姿 】



(旅の記念樹…一人旅回想録)
【京都奈良】
(夫婦鯉の奇跡)




日本人にとって京都奈良は、まさに魂の故郷に感じます。
以前の僕は愛知県に住んでいたので、京都奈良へは度々訪れています。

飛鳥時代には日本の自然神に対する素朴な信仰心が根底にありました。
奈良南部(飛鳥地方)に根付いた当時の朝廷は、北へ北へと都を移していった歴史であったわけです。
そして都が北上する度に大陸の文化が流れ込んで、当時においてはそれが近代化に繋がったのでしょうね。

若かりし頃の僕は建築家を目指していたので、建築工学の観点からも京都奈良は楽しみな旅になりました。
その後、思想哲学宗教などの文化に触れるたびに、違う意味での京都奈良の楽しみ方が増したのでした。

京都奈良の歴史観や文化などを詳しくお話するには、ブログの一ページではとても書ききれません。
おそらく何冊もの書籍になってしまうでしょうね(笑)

上の画像は宇治市の、とある池で撮った夫婦鯉の写真です。
仲睦まじく寄り添う姿が微笑ましくて、想わずカメラを向けました。

すると夫婦鯉の左隣に、光り輝いた一匹の鯉が写っていました。
珍しい写真なので、ココにUPいたします!!!

古来の日本は祭政一致が原則でしたね…。
それは目に見えない神々の世界と直接に交流できる人徳者が存在したからでしょう。
そうして人徳を磨く修法も(特定の人に限りますが)直伝で教えられていたのでした。

日本の大和精神『むすび』は、その根底に家族愛が説かれています。
国家としての理念に『むすび』を置いた民族は世界広しといえども日本国だけなのです。

友愛を遥かに超えた家族愛の下には、人種も異文化も融和させる不思議な力が隠されています。

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【 海のぞみ 冨士を望みて 感嘆す  その名も高き 三保の松原 】



(旅の記念樹…一人旅回想録)
【三保の松原】
(天女の羽衣)



静岡県清水市の駿河湾に面した所に、片腕を持ち上げたような小さな半島があります。
ここは三保の松原。
羽衣伝説が残る有名な所です。

美しい三保の風景に心ひかれた天女が、羽衣をまとって舞い降りたのです。
天女は清らかな三保の海に誘われるまま、羽衣を松の木にかけて水浴を楽しんでいたのです。

その間に浜の若者が天女の羽衣を取り去ってしまったために、天女は天界へ帰れなくなったのです。

現在この伝説が残る羽衣の松は樹齢650年と言われ、かなり老朽化が進んでしまいました。
しかし棚引く海原を背景に今にも天女が舞い降りてくるような、不思議な雰囲気を醸し出しておりました。

三保の半島の片側が生命感あふれる清水港で、近代的な漁港の出で立ちを見せています。
半島のもう片側が遠く太平洋まで望める駿河湾で、海を挟んだ正面には伊豆半島が南へと連なっています。

その間の駿河の海を大小さまざまな船舶が、ゆったりと浮かんでは行き交うのです。
こうした風情が、古代と近代とを妙にマッチさせております。

ふと振り返って北側を見ると、海岸沿いの三保の松原の延長に、霊峰冨士の雄姿を望むことが出来ます。
そういえば富士山は様々な角度から絶景と言える景観を持っております。
そんな中でも僕は三保の松原から望む女性的な表冨士が大好きです。

僕が三保の松原に訪れた頃は遠足シーズンだったようで、可愛い園児たちが波打ち際を無邪気に駆け回っておりました。
年老いた釣り人が沖に釣り糸を投げていたので…
『何が釣れるんですか?』
という僕の問い掛けに…
『タコが釣れるんだよ』
と言っていましたが、あれは冗談だったのでしょうか(笑)

こうして当時の記憶を呼び覚ましながら、僕は三保の松原の景観を想い返してみました。
すると天女が三保の松原の美しさに魅かれて舞い降りた伝説が尚一層、真実味を帯びたものに観じられました。

天女(あるいは女神)伝説は、世界各地の湖や内海などの入り江に多く残されています。
美しい心の天女が魅かれる景観(自然)を、人類は未来永劫、失ってはならないのです。


【 羽衣の 美し渚 三保の風  冨士と伊豆との 仲を取り持つ 】




バルセロナの夜  佐野元春
http://www.youtube.com/watch?v=DzitEEy5iGk

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(旅の記念樹…一人旅回想録)
【鳥取砂丘】
(太古より続く恋詩)



【 手に取りし 砂はサラサラ 流れゆく  人の心も かくなるべきかな 】


九州からの帰り道、僕は中国地方の山陰道を海岸沿いに走り、出雲で一泊いたしました。
翌朝、出雲大社・一畑薬師・松江・美保関・弓ヶ浜・大山などを周遊…。
そうして夕刻ころに辿り着いたのが鳥取砂丘でした。

想い返せば鳥取砂丘は、二度目の訪問です。

社会に出たばかりの頃に、友人が突然…
『砂丘へ行こう!』
と言い出し、引きずられるまま夜行日帰り砂丘ツアーに出掛けたわけです。

高速道路を走らずに、ひたすら一般道を9時間かけて、やっとの思いで辿り着いた砂丘でした(笑)
二人とも眠い目を擦りながら早朝の砂丘を呆然と眺めた…その記憶が蘇えってまいりました。

あれから幾年月が過ぎた夕刻の今、時間を超えた想い出がシンクロしたようでした。
9月の半ば過ぎで陽光も低く傾き、人影まばらな丘陵は誠に感動的でした!!!
砂丘の砂は、しなやかな潮風を受けて、サラサラとさざめいておりました。

天候は穏やかで夕凪が落ちついた景観を演出していたことを、僕は今も鮮明に覚えております。

子供たちが無邪気に走る姿、恋人たちが寄り添って歩く姿、老人たちが支え合いながら沖を眺望する姿…。
どれをとっても素敵なスナップ写真が撮れそうな気がしました。

砂丘といえども砂漠とは違った雰囲気があり、優しく寄せる白波と、しなやかに流れる潮風が、
太古より続く恋詩(こいうた)を、繰り返し歌い継いでいるようにも感じたものです。


【 しずしずと 砂丘に寄せる 白波の  恋する想い いつぞ叶わん 】


沈みゆく陽光の中で、永遠に繰り広げられるであろう恋詩を心に響かせながら…。
僕は砂丘に別れを告げました。
再び訪れる日が来ることを、そっと心に誓いながら…。


【 砂丘より 見下ろし海の 鮮やかさ  心に刻み われ帰路に立つ 】







夏のジュエリー/松田聖子
http://www.youtube.com/watch?v=K-7jMVwJsFU


【画像は『えすけっとくらぶ』イラスト・カット素材集より】

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【 連光寺 母の墓前に 手を合わせ  つねなる守に 感謝するのみ 】






(旅の記念樹…一人旅回想録)
【信州中野】
(園児たちの心)




僕は愛知県一宮市に生まれました。
家庭は貧しく、その日の糧に困るような生活が続いていました。

我が家は借金取りから逃げるように転々と引越しを重ねました。
僕が子供心に覚えているだけでも五回は引越しています。
そのためか僕には生まれ故郷に対する実感がありません。

ただ一つだけ故郷といえる場所があるとすれば、子供の頃から時おり家族で訪れた信州です。

信州は母の在所で、母は信州の中野で生まれました。
後に長野市の東隣、須坂市にて少女時代を過ごしています。

若かりし頃の母は、地元の町工場で仕事をしていました。
その後に織物の女工として愛知県一宮市に出てきたそうです。
そして父と結婚をして一男二女を得ました。

父は博打癖から多大な借金を抱えました。
そのため母は早朝より深夜まで年中休みなく機(はた)を織り続けたのです。
時おり訪れる借金取りに頭を下げて我慢に我慢を重ねながら、子供たちを育ててくれたのです。

そして僕が18歳になった時に母は家を飛び出して、僕も後を追うように家を出ました。

この辺りの事情は母の追悼記(書庫にあります)に詳しく書かれています。
『いのち消ゆる、その時まで』
http://hahanotuitouki.blog.so-net.ne.jp/

晩年の母は、名古屋の音大の女子寮の寮母をしておりました。
1995年5月29日に胃癌が原因で他界しています。

その母の遺骨を何処に埋葬するかで、僕たち姉弟は困惑してしまいました。
母は生前よく信州へ帰りたがっていましたし、離婚をして名前も旧姓に戻っていました。
だから最後には母の実家の先祖代々の墓所に帰してあげることが、最大の親孝行だと感じたのです。

こうした系図をもつ僕にとっても、まさしく信州は心の故郷になっています。

西に戸隠山・黒姫山・妙高山。(いずれも二千メートル級の山々…)
北に野尻湖・斑尾山。
東に志賀高原・菅平。
長野盆地の中央を、かの日本一長い信濃川が雄大に流れています。

かの長野オリンピックでも有名になりましたが、信州には『信濃の国』という県歌があります。
母も生前よく口づさんでおりました。
http://www.youtube.com/watch?v=torIjweSqrU

数年前、母の墓参りのために中野市の連光寺に参った折に、久しぶりに連光寺の住職にお逢いしました。
住職は僕の事を覚えていて下さったようです。
『しばらくぶりですねぇ』
…と声を掛けて下さいました。

住職は仏事に奉公される傍らで、寺院所有の幼稚園の園長を兼任しておられます。
穏和で人徳の優れた素晴らしい人です。

想えば母の骨入れの後、住職を囲んで、ささやかな宴を開いたのです。
その時に住職が次のような説話をして下さったのでした。




ある日、子供たちが…。
『園長せんせい、ちょうちょ、たすけて…』
…と泣き叫んだそうです。

住職(園長)は園児たちの元へ行ってみると…。
チョウチョが蜘蛛の巣に引っ掛かって喘いでいたのでした。

チョウチョを不憫に想い、住職は蜘蛛の巣を取り払ってチョウチョを助けてやったのだそうです。
ところが園児たちは悲しそうな顔をしたまま園長先生を見ていたといいます。

子供たちは園長先生に聞いたそうです。
『せんせい、クモはどうなるのー』

そのときに住職は内心《しまったー》と想ったそうです(笑)
子供たちにとって綺麗なチョウチョも、醜いクモも、同じ尊い命をもった生き物だったのです。
形の善し悪しで判断しがちなのが人間の性(さが)かもしれません。

しかし子供たちから容姿を超えた生命の尊さを学ばされたということです。
こうした実話を惜しげもなく住職は語って下さいました。





沢田研二/コバルトの季節の中で
http://www.youtube.com/watch?v=Zox0nAD0WS4
(秋を感じさせる想い出の一曲です)



【画像は『えすけっとくらぶ』イラスト・カット素材集より】

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