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「闇川峡谷」45 ケータイ投稿記事

ささやかな、歓迎会の後に、三人娘と河野は、賑やかに、宗太の新婚生活を祝して、思い思いにラッピングしたプレゼントを窓際の棚に並べ、それぞれの家に帰って行った。二階建ての洋館造りの、宗太のレストランは、一階がレストラン・ホールと厨房。これまで倉庫になっていた二階の二つの部屋のうち、東に窓、南にベランダ、バスルームが付いている部屋が、宗太の妻子を迎える為に改装中で、その部屋のクローゼットの脇から昇る梯階段は、屋根裏部屋に続いている。屋根裏部屋は、細長く、二つの天窓が並んでいて、天窓の下と、壁際に木箱を重ね合わせた書棚があり、書棚に入りきれない書籍の山に囲まれた空間に寝台がある。天井には、蘭学者相撲番付、世界地図、オランダ正月の銅版画などが貼ってある。寝台から天窓を見上げると、宇宙が見える…と、宗太は、思う。それは勝手気ままな独身生活の讃歌でもあった。子供時代に思い描いた、その夢を、自由に追いかけてきた宗太の、楽しい空間である。子供たちの秘密の南蛮玉手箱。オランダ正月、芝蘭堂、車孫十郎との出会い、順天堂三人組との出会い、益田孝ら洋行組との出会い、ついには、長州藩密航組の井上馨まで。宗太
の世界は、開国の時代の波に迷うことなくのって、広がり続けてきた。今はもう、新暦の正月で祝う人々は、オランダ正月などという物があったと、知りもしない。宗太は、寝台に寝転がりながら、しばらくボンヤリとしていたが、やがて、下北を離れる時に、広沢安任から餞別に貰った本を鞄から取り出して開いた。中村正直が翻訳したベストセラー、西国立志編である。内容は、産業革命を成し遂げたイギリス精神の、いかに生きるかについてのアドバイスである。広沢は、この本の翻訳者を良く知っていた。中村正直は、伊豆の農家の子で、父が幕臣中村某の株を買って武士になった。十歳で、幕府昌平坂学問所の素読吟味で優秀賞を貰い、のち、蘭学、英語を学び、慶応二年、幕府がイギリスに派遣した十二名の留学生の監督となった。ロンドンで、スマイルズのセルフ・ヘルプと出会い、西国立志編として翻訳した。昌平学問所の舎長であった広沢安任は、幕府瓦解後、路頭に迷い、藩閥独裁の明治に希望を失った元幕臣の若者たちに、勇気を与えた本であると言った。西国立志編に多大な影響を受けた者としては、やがて、徳富蘇峰、徳富蘆花兄弟の国民新聞記者となる山路愛山などがいる
。山路は、百石取りの幕臣の子で、幕府瓦解後、静岡に無禄移住し、無禄移住者の一家心中などが続く中、藩閥独裁の新政府の元では、生涯ウダツは上がらぬと絶望していた最中に、西国立志編と出会い、希望を抱いた。宗太は、西国立志編を読みはじめたが、すぐに、本を閉じてしまった。いつもなら、仕事を終えて、一息つき、あれこれと計画を練って、自信に満ちた充実した気分で眠りにつくものを、心が乱れて眠れない。ワインを飲んで、少し酔った。しかし、眠れない。広沢牧場から会津に入った妻子連れの新婚旅行で、宗太が接した人々。投げかけられた言葉、あるいは、小耳にはさんだ会話、そして何よりも、会津に入って、妻の親族から、投げかけられた言葉。敗戦後の会津に起きた激しい一揆。過去から吹く風の冷たさ、酷さ。もしかしたら、妻も、子供も、横浜に来れないかも知れないという不安。耳を塞ごうとしても、記憶の中に激しく響く、声、声、声。これまで、自分の周辺に起きた事以外、何も知らずにいた宗太だった。下北で聞いた事で、何よりもショックだったのは、宗太の長兄の勇太郎が兄弟のようにしてきた神保家の若殿、神保修理、長崎留学の経験もある神保修
理が、鳥羽伏見戦の後の大阪城内で徳川慶喜に単独会見、非戦論を説き、松平容保に切腹を命ぜられた事だった。広沢安任から教えられた時、泣き出しそうになった宗太である。諸外国の事情を良く知り、京都守護代時代は、軍事奉行添役として活躍した神保修理は、親友の勝海舟に告別の詩を書き送り、江戸の会津藩三田屋敷で切腹した。

「帰り来ん時よと親の思うころ、果敢なきたより聞くべかりけり…。」
神保修理の辞世の句をつぶやき、ポロポロと涙がこぼれる。昨日の事のように、修理の笑い声が、甦る。
「はははは、南蛮かぶれの宗太が作ったカステラを、明倫館教授の吉田寅次郎(吉田松陰)さんの土産にあげたって。驚いただろうなぁ、長崎平戸に留学し、江戸の佐久間象山塾に入って、ナポレオンや大砲、蒸気船の話に感動した寅次郎さんが、雪の会津で、カステラを作る鼻たらしの小僧がいるなんて知って、そうか、勇太郎さんの弟か、これは愉快だ。ハハハハ。アハハハ。」
神保修理の父、神保内蔵助は、田中土佐と共に、自害した。
「勇太郎兄さんは、俺に、何も語らないからな。無事でよかった、元気でよかった、無理するな…って。それだけだもんな。」
広沢から聞いた話を反芻してみる。
洋行組と言えば…、と広沢は言った。
山川大蔵は、慶応二年、幕府外国奉行小出大和守と、樺太国境談判のためロシアに渡り、欧州を回って帰国、戊辰戦争では、幕府伝習隊の大鳥圭介とともに日光口警備副総督として戦った。長州藩外国船発砲事件謝罪のためフランスに使わされた会津藩士佐原盛純。徳川慶喜の代理としてパリ万国博に渡った徳川昭武に随行した会津藩士、海老名季昌と横山主悦。海老名は、白河口副総督として戦死した。
洋行経験のある有為な人材を、失ってしまった内乱。会津藩の主戦派町野主水が、会津藩士の下北移住に反対して、広沢安任に切りかかったと会津で聞かされた。広沢安任が昌平学に入った同じ年、長州藩の藩命で昌平坂学門所に高杉晋作が入ったと聞いた。獄中の吉田松陰から、高杉晋作に、佐久間象山への紹介状が送られたという。老中、間部詮勝を殺そうとした梅田雲浜の参考人として長州から江戸に護送された吉田松陰に、高杉晋作は懸命に差し入れをした。和田倉門の評定所で死刑判決が出た。梅田雲浜は、山崎闇齋学を修めた儒者で、若狭小浜の出身、革命的気運に火をつけて歩く酒飲みの危険人物と見られていて、それが、長州に吉田松陰を訪ね、接待されて滞在した、頼まれて、松下村塾の額字を書いた。吉田松陰は、梅田雲浜が老中間部詮勝を白昼襲撃すると叫んだのに同調した。高杉晋作や久坂のような過激な者さえ驚いて、門人は皆、自重論を説いたという。何が本当なんだろう。死人に口なしだと宗太は思う。佐久間象山塾にいて吉田松陰と接触があった会津藩士山本覚馬は、失明し、京都で投獄されているという。宗太は、天窓から、暮れゆく空を見上げた。
闇の中に、少しずつ星雲が姿を現しはじめる。
幕末維新の動乱で、彗星のように消えてしまった星たち。
生き残って、またたく星たち。
南蛮かぶれの宗太は、どこを歩いてきたのだろう。開国の波に乗り、生き残ってきたのだろう。
多分、岩子おばさんに教えられた事からだ。
岩子おばさんの叔父さん山内春瀧は、喜多方の願成寺前で開業していた田中という蘭学医の次男坊で、産科医だったが、蘭学と会津心学(藤樹学)の研究家でもあった。
「そうだ、古川春英先生が脱藩して、緒方洪庵に会いに行こうとした、あの時だ。」宗太は、頭の中に、蘭学者の学統…を繋いでみる。青木昆陽、前野良沢、杉田玄白、大槻玄沢、宇田川玄真、坪井信道、緒方洪庵、それから…大鳥圭介、福沢諭吉、橋本左内、佐野常民(日本赤十字社)、大村益次郎。シーボルト、高野長英、それから、それから…、佐藤泰然と、林洞海、佐藤尚中、松本良順…。
宗太は、ふいに起き上がり、小声で呟いた。
「吉田松陰は、会津に来て他に比類なき日新館を見学した。素晴らしい。山鹿素行の墓。素晴らしい。雪の会津。鶴ヶ城、なんと美しい。四民平等の学都、ユートピア。藩主から百姓町人に至るまで、無学文盲の者はなく、いたずら盛りの子供でさえも、それも、武士の子供ではない日新館の生徒でもない、鼻たらしの小僧が、外国語の本を読み、オランダ菓子を作り、遠くから訪れた見知らぬ客に土産にする。南蛮かぶれの宗太と、その子を呼び、彼の先祖は、土津公の稽古堂の学徒であります故に…と、誇らしげに言う。長州藩校明倫館の若き教授吉田松陰は、佐久間象山塾で、山本覚馬に会い、広沢安任に会い、若者たちの自由な交流が深まる、素晴らしい会津。露天風呂に入れば、皆、親しげに話しかけてくる。越後から佐渡に渡り、秋田、弘前、盛岡、仙台、米沢、そして再び、会津に。三月下旬、雪どけの会津に入り、大塩宿についた。雪どけの、せせらぎ、磐梯山、飯豊山を仰ぎ見た。」
そして、再び、八千坪の敷地、四千坪の建物、まだ、うっすらと名残の雪が残る水練場(プール)がある、日新館と、鶴が城を仰ぎ見て、城下を離れて、闇川橋を渡り…?。」
宗太は、そこで、沈黙し、頭をかかえこんだ。
闇川橋のは、藩祖保科正之が師と仰いだ山崎闇斉の闇に、重なる。崎門と呼ばれる山崎闇斉学の流れは、孫十郎さんから聞いた公卿の事件、竹内式部、山県大弐に繋がり、橋本左内、有馬新七、梅田雲浜に繋がる。
嘉永五年の三月末、宗太は、闇川峡谷の橋の上で、立ち止まり、振り返って、会津若松城下を眺めみている吉田寅次郎の姿を見たような気がする。
長州藩の山鹿流兵学の杉家に生まれ、八歳で藩校明倫館の教授見習いとなり十八歳で、藩政改革の膨大な進言書を書いた天才児。彼は闇川橋を渡り、日光、足利、江戸へ戻るまでの冬の旅で、何を捨て、何を拾ったのだろうか。
あれこれと思いめぐらし、眠れぬままに夜明けを迎えた。






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嫉妬心までふつふつと…☆

ブログとっても素敵に思いました。
だから羨ましくもあり、嫉妬心まで…(汗)

ブログみながらコメントどうしようかと、、だいぶ迷ってたんですが、折角なので書き込ませて頂きました!

私にはない視点を沢山お持ちなんだなと思ったのと同時に、その幅の広さに私もそんな風に物事を捉えることが出来たら…なんて思いました。

そう思うのには理由があって解決できてない悩みがあるからなんです。
心細くてどうにかなってしまいそうなので、少しお話させてもらえたりしませんか?

harunan_n@i.softbank.jp

お時間ある時で構いません。
言葉って不思議で胸の中に入りやすい言葉とそうでない言葉があると思うんですけど、、留守番タロ子さんは前者だと思うんです。

迷惑だったらこのコメント事、私の言葉も全部抹消しちゃってください。

2015/3/28(土) 午前 1:00 [ sun***** ]


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