青い空の調べ

.夢失き人に夢と希望を、夢追い人に愛と勇気を・・・

旅の記念樹

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都井岬(海をバックに、草を食む野生の馬たち…)


(旅の記念樹…一人旅回想録)
【日南海岸】





まだ明けやらぬ宮崎市を後にして、いそいそと海岸線を目指しました。

徐々に薄らいでゆく水平線の彼方から、望郷の歌が響いてくる。
堀切峠を越えた辺りで、ついに眩いばかりの夜明けを迎えました。

日南海岸の鵜戸神宮に着いた頃には、神々しく輝いた空と海…。
そして朱塗りの神社が、断崖から浮かび上がるように存在感を現していました。

第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられる鵜戸神宮は…
【祭神】彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
この神様は神武天皇の父親に当たります。

ちなみに母親は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
名高き竜宮城の乙姫様です。

断崖の中腹に長い年月をかけて海食洞が出来あがり、その岩窟内に鵜戸神宮の本殿が建立されています。
崖に沿って作られた石段を降りて参拝する『下り宮』方式になっています。
こうした『下り宮』方式は、群馬県富岡市にある貫前神社以外は珍しい形なのです。

この鵜戸神宮から南に向かって美しい海岸線が長く続いています。
その景観は、まさに南国の美と言えますね!!!
海岸線に時おり見せる草花の彩りや樹木の枝ぶりは、青い海を背景に喜びを表現しているかのようでした。


始めて訪れた海岸線に、呼び覚まされるような記憶の数々…。
僕は太古の昔、ココに生きていたというリアルな映像さえ見えてきました。

かつて南九州には王朝が栄えたことがありました。
遠い南の海から大船団を組んで渡ってきた民族が最初に築いた王朝でした。
この王朝が実は現代の日本国の原点になるのです。
これは歴史に秘され埋もれた古史古伝を紐解けば明らかになります。


日南海岸の南端に当たる都井岬には、野生馬の群れが仲良く草を食んでいました。
その中に可愛い子馬を発見!!!
さっそく写真を撮ろうと近付いた瞬間、怒った親馬に襲われて敗走しました(笑)
野生(自然)の中では人間も生物の一つに過ぎないのですね…。

のどかに草を食む馬たちの背後に、青い碧い海と空が微笑んでいました。
沖から流れる潮風が心地よく感じられました。
下関で借りてきたレンタカーも一緒に写真には写っています(笑)


【 潮風に 吹かれて一人 懐かしむ  太古の歌と 記憶を頼りに… 】





僕の好きな風景♪ 松山千春
http://www.youtube.com/watch?v=SdsgkVOMDX4

スピッツ - 渚  spitz - nagisa LIVE
http://www.youtube.com/watch?v=u8pDH_lmLVE

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1995年
桜島の噴火
(旅の記念樹…一人旅回想録)
【桜島】




1995年は僕にとっても忘れられない一年でした。

1月17日には阪神淡路大震災が起こりました。
死者6433名・行方不明者3名・負傷者43792名という大惨事でした。

その直後に母の胃癌が発覚し即入院。

3月20日には地下鉄サリン事件が起きています。
死者12名・重軽傷者5510名という戦後最大級の無差別テロ事件でした。

胃癌で入院中だった母は、ほぼ医者の宣告どうり5月29日に他界。

当時の僕は北関東で仕事をしていましたが、8月に体調を崩して長期休暇。
気分転換を兼ねて九州周遊の旅に出ています。
そして8月24日、たまたま訪れた桜島(鹿児島)が大噴火したのでした。

すでに避難して誰もいない古里温泉から見上げた桜島は、世紀末が到来したかのような様相でした。
デッカイ岩が上空へ吹き飛ばされ、山肌に落ちて行くのが肉眼でも見えました。

そこから更にフェリー乗り場まで進み、噴火の状態を西側からも見てみました。
南から吹く海風が噴煙を北へ北へと吐き飛ばして、その降灰は遠く北九州にまで達したと言います。
自然(神々)の怒りが極限に達したのだと感じられたのでした。

そのとき心の内部から声なき声が響いてきました。
どうしようもない人間のエゴが、こうして自然界にも影響を与えているのだと知らされたのでした。



あの類い稀なる1995年と同じ感覚を、いま僕は強く観じています。
あれから14年…。
人心は更に荒び、大切な真心を失いつつあるのです。

いま再び人類が問われているのは21世紀のスフィンクスの謎解きなのでしょう…。
傲慢と謙虚…人類はドチラを選択するのでしょうか???








【めをとじて 耳を澄ませば懐かしむ 幼き日々の直向きな心】

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(旅の記念樹…一人旅回想録)
【飛騨白川郷】





岐阜県高山市から国道41号線を北上し、宇津江四十八滝に立ち寄りました。
さらにそこから天生峠を越えて白川郷に辿り着いたのが、もはや夕映え時でした。

天生峠が思いのほか大変な峠越えであったため、ずいぶん時間が掛かってしまいました。

その分、白川郷の麓へ降りてきた僕を待っていた風景には感動してしまいました。
普段の生活では凡そ感じられないであろう山間の奥地の、炭焼きの匂いが似合う山里でした。

始めて訪れた白川郷でしたが、無性に懐かしさが込み上げてくるのは何故でしょうか…。

小高い丘の上から、谷間に沿って合掌造りの家々が建ち並ぶ景観を、飽きもせず眺めたものです。



僕は閉館間際の合掌村博物館に飛び込んで、実際に合掌造りの家に入ってみました。
(お茶をご馳走してくれたオバサン、ありがとうm(_ _)m)
幾年月も厳しい風雪に耐え忍んだ家が、壁が、柱が…。
すべてが焼けたように黒ずんでいて、ひと足ごとに鳴る床板が強く心を引き付けました。


近代化から取り残されたような奥飛騨の、更に奥地の山間に、ひっそりと佇む合掌村の家々…。
ともすると都会の人々が忘れてしまいがちな心の故郷を、呼び覚ましてくれるようで嬉しかったです。

人類にとって科学の更なる発展も大切な課題です。
けれども日本の故郷を象徴するような合掌村は、このままの姿で次代に残してあげたい…。
僕は素直に、そう想わざるおえませんでした。




【 息ついて 旅の途中の静寂に 誰しも想う故郷の歌 】




故郷 (唱歌)
http://www.youtube.com/watch?v=fyooHu9x3Nc

松山千春 ふるさと
http://www.youtube.com/watch?v=FXNSlofS8k0

ふるさと(モーニング娘。)
http://www.youtube.com/watch?v=xYTFbs0TJuQ

(4) 北海道…岬めぐり

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これは何年も前に観光シーズンを避けて4月の半ばに強行した北海道周遊の旅日記です。

本当に何処へ行っても僕一人きりで、ほとんど手付かずの自然を独り占めしたような、そんな開放感が堪らなく嬉しかったです。 けっこう一人で危ないような所まで入り込むので、人っ子一人いない原野で遭難しなくて良かったです。
(気の早い冬眠明けのクマに出会わなくて良かった…)

とくにこの北海道周遊の旅では、岬めぐりを主体にして、そこにまつわる様々な神話・伝説をも調べてまいりましたので幾つか紹介しますね…。
北海道といえばアイヌの伝説になりますが、岬の伝説においては残念ながら悲恋物語が多かったと想います。



まず積丹半島の神威岬でのアイヌ伝説…。
ここにはアイヌ少女チャレンカの物語が残されています。

源義経が鎌倉を追われ、道内の日高(平取)の酋長オキムルミカムイに満州の情報を聞きに伺ったのですが、その時に酋長の娘チャレンカは義経を慕うようになり、愛する義経を追って神威岬までようやく辿り着いたが、すでに義経を乗せた船は旅立った後でした…。チャレンカは悲しみのあまり海に身を投げ、神威岬の先端の立岩になったまま現在に至るそうです…。
【・・・チャレンカの 義経慕う 名残りが   岬を連ね 岩礁つらねる・・・ 】
このチャレンカの恨みからか、この岬の前を女性を乗せた船が通ると、海が荒れ船が転覆することが頻繁に起こってきたため、安政3年(1856年)までは、神威岬の海は女人禁制であったそうです。
(岬の入り口には今でも【女人禁制の地・神威岬】の看板が立っています)
神威岬の先端には岩礁が点々と弓なりに東へ連なっているのですが、まるでチャレンカが義経の船の後を追うように続いていました。



次に同じく積丹半島の積丹岬でのアイヌ伝説…。
ここにはアイヌ少女シララの物語が残されています。(義経の逸話の続きになると思いますが…)

積丹岬の入船に流れ着いた義経は傷を負っていたため、しばらく入船に停泊することになりました。入船の酋長の娘シララは義経の傷を手厚く看護し、いつしか二人は恋仲になりました。しかし追手が迫る義経は十五夜の晩に密かに船出してしまうのです。その船(義経)に気付いたシララは、泣きながら義経の船の後を追いました。しかしもう追うことの出来ない最後の岩場まで来て、沖を見つめたままの姿で立岩になってしまいました。
【・・・今生の 別れを偲ぶ 愛惜の   シララの小道は 東尾根につづく・・・】
このシララの立岩は女郎子岩といって、現在でも毎年、簪(かんざし)のような赤い花が咲くそうです。
積丹岬の燈台から、岬を尾根づたいに小道が続いているのですが、これをシララの小道と言うそうです。この小道をシララは義経を追って走ったのですね…。



次は同じく積丹半島の黄金岬でのアイヌ伝説…。
ここにはアイヌ少女チャシナの物語が残されています。

美国の酋長の娘チャシナは、召使の若者と恋に落ちましたが、これを酋長は反対して若者を監禁してしまうのです。その年に黄金岬の沖に怪物(一説には大蛸)が現れ、鰊(ニシン)が全く採れなくなったため、酋長は怪物を退治した者には、褒美として娘チャシナを娶らせると、おふれを出したのです。しかし怪物退治に挑戦する者が次々と命を落として逝きました。そこで酋長は監禁していた若者にチャンスを与えました。若者は夢のお告げに従って見事に怪獣を退治するわけですが、成功しても若者を殺してしまおうと思っていた酋長の心中を知ったチャシナは、せめてあの世で結ばれようと、岬の小道を駆け登り、黄金岬の海に身を投げたのです。そして若者もチャシナの後を追って海に身を投げました。
【・・・チャシナ姫 かなわぬ恋の ゆくえさえ   誰に聞きしか 身を投げし恋・・・】
黄金岬のチャシナの小道といわれる坂道は、細い尾根のような危ない小道で、現在は丈夫な手スリが付いた安全な遊歩道になっていましたが、か弱い少女が一人で駆け登るには誠に危険な小道であったでしょうね…。
僕が訪れた黄金岬の先端には、可憐なチャシナを偲ぶように、紫の花(花の名前は分かりません…)が咲いていました。



次は稚内の抜海岬でのアイヌ伝説…。
ここには子を背負うアイヌ女性の物語が残されています。

宗谷アイヌとの戦いで、天塩アイヌの応援に来ていた礼文アイヌの若者は、天塩アイヌの女性と恋をして、子供も出来て幸せに暮らしておりましたが、若者は故郷の礼文を忘れられず、一人で島へ逃げ帰ってしまったのです。残された妻は毎日、島を望める丘に登って、夫の帰りを待ち続けました。そしていつしか子供を背負ったまま岩になってしまったのです…。
【・・・うたかたの 身寄せの恋は 引き裂かれ   思いは硬き 岩となりゆく・・・】
この岩は抜海岬に近い海岸線106号線沿いにある抜海岩のことです。こじんまりとした小山の上に、赤子を背負ったかのような岩の固まりが乗っています。そして海の向こうの利尻島・礼文島を、じ〜っと見据えているのです。

果てしなく続く海原
寄せる波 心を拭う
なぜ あなたは 私をおいて
一人で行ってしまったの…

いつまでも想いは募る
帰らない あなたを待つの
ほほ 涙が 伝って落ちる
あなたを忘れられないわ…

もう一度あなたの胸に
帰りたい 切ないほどに
波 寄せ引く 岬に立って
あなたの帰り待ちわびる

(潮風の祈り…里中太一)



最後に厚岸の涙岬でのアイヌ伝説…。
ここにもアイヌ女性の悲恋物語が残されています。

昔、鰊漁が華やかなりし頃、厚岸の若者と霧多布の網元の娘が恋に落ちました。ある嵐の日に若者は厚岸から船で霧多布へ向う途中、岬の近くで船が座礁し、若者は海に呑まれて帰らぬ人となりました。それを知った娘は、この岬の断崖に立って、泣きながら声の限りに若者の名を呼び続けていたそうです…。
【・・・愛惜の 涙にむせぶ 別離とて   心の糸は ほどけぬものぞ・・・】
こうした伝説なのですが、僕が涙岬の先端に立って、この悲しい物語を想い返している間も、沖から流れ来る潮風が、すすり泣くアイヌの娘の声に聞こえるから不思議でした。また近くの海の波間に立ち尽くす大きな立岩が、娘の声に引かれるままに海中から陸に向って歩み来る若者の姿に想えてなりませんでした。立岩は前屈みの姿で陸に向っていたからです。



まだまだアイヌ伝説は尽きないのですが、そろそろココまで読んで下さった心優しい貴方もお疲れでしょうから、このあたりで止めておきましょうかね…。
だけど一つだけ付け加えさせて下さい。(悲恋物語だけで終わっては悲しすぎますよね…)

厚岸には愛冠岬という有名な岬がありますが、この岬にあるツインのベルアーチは、恋人同志で同時に鳴らすと愛が実ると言われています。(僕は一人で二つ同時に鳴らしました…笑)
【・・・我れ祈る あまたの恋が 鐘の音と   カムイの元に 結ばれしことを・・・】

それともう一つは室蘭の地球岬ですね。
ここの幸福の鐘も同様で、恋人たちの願いが叶うと言われています。
【・・・室蘭の まあるい地球の その中に   とけこむ心 とく円きかな・・・】

【関連詩http://blogs.yahoo.co.jp/yumesaki373/23832791.html





画像説明

《記事に貼ってある画像》
積丹半島の神威岬(門には女人禁制の地・神威岬と書いてある)

《サムネイル画像(左から…)》
積丹半島の積丹岬(岬から女郎子岩方面を望む…右下からシララの小道が尾根に続く)
積丹半島・鳥武意海岸(積丹岬と女郎子岩のほぼ中間に位置する)
積丹半島の黄金岬(岬の先端から宝島を望む…伝説では宝島は海に身を投げた若者の兜が島となった…)
稚内の抜海岬(小高い山の上に小石が乗っている…子を背負うアイヌ女性の化身だと伝えられている)
根室半島の根室車石(海を隔ててユルり・モユルり島を望む…この島には野生の馬が生息している)
浜中の霧多布岬(カラスとともにアゼチの岬方面を望む)
厚岸の涙岬(遠巻きに立岩を見る…立岩はアイヌ娘の呼ぶ声に応えるかのように前屈みに立っている)
厚岸の愛冠岬(恋人同志二人で同時に鳴らすと愛が実ると伝えられるツインのベルアーチ)
室蘭の地球岬(恋人たちの願いが叶うと伝えられる幸福の鐘)
積丹半島の神威岬(記事に貼ってある画像)

つくばの里は東関東に位置し、北に筑波山、東に霞ヶ浦、そして南から西にかけて利根川に抱きかかえられるような形で、ひっそりとたたずんでおります。
現在では茨城県つくば市を、つくばの里と思われがちでありますが、古代においては霊峰筑波の二つの峰を確認できる範囲が、これすなわち『つくばの里』と称されていたように思えてならないのです。

天津日向さんが書かれている「新創世記」には、メソポタミア文明にて海洋技術を誇るシュメールの民たちが、隣国の侵略により中東を追われ、幾つもの海を渡り、黒潮に乗って鹿島灘から霞ヶ浦へと入り、筑波山の麓に都を築いた…と「新創世記」八巻の〔地の道標編〕には書き記されております。

また「日本百名山」を書き残された、今は亡き登山家の深田久弥さんは、標高千メートルにも満たない筑波山を、日本百名山の一つに数えておられます。その理由は明らかで、つくばの里には筑波山にまつわる由緒正しい伝承が残されているからです。

その伝承は時を経て「常陸風土記」として次のように伝え残されております。



【常陸風土記】
天地を創造された御親の神が、可愛い子神たちに逢いたいと想い、諸国を旅して諸々の神々を訪ね歩いたそうです。その道中で駿河国の福慈の山(富士山)辺りにさしかかった頃、すっかり日も暮れてしまったため、一夜の宿を福慈の山の子神にお願いしたのでした。
  
しかし福慈の山は大切な御祭り行事の真っ最中で、他人との接触を絶っているために、御親の神の申し入れを断ったそうなのです。 御親の神は残念に思い、また歩き始め、今度は筑波の山に辿り着いたそうです。 そこで筑波の子神に一夜の宿を頼んでみたのです。

すると筑波の山も御祭り行事の最中でありましたが、御親の神を手厚く接待し、沢山の御馳走を用意して、暖かくもてなしたそうなのです。 御親の神は心から喜ばれ、筑波山の神々の前途を祝福して、次のような和歌を歌われたそうです。
  


《御親神の歌》
うつくしきかも我が御子 高きかも神つ宮 天地のむた 日月のむた 人々集い賀ぎ 飲食にぎはひ代々に絶ゆることなく 日に日にいや栄えて 千秋万歳 楽しみきわまらじ(天地…あめつち。賀ぎ…ことほぎ)

《御親神の歌…現代語訳》
命を尊ぶ優しさを失っていない清らかな心の我が御子よ。それとともに神の子として正しく神職に従事せる神聖なる宮居よ。天地が果てしなく開けゆくなかに、とこしえに時の流れが輪廻するなかにて、人々が好んで筑波の山に集い来たり、宴(縁)を開き詩歌を歌うが如くに、人々の喜び絶ゆることなく幸栄え、心と心を結び逢う、縁結びの集いの聖地となるであろう…》
 


このように御親の神は賛嘆されたのでしょうね……。

神祇を司る祭り事も大切ですが、同じぐらい大切な心の交流(心の結び)も、決して忘れてはならないということを、この伝承は物語っているように思えてなりません。

この物語の中で、福慈の山のことを批難しているようですが、これは筑波山との対比を表すために、このような内容で使われたと私は信じるものです。つくばの里では古来より、どのような人でも快く善意で迎え入れていたようですが、その背景には、こうした暖かい神物語が、作用していたと思われます。 そしてこれこそが、つくばの里人たちが連綿と受け継いで来た基本精神ではないかと思うのです。

夢先案内の創始者である天津日向さんが、
夢先再発行の地を『つくば』に選んだ理由も、ここにあるのではないでしょうか。





いまから二十数年前に、つくばでは大きな科学万博が開催されました。 僕は当時、3度ほど科学万博に訪れているのですが、あれから二十年以上たった現在でも、つくばの景観は、さほど変わってはいないと思うのです。 つくば市内は長らく電車が走っておらず、文明が出入りするステーションが無かったため、幸か不幸か、周囲の街に比べて近代化が遅れていたのかも知れません。

しかし二〇〇五年より都内の秋葉原から、つくばエクスプレスが、つくばの里まで腕を伸ばし、人の往来も激しくなってまいりました。そして住宅地が年々広がり、つくばの近代化も急速に進められました。

これは喜ぶべきことでもあり、それとともに悲しむべき現実でもあります。 筑波山の中腹あたりから、つくばの里を見下ろしたことがある人は分かると思いますが、緑豊かな『つくばの里』は、あまり近代化が進まない方がよいと思えてならないのです。 それと同時に、もっと多くの人たちに『つくばの里』の良さ、筑波山の美しさを知ってもらいたいという気持ちもあり、誠に複雑な心境なのです。

つくばには有名な学園都市がありますが、かつて陸の孤島と言われた緑豊かな学園は、ますます活性化するに違いありません。これから全国津々浦々より、多くの夢たちが、この神話の里に集われて、つくばの伝承のように、争うことなく明るく伸び伸びと、お互いの夢を理解し合いながら、心を結び合えるような理想の里が展開してゆくと、僕は信じて疑いません。
 
北にそびえる筑波山は標高876メートルで、登山を始めたばかりの人にとっても易しい山ではないかと思います。登山道の各所には、いわれのある奇岩が点在しているので、それらを散策するだけでも楽しい登山になると思います。

中腹にある筑波山神社までは車でスイスイと登って行けます。 筑波山神社のすぐ脇から、ケーブルカーが人々を頂上まで運んでくれるので、ちょっと立ち寄るだけでも楽しめる山だと思います。 しかし出来れば筑波山神社で参拝され、自分の足で歩いて頂上まで登られることをお薦めしたいのです。 だいたい一時間半ぐらいで頂上まで行けると思います。

頂上には二つの峰があり、西の峰が男体山で伊邪那岐神を祭り、東の峰が女体山で伊邪那美神を祭ってあります。 男体山の頂上から僅かに下った所に、立身岩という大きな岩場があります。 その岩場では昔、親鸞上人が修行をされた場所でもあり、また近年、樺太で間宮海峡を発見された間宮林蔵が、将来の立身出世を祈願するために訪れた岩場でもあるそうです。 その岩場は裏手から岩場の天辺まで登ることが出来て、そこから見下ろす『つくばの里』は、まさに絶景です。 

そこで僕は静かに深呼吸をして、青く広がる空と、豊かな緑の大地を交互に眺めながら、心から安らいだ一時を過ごしました。

そこから女体山までは、谷間の展望台や売店などを貫け、だいたい歩いて二十分ぐらいなのですが、この女体山山頂の神社の裏手から広がる景観も、これまた絶景です。

北には加波山や雨引山などに繋がる筑波山系が山並みを連なり、南には幽かに霞んで見える霞ヶ浦の優しい湖面が微笑んでおります。過ぎ行く時間を忘れてしまう程に,美しい風景が何処までも続いているのです。

ゴツゴツした岩場の多い筑波山を始めとして、加波山、岩間山などの筑波山系には、昔から天狗がいると言われております。江戸時代の国学者であった平田篤胤は、霊能者であった仙童寅吉に語らせたところによると、岩間山には十三天狗が、加波山には四十八天狗が、筑波山には三十六天狗が居ると言ったそうであります。

女体山からの下山の途中に、出船入船・大仏岩・体内くぐり・高天ヶ原・弁慶七もどり…などの奇岩が続いているのですが、こうした岩場を歩いていると、不意に天狗が出てきても可笑しくないと思えるような雰囲気にさせられます。

先に記した日本百名山を書き残された深田久弥さんは、東北本線の間々田と小山の間から眺める、俊敏なる筑波の峰が最も美しいと言っておられます。 まさしくそのとおりで、二つの峰が麗しくそそり立つ山容は、誠に誇れる容姿であると僕も思います。 しかし僕は南筑波の景観を愛しております。 ゆるやかに横に(東西に)間延びをしているようにみえるのですが、優しい女性的な稜線の南筑波の山容を心から美しいと思うのです。

さらにそこから南東に向かって小高い峰が連なっております。 この峰を僕は密かに筑紫の峰と呼んでおります。 秋空の良く晴れた夕暮れ時は、この峰が何と深い紫色に映えるのです。 その色合いは穏やかでもあり麗しくもあり、まるで優しい母が両手を広げて、筑波の里に住まう可愛い子どもたちを、その眼差しで見つめている姿に映るからです。

秋から冬にかけて東北より吹き込んでくる強くて寒い突風を、母なる御手によりてかばいながら、可愛い子どもたちを暖かく育んでいる母の姿そのものです。

この『つくばの里』を夢先案内が選んだのか、夢先案内を『つくばの里』が選んだのか、それは皆さんの想像にお任せいたします。

     





《 いにしえの つたえにひかれ さとにいり   ゆうひにはゆる みねをいとしむ 》

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