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『をつとめ』という徳目は、文字じたいが見慣れない言葉かもしれません。
『をつとめ』の『を』の字を『お』ではなく『を』の字を当てているのです。
『を』という文字は、50音の中では一番最後に控えています。
つまり『おつとめ』ではなく『をつとめ』とした理由は、勤め(務め)という概念が、現代では甚だ捉え間違っているからであります。
ともすると、会社務めをしている人であっても、自分が働いてやっている…とか、会社じたいの成果は自分が働いてやっているからだ…とか、とかく人間は傲慢になって自己過信に陥り、自分が自分が…と我を張って、ますます個別意識に埋没して、独我の餌食にされやすいということです。
謙虚の徳性の中(さらに感謝の徳性の底辺)の『をつとめ』の徳目は重要な位置にあり、何事も1歩でも2歩でも身を引いて、直面している環境や境遇の中で自らの在り方を再確認しながら、仕事に生活に取り組んでゆく姿勢を磨くものであります。
昔から働くとは側の人を楽させてあげることだ…と言われてまいりました。
この働くという本来の意味を正しく掴んで、明日への活力に変えていただきたいと想います。
徳性【謙虚】 徳目『をつとめ』
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徳性開発
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人として地上に生まれ、さまざまな人生を生き、そしてやがて肉体生命の死を迎える…。
永遠なる人間の魂が、有限なる肉体に宿って、数十年の人生を生きるためには、そこに何かしらの目的目標が隠されていると想って間違いないでしょう。
人間は赤ちゃんとして生まれた時点で、一旦は過去世の記憶を失います。
まれに記憶を失わずに生まれ出た人がいても、霊界と地上界との波動のギャップに呑まれるうちに、急速に過去世の記憶は薄れていきます。
地上界に生まれるということは、そういうことなのです。
それを承知で皆が地上に出てくるのです。
誰もが地上に生まれる前に、天国で事前にそれを知っていたとするならば、自分で自分の将来(地上に生まれた後の…)において、何かしらの気付きを何かに託してきたとしても可笑しくはないでしょう。
それを本人の魂の傾向性と合致しやすい環境や境遇、人間関係や興味関心の中に託してきたとする方が納得できます。
そうであるならば、自分の人生を振り返って冷静に見渡してみれば、何かしらの足跡から逆算できるものがあるということです。
これは『こせい』の徳目にて語った内容でもありますが、人間の表面意識の記憶力には限界があり、すべてをありのまま蘇えらすことは難しいのです。
そうした観点に立って『ろんり』の徳目において人生の記録を残し、その記録を見事に読み解き、抽出した金の糸を縫い合わせて、自分なりの人生観を構築してゆくべきなのです。
徳性【謙虚】 徳目『ろんり』
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古事記・日本書紀の高天原神話によりますと、天照大御神の岩戸隠れの件には、大変貴重な真理が書き残されています。
この詳しい内容は、新創世記(第26巻)に譲るとしても、ここが今回の『ようき』の徳目の基礎に当たる部分なのであります。
近年とみに普及され、語られるようになってきた光明思想なるものが、日本においては神代の時代に既に捻出されていたのです。
この思兼神(おもいかねのかみ)によって編み出された光明思想は、時代の遍歴とともに進化して、近代的な光明思想に生まれ変わりました。
神代期における光明思想は、実は陽明思考(ようみょうしこう)と言われたほうが妥当だと想えます。
その理由を加味しながら『ようき』という徳目の説明を進めてみたいと想います。
ちなみに陽明思考は、天照大御神の御教えであり、その対極にある陰明思考は月読命(つきよみのみこと)の御教えであります。
そうしてかつて消えかけた日本神道の正真理(神道…かんながらのみち)が、近代において光明思想として復活したわけですが、この光明思考は多くの誤解曲解に歪められて、本来の正しい神ながらの道(神道)に迷妄の霧を煙出させてしまったのです。
徳性【謙虚】 徳目『ようき』
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『天は人の上に人を創らず。人の下に人を創らず…』
これは明治の文豪、福沢諭吉が遺してくださった聖言です。 基本的人権としての生命の尊さを推し量るならば、すべての人は分け隔てなく平等であります。 これが真実であり、神の意志であるはずです。 しかしもう一面があります。 これは魂の境涯において、その努力の度合いに応じて、真実の愛や真実の叡智を実現させた実践に伴なった過程と結果を見渡せば、ここにもまた新たな聖言が生まれてまいります。。 『天は人の上に徳を創り、人の下に教導を創りたもう…』 これを徳育といい、徳性開発といいます。 学問を推進された福沢諭吉の功績は、当時の全ての階級の壁を通り越して、多くの人々の心に学徳の必要性を植え付けることに成功し、その後の近代化に大いに貢献されました。 この学問の普及に伴なって、さまざまな分野が急速な進化を遂げたはずです。 個人の範囲で見ても、学校教育が果たしてきた成果は、誠に大いなるものであります。 昨今では教育の有り方を疑問視する風潮が多いですが、根本的な教育の有り方… 徳性【謙虚】 徳目『もとめ』
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『ほうし』という徳目も、本来は人間の魂の中に自然に組み込まれたもので、この『ほうし』の想いがあるからこそ、人間は間違いなく神の子であると証明されるでしょう。
誰に言われるでもなく、何に強制されるでもなく、何処かの誰かのために、何らかのお役に立ちたいと想う気持ちは、純粋個性の奥底から流れ出てくる大生命の慈愛そのものです。
この愛なる想いが、自らの想いとして、現在只今の自分に出来うる範囲において、たとえ無報酬であっても、何ら賞賛を得られなくとも、何気なく足が向き、そっと手を差し伸べる…。 こうした天来の性質が、もっとも真人間らしさを醸し出しているように感じます。 こうした想いと行為には、もともと身分も役職も、ありとあらゆる境遇も関係ありませんが、動機としての個別理由は必要かもしれません。 自分の気紛れでやりたい時にだけ手助けをするというなら、やはり心の何処かに見栄や酔狂が隠されている。 自分も相手も同じ生命が宿り、同じような辛苦を感じとりながら生活しているのだろうな…と、感じているからこそ、相手への手助けが自然に出来るのでしょう。 こう… |



