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しかし、ベルジャーエフの神との関わりは、この程度の認識では終わらない。共産主義下のソヴィエトで神との関わりを追求した彼の神体験には、今のわれわれとは違う厳しさを通過する必要があったに違いない。以下に彼が述べていることが、それらのニュアンスを伝えているように思われる。
“しかし、神的生における内的分裂、神に見棄てられたという意識、神への反抗等を、上昇への犠牲的道として生き抜くことは、はるかに根源的であり、誰にでもできることではない。宗教的体験が、神との超越的関係を、また悪との超越的関係を、通って行くことは不可避である。しかし同時に、宗教的体験が内在的な真実へ、神と世界を内在的に生き抜くことへと、行き着くことも不可避である。そしてあらゆる神秘的体験は、その極限において、超越的なものと内在的なものの一切の対立を取り除く。宗教生活にあって、客体としての与件、客体としての対象は存在しない。神、キリスト、奥義等のあらゆる客体化・外在化は、これらを平面へ不完全かつ便宜的なかたちで投影したものにすぎず、歴史的=文化的現象にすぎない。”

ここで語られている 「神的生における内的分裂、神に見棄てらてたという意識」と続く言葉の背景には、他者に計り知れない社会的な状況に置かれた中での、内的葛藤があったに違いない。そして遂に「神への反抗」が心に生まれてくるのを避けられないのだろうが、それを彼は「上昇への犠牲的道として生き抜く」。そしてこれを、「はるかに根源的である」と彼は体験する。この妥協なき厳しい神探求が、彼を組織化され、顕教化されたキリスト教を超えて進ませる基点になっていったのではなかろうか。そしてその道を通って、彼は「宗教的体験が内在的な真実へ、神と世界を内在的に生き抜くことへと、行き着くこと」を実現したのである。
そして遂に、「その極限において、超越的なものと内在的なものの一切の対立を取り除く。宗教生活にあって、客体としての与件、客体としての対象は存在しない。神、キリスト、奥義等のあらゆる客体化・外在化は、これらを平面へ不完全かつ便宜的なかたちで投影したものにすぎず、歴史的=文化的現象にすぎない」、と彼を言わしめるのである。
そして、彼の究極的な世界観が確立されていく。それは、《世界》は克服されるべきものであり、《この世》は「神の内なる人間の誕生という、内的・神的過程の一段階にほかならない」、という世界観である。これは、彼が信仰の明確さ、深さにおいて日本の無教会のレヴェルに達していないとは言え、「イエスは今も生きたもう、そのイエスと共に生きる」、と信仰的実存を表現する無教会の表現よりも、より真理に近いとわたしは考える。それは、恐らくベルジャーエフの生きた状況は、無教会の人たちが生きた状況よりも、はるかに厳しい立場を生きたからであろうとわたしは考えている。そこに、わたしは無教会から人生の探求を始めながら、ベルジャーエフを無視できない、避けて通れない要因があるのである。

そしてベルジャーエフの論説は、いよいよ最終段階に至る。それは、「絶対的なものが確立されるのは精神生活の深みにおいてであって、絶対的なものの何ら適用され得ない外的・相対的世界においてではない。‥‥‥そうした意識にとって神は人間精神に内在しており、《世界》は人間精神にとって超越的なのである」、となる。この、「神は人間精神にとって内在しており」という表現には、多くの問題があるものの、それを今は除外して、彼が到達した地点は、大変先進的だと言わざるを得ない。

さらに、彼の言葉を続けよう。「わたしは意識して二律背反に固執することにより、これを論理的・悟性的に退けるのではなく、これを生き抜きたいと思う。‥‥‥敢然たる二元論を通って、神的なものと《俗世》的なものの対立を通って、人間は神的生の一元論へと歩み入る。(中略)。こうして、神的発展・神的創造は成就し、一切の外的なものが内的となる。《世界》全体がわたしの道である」、となる。

彼の言うように、「《世界》全体がわたしの道である」なら、《わたし》の世界体験全体を通して、神的世界創造は続行されて行くのである! これは、藤井武の言う「子羊の婚姻」の、現代的な受容の仕方だと言うべきである。

そして最後に、「創造の意味」緒論における、「創造論」の最終章に至る。
ベルジャーエフは言う、“人間の究極の奥義は、人間の内なる神の誕生であり、神の究極の奥義は、神の内なる人間の誕生である”、となる。“そしてこれは2つの奥義ではなく、1つの奥義である。なぜなら、人間が神を必要としているばかりではなく、神もまた人間を必要としているのであるから。ここにキリストの奥義、神人の奥義が存する”、と続けている。この、「人間が神を必要としているばかりではなく、神もまた人間を必要としている」という神と人間との関係は、クリシュナムルティの「無量なるものと覚者との関係」の体験を、はるかに超えるものである。

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