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徳性開発

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地上界の本来の必要性

人が複数あつまれば、そこに会話が始まります。

会話は言葉を頼りにして交わされるわけですが、この言葉の流用が様々な変化をみせ、その時代の特色を形造って行きます。

かくして文化は栄え、次代へと引き継がれてゆくのであります。

この文化の綾を成すものは多種多様で、人の数だけの広がりを見せています。

しかし大まかな流れの中で見渡せば、大きな数本の流れの中に集約されています。

それは河川の流れのように、細々と流れる支流が合わさって小川となり、また数々の小川が集まって川を形成し、さらに各方面から川と川とが合流して大河となり、やがて海へと注がれる姿…。

文化の流れにも、こうした数本の時代的大河が存在するでしょう。

ひところ流行った共産主義も、北欧の大国崩壊を迎えて揺らぎつつありますが、現在の世界を席巻している自由主義も、いずれは崩壊する日が迫っています。

誰もが学校で学んだ進化論や、現代科学の巌となっている唯物論も、時の流れとともに傍流へと追いやられるでしょう。

しかし主義主張が発生するからには、そこに何らかの発生要因があると認めねばなりません。

何もないところに火の手は点かないのです。

火種となる発生要因は、火が点くだけの存在理由があったということです。

そしてその時点においては儚くも望まれたものでもあったのです。

こうした歴史上に発生した数々の主義主張・思想哲学・政治経済・文化宗教・その他あらゆる部門に跨って相容れない壁があるとするならば、それは形(物質)をメインに展開する三次元的発想に意識が留まって(固まって)いるからです。

その固まりを解き放ち、まるで氷を溶かした自由な水の流れに変換するように、思考における自由性を追求するべきで、これを三源思考として説明いたします。







柔軟思考【三源思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

人間関係には誤解や曲解が溢れている。

この理由は、偏見に満ちた先入観や、凝り固まった固定観念で他者を見て、その言動を独断で決め付ける人が多いからである。

この誤解を埋め合わせるものが会話である。

話し合いを通して相手の気持ちを知り、自分が今まで持っていた相手への所感を逐次、修正するための会話であり歩み寄りである。

しかし厄介なのは曲解である。

どのように細かく説明しても、その本意を捻じ曲げて解釈する人が後を絶たない…。

こうした曲解の手ぐすねを引いているものが、本人の主観に頼りすぎた先入観である。

これは簡単に言えば決め付けであるが、彼は何故ここまで剛情に決め付けるのであろうか…。

そうした彼が他人を見る場合、おそらく大半は善と悪との大枠に篩い分けられている。

白黒を明確にしないと判断できない硬い頭のままで、『あの人は善い人だ…。この人は悪い人だ…』と決め付けて、その主観による評価は変更の余地がないほど偏見に満ちている。

ここで先ほどの疑問点に話を戻すが、なぜ彼は、ここまで剛情に決め付けるのであろうか…。

それは彼の言うところの善悪の基準が、外見から見た形(見た目)を重視しているからである。

その内面にある複雑な想いが推測できないからである。

もともと根っからの悪人は居ないのである。

悪を重ねるには、それなりの理由があるのだ。

それとは逆に生粋の善人も居ないのである。

人間は完璧ではないから、時には失言もするし、時として不本意な行動も採らざる負えない…。

こうした心の内面を見ない(見ようとしない)ならば、偏見でしか他者を見分けられない人たちは、外見で善悪のケース分けをして、その分類で他者を選り分けるしか手立てはないのである。

『何故…』という推測、『どうしてだろうか…』という洞察を、習慣として持つ以外に解決は難しいのである。







生命の言葉【根っからの悪人は居ないが生粋の善人も居ない】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/inotinokotoba.htm

中津瀬の精神

何かに目的目標を持ち、その達成を追い求めて努力する人たちは、どことなく他者にはない輝きが感じられたりするでしょう。

その輝きを失わないために、また努力を怠りなく前向きに突き進む姿勢は美しいと想います。

真面目に取り組めば常人以上の成功を納め、自他ともに認める優秀な才能は、他者の憧れの対象にすらなるわけです。

だからこそ本人は更に頑張って突き進むのですが、その勢いが順風満帆すぎて、いつしか自分で納まりが付かなくなることもあるでしょう。

けれどもここで時おり立ち止まり、自らの意志で自制(コントロール)を効かせて、勢いの調整を試みることも必要です。

これとは逆に、何もすることがなく、何の努力もしないでも、それなりに幸せを感じて生きている人も居るわけで、彼らは世捨て人ではないにしても、ノンビリ、ゆったりと寛ぐことで、自分自身を見失わないようにしているのでしょう。

制限なく突っ走る人も、のんびり寛ぐ人も、どちらも一抹の真理を物語っておりますし、何ら否定の余地は無いかにみえますが、それらの両極が、『動』と『静』との両限(それぞれの限界)を知った上での本人の基本姿勢であれば、それはそれでOKかもしれません。

両極端を理解した上で、今の自分の歩調が最も良いと判断しているのなら、それが本人にとって最も良い精神状態だと想えるからです。

しかし両極端を知らないまま、『動』か『静』どちらかに片寄っているならば、残念ながら見識の狭さを観じさせます。

そして実践力の乏しさを認めざる負えないのです。

両極端を知った上での最も自分に合った歩調(ペース)を見い出すことは大切なことです。

これを中津瀬の精神といわれていますが、徳性開発の中では14思考の一つとして、中津瀬思考として取り扱いたいと想います。







柔軟思考【中津瀬思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

車の運転をしていると、自分が法定速度を守っていても、しきりに後方から詰め寄ってくる後続車がある。

車間距離は、せいぜい車一台分か、酷い後続車は数メートル(1〜2メートル)まで詰め寄ってくる。

十分な車間距離を保たない(保てない)運転手である。

彼らの運転の基準は常に自己中心である。

ましてや道路交通法など眼中に無いようである。

自分さえよければ何でも良いという身勝手、自分だけは事故を起こさないだろうという自惚れ、もしもの時には相手が悪いという無責任…。

詰め寄られた側(運転手)の気持ちなど考える余地もなく、クラクションを鳴らしたり、早く退けよ…と言わんばかりにジグザグ運転をしながら威嚇する、憐れな自己中運転手も居る。

こうした自己中運転手に後から詰め寄られたならば、安全地帯を選んで速やかに道を譲る方がよい。 

そして出来る限り関わりを持たない方がよい。

なぜなら彼らはトラブルメーカーだからである。

車に乗ると人格が変わる人が稀に居るが、必ずしもそうではないのだ…。

車という半自動機械に乗るからこそ本性を出してしまうのである。

もはや自家用車が一家に一台という時代は過去のものとなり、ほぼ一人に一台の新時代になりつつある。

車社会は、そのまま人間社会の縮図であるのだ。

人間も霊体としての貴方が、自動車という肉体に宿り(乗って)道路という人生を走っているに等しい…。

車社会の道路交通法は、人間社会では憲法であり、運転マナーは人としてのモラルである。

自分一人だけで気紛れに走って(生きて)いるわけではなく、道路(人生)には他車(他人)も供に前後左右に関わり合いながら走って(生きて)いるのである。

自分勝手でワガママな運転が、他車(他人)に与える影響は無視していいのであろうか…。

運転マナーは、他の車への配慮ではないだろうか…。

これは一重に道徳マナーも同じことである。

他車(他人)に対する配慮こそ、人としてのモラルであるはずだ。







生命の言葉【トラブルメーカーに気を付けよ】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/inotinokotoba.htm

無限の可能性

人生は長く険しく、それでいて儚く急ぎ足で流れて(過ぎて)いきます。

時間の観念と同様に、取り組む者の気持ちしだいで、人生というものは長くも短くも感じられます。

そうした人生行路の中で、コツコツと地道に徳性を磨いてゆくことは、とてつもなく虚しい努力に思えたり、かぎりなく無謀な冒険を試みたり、人の心の基準は激しく揺れ動くこともあるでしょう…。

プロ野球選手であれば、バッターは三割以上をコンスタントに打てば強打者と言われ、四割以上の成績を残せれば大打者と言われるでしょうが、徳性開発においての人生という大リーグでは、五割以上を修めなければ心の変革はありえないのです。

しかもこの五割では、まだ自己満足の世界でしかないといえます。

なぜなら自分は善悪半々程度の善行を施す自信や実績があっても、これを他者から見れば同じぐらいの悪行が見え、第三者は悲しいかなインパクトの強い悪行の方に軍配を挙げがちであるからです。

たとえ悪行が殆ど無かったとしても、善行をするかしないかの判断として見ても、自分では五割以上の善い行いをしていたと満足していたものが、他者からすれば半分近くは何もしていないように見えるわけで、けっきょく白か黒かという判定になれば、他者は(人間悪…性悪説…の持ち主は特にですが…)先入観を用いて、何もせぬ貴方の方を本来の貴方だと決めつけ易いのです。

ゆえに表舞台(メジャー入り)で継続的に活躍するためには、更なる自己研鑽が必要になります。

これは人間の性かもしれません。

ましてや固定観念が強い偏屈者に掛かっては、10のうち9まで達成した成果であっても信じてもらえず、たった一度の失敗を過大表現されて…。

『やっぱり失敗した…』

『今までの成果は無理して行った偽善だろう…』

…と、相手の性格を完璧に決め付けている迷妄者も存在します。

こうした片寄った極論に走る人に対しては、まったく問題外ですが、世間の目というものは、なかなか厳しいものであります。

ですから徳性開発において性格変革を臨むならば、八割以上を目指すしかありません。

しかもたまたま達した八割ではなく、はぼ継続的にステータスを維持できる八割でなければならないと想えます。







柔軟思考【八割思考】
http://www.geocities.jp/yumesaki373/14sikou.htm

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