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人生は長く険しく、それでいて儚く急ぎ足で流れて(過ぎて)いきます。
時間の観念と同様に、取り組む者の気持ちしだいで、人生というものは長くも短くも感じられます。
そうした人生行路の中で、コツコツと地道に徳性を磨いてゆくことは、とてつもなく虚しい努力に思えたり、かぎりなく無謀な冒険を試みたり、人の心の基準は激しく揺れ動くこともあるでしょう…。
プロ野球選手であれば、バッターは三割以上をコンスタントに打てば強打者と言われ、四割以上の成績を残せれば大打者と言われるでしょうが、徳性開発においての人生という大リーグでは、五割以上を修めなければ心の変革はありえないのです。
しかもこの五割では、まだ自己満足の世界でしかないといえます。
なぜなら自分は善悪半々程度の善行を施す自信や実績があっても、これを他者から見れば同じぐらいの悪行が見え、第三者は悲しいかなインパクトの強い悪行の方に軍配を挙げがちであるからです。
たとえ悪行が殆ど無かったとしても、善行をするかしないかの判断として見ても、自分では五割以上の善い行いをしていたと満足していたものが、他者からすれば半分近くは何もしていないように見えるわけで、けっきょく白か黒かという判定になれば、他者は(人間悪…性悪説…の持ち主は特にですが…)先入観を用いて、何もせぬ貴方の方を本来の貴方だと決めつけ易いのです。
ゆえに表舞台(メジャー入り)で継続的に活躍するためには、更なる自己研鑽が必要になります。
これは人間の性かもしれません。
ましてや固定観念が強い偏屈者に掛かっては、10のうち9まで達成した成果であっても信じてもらえず、たった一度の失敗を過大表現されて…。
『やっぱり失敗した…』
『今までの成果は無理して行った偽善だろう…』
…と、相手の性格を完璧に決め付けている迷妄者も存在します。
こうした片寄った極論に走る人に対しては、まったく問題外ですが、世間の目というものは、なかなか厳しいものであります。
ですから徳性開発において性格変革を臨むならば、八割以上を目指すしかありません。
しかもたまたま達した八割ではなく、はぼ継続的にステータスを維持できる八割でなければならないと想えます。
柔軟思考【八割思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm
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