空の東半分が、真っ暗な不安定な空模様でしたが、厚生会館で開かれているイーゼル会展に行きました。世界の巨匠の展覧会を見に、はるばる旅するのも、楽しいですが、アトリエから歩いていける距離の、顔見知りの方々の展覧会も、アットホームでいいものです。明日の日曜日は、写生会に娘が参加します。イーゼル会に飾られていた高橋セツ子先生の人物像は、九月の写生会で、娘も同じモデルさんを描き、上三宮祭に飾っていただきました。フェルメール展の観覧と映画鑑賞からはじまり、ターナーまで、作品を通し、時を越えて、巨匠たちを身近に感じるのも楽しいのですが、やはり、今現在生きている人々と会話できるのは楽しいものです。●来場者の中に、遠藤忠一喜多方市長さんもあり、奥さんの孝子さんとは喜多方高校の同級生です。で、孝子さんの実家の近くの入田付が、初代喜多方市長穴沢喜壮次氏の出身地です。●穴沢氏は、成績がよいので、特別に、喜多方高校の前身、旧制喜多方中学が出来る前、会津藩士の子弟で占められていた会津中学に入学を許されました。それから上海の東亜同文書院にすすみました。で、あーなって、こーなって、ガリ版スリの、穴沢喜壮次回顧
録を喜多方市役所に差し上げてきました。市長も、親戚の芳賀教育長も不在でしたので、若い方々にお渡ししてきましたのて、気になっていたのです。●時代が違うとはいいながら、喜多方ラーメン渡ってきた、この時代の、凄い内容です。たとえば…●関東大震災当日、穴沢さんは、会津中学同窓の小桧山直登さんと会っていました。のちに満鉄総裁から運輸大臣で終戦を迎える小桧山さんは、関東大震災当時、満鉄事件で偽証罪に問われ一時満鉄予備員となっていました。
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