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徳性開発

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太陽の徳性

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徳性開発 【謙虚】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/tokuseikaihatu.htm

太陽の徳性(14徳性)の一つ『謙虚』の徳性は
徳性開発の登竜門です

徳性段階を向上させるための架け橋になります。







徳性開発『謙虚』  ・・・・ 始  言 ・・・・


急速な近代化が進んだ20世紀も終わり、人類の歴史上に新たな足跡を残す21世紀は、
人間の本来の霊性を取り戻すための大きなチャンスが到来しています。 
長らく忘れられてきた人間の徳性を育む時代が始まりつつあります。 
個性が歪んだ自我として自己拡張するならば、どのような弊害が巻き起こってくるのかを人類は繰り返し経験してきたのです。 

何ゆえの人権尊重なのか…。 
何ゆえの自由意志なのか…。 
何における正義なのか…。 

その本当の解答を見い出すことが出来ないまま、余りにも多くの犠牲者を出しすぎた歴史でありました。 
これらは一重に外部からは見えない人の心の暗部を、見えないまま放置してきた時代の怠慢であります。
その心の内部に光を灯して、ありのままの惨憺たる内部事情を正しく見つめる勇気と覚悟が必要になるでしょう。 

『真理は汝を自由ならしめん!』

この聖言は現代も十分に生きています。
真実を知らないがために罪を重ね悪を行ずる迷妄者が現れてくる…。 
また真実を知らないがために病気が現れ不幸を背負う不調和が現れてもくる…。 
徳性開発は、これらの現実から目を背けず、進んで自己改革に取り組む姿勢を学ぶものであります。

『徳』には人間完成への道筋として14の徳性が用意されています。 
その中でも最も重要な精神的基盤に該当するのが『謙虚』の徳性になります。 
樹木の生長に当てはめれば謙虚の徳性は樹木の根の部分になるでしょうか…。 
大樹は根を張る営みを1日たりとて休むことなく、樹体の安定生長に必要な根張りを刻々と続けているのです。 
これを木道(もくどう)といい木生道(もくせいどう)というのですが、人間にも同じ人道(じんどう)あるいは人生道(じんせいどう)という精神研鑽が必要であると想います。





徳性開発 【謙虚】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/tokuseikaihatu.htm

『むすび』の原点

天地(あめつち)という言葉は、普段あまり使われない言葉ではありますが、天と地といった二極に分かれた天地という意味ではないのです。

もともと天と地は一つのものとして創造され、それぞれの役割において相互に影響し合う関係であったのです。

俗に陰陽道という教説もありますが、陰と陽との相関関係は、相対する個別の極のみとして捉えてしまうと、個別主義が台頭するような現代では、優劣や勝敗や排斥などの愚行に走る迷妄者も出てくるでしょう。

男女同権を叫ばれて久しいですが、男女を対立したような立場に立たせてしまったのは、いったい誰なのでしょうか…。

これは男尊女卑を引きずった日本の歴史にも問題はありそうですが、男女は互いに相争う関係にあるものではないのであります。

男性にないものを女性はもっているし、また女性にないものを男性はもっている…。

お互いに相手がもっていないものを提供しつつ、補い合い、埋め合わせて、一つの共通理想に向かって突き進むべきなのです。

この男女の共通理想は、家庭という名の拠り所に見い出されるべきであり、それぞれの役割に応じた働きをすることによって家族に貢献するときに、その拡大延長された社会も国家も人類も、正しい調和と繁栄をもたらすのであります。

そういう観点から見ても天と地は本来は一つのものであり、それぞれの個性に応じた役割が、そこに存在するということであります。

天は地を想い、光を注ぎ雨を降らせ、地は天を想い、草木を茂らせ炎立たしめ、それぞれの役割において、お互いを生かし合うのです。

すべてのものは本来は一つのものであり、それぞれの個性に応じた役割を提供することによって、ひとつの統合的世界観が完成するのであります。







柔軟思考【天地思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

慈しみの連鎖

この地上に生まれてから、現在に至るまでの間を振り返ってみるならば、家族を始めとして、学校や職場で巡り合った人たちの何と多いことか…。

さまざまな事件や事故があったかもしれない。

怪我や病気に苦しんだかもしれない。

けれどもこうして現在只今の自分がココにいるということは、奇跡の連続であったのです。

日本はまだ治安の良い国であるが、一生涯、何事もなく過ぎてゆけるかどうかは、誰も補償は出来ないでしょう。

どこかで事件に巻き込まれるかもしれない。

重大な怪我や重病に蝕まれるかもしれない。

本当は五体満足でいられる方が不思議なのかもしれない…。

かつて何度も窮地に立たされた経験をもつ人なら思い浮かぶかもしれないが、その窮地のたびに何らかの助力はなかったでしょうか。

奇跡的に救出された経験をもつ人もいるでしょうが、いつも危ない所で、何処かの誰かに導かれたり、苦しい渦中でアドバイスをいただいたり、見知らぬ誰かの助言で道が開かれたり…。

人生には所々に水先案内人が存在していたはずです。

もちろん本人は、自分が水先案内人としての役割を担っているとは自覚していないかもしれないが、結果として人助けになっていた場面もあったと想います。

また中には学業や職場において、あるいは街中にて、困っている人を手助けした人もいるでしょう。

人と人との繋がりは、こうした目には見えない愛の連鎖で結ばれているのです。

なぜあの人は、あの時に自分を助けてくれたのか、か弱い自分を守ってくれたのか…。

これは人間の心の中に他者への慈しみがあるからに他なりません。







柔軟思考【慈愛思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

霊界は膨大な世界構造になっています。

これはあまり地上的見地で型に嵌めて説明しない方がいいのかもしれません。

なぜなら人は往々にして神の世界を人間感情で把握するため、地上に残された神話や伝承を見れば判りますが、神々が誠に人間的情感のままで神の世界に居られると勘違いするからであります。

たとえばラグビーのボールは見る角度によって(その角度のみから見たならば…)まったく違った形に写ります。三次元的には楕円形でも、二次元として捉えれば見る角度で違う形のボールに見えるのであります。

それでもラグビーボールは同じラグビーボールなのです。

それと同じように、神々の世界を二次元的に見ても、三次元的に見ても、それは神の世界の一面でしかなく、そうした狭い視野の中に納まってしまうほど、ちっぽけな世界観ではないということです。

ましてや四次元も五次元も、さらに六次元をも超えた神の世界は、地上界にある精密な機械であっても推し測れるものではないということです。

さらに大神の世界は、七次元も八次元も九次元も超えた、人為を遥かに超越した高次元意識なのであります。

その十次元以降の大神の存在を、形而上的に表現することは、もはや不可能だといえます。

しかし大いなる神は人為を超越した世界にのみ居らっしゃるのではなく、人為で知覚できる皆さんの三次元世界にも、大神の愛念が充ち満ちています。

それは目には見えないが空気に包まれているように、常に太陽の光が注がれているように、大地に引力によって繋ぎとめられているように、人間の目には見えなくとも、総ての生命は神の愛に包まれ生かされ育まれているのであります。

こうして大神の愛念に常に包まれ守られ導かれている人間は、その大神の御存在を素直に受け入れ、神の生かし育む波長に、自分の心の波長を合わせればよいのです。







生命の言葉【神々は常に見守っている】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/inotinokotoba.htm

鬱病患者を見ていると、思考そのものが止まっているのではなく、その思考が自分を中心にして極度の不足感・否定感に囚われていることが分かります。

自分にはあれがない、これがない…。

だから何も出来ない。

楽しみがない。

喜びがない。

だから何もしたくない。

おそらくその不足感・否定感は、さらに深まると被害者意識の権化のようになって、狭い穴倉の中から恨めしく社会を覗き見するような、陰湿なものになりがちであります。

彼らに本当に足りないものは他者を想う気持ちなのです。

もともと躁鬱は病気ではないのです。

よくよく観察すると、躁も鬱も根底には極度の我心(自己中心)があるだけです。

この我心を躁の人が自己表現すると自分勝手な思い上がりとなり、鬱の人が自己表現すると悲観的見解となるのであります。

ここで考えなければならないことは、この我心(自己中心)とは何ぞや…ということです。

この我心の正体は、たんに『わがまま』であったりします。

『わがまま』というのは我(われ)が思うまま…ということで、幼い子供が自分の想いどうりにいかないことに癇癪を起こして泣き喚く行為そのものです。

それが大人になってからは、無闇に癇癪を起こせないし、周囲にワガママを押さえられて萎縮した子供のままの心は成す術もなく、鬱状態に入り込むのであります。

躁状態は、この鬱状態の反動であって、本質的には同じ根っこをもっております。

この我が思いのまま…という子供のままの自己中心を想い返して、周囲の人たちに対する配慮を考えた時に、躁鬱病は霧の如く消滅してゆきます。

その時に何もすることがないという言い訳は出てこなくなり、何かをしてあげたいという建設的な気持ちが芽生えてまいります。







柔軟思考【創造思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

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