「太陽の船」に乗る

気ままなブログを始めました!

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

(「層雲」2代目の主宰者、内島北朗作)

「ヨハネによる福音書」は、次のような書き出しで始まる。

“初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。”

というものである。

すでに3つの「共観福音書」が存在していたにも拘らず、それから30年以上が経過しながら、ヨハネのグループはなぜ「新しい福音書」を編纂しなければならなかったのだろうか?
それは、「共観福音書」では神の探求が不十分か、重大な欠落(または欠陥)があると認識していたからに 違いない。

「ヨハネ福音書」の書き出しは、生の探求としての神の探求が、言葉を通して行うことが最も適切であることを主張している。そしてヨハネの時代、言葉とは「旧約聖書」以外には存在しないのである。

ヨハネとは異なる時代に生きている私にとって、この「生の究極の探求」としての「言葉」は、「ヨハネ福音書に現れたイエス」と、「魔術師のタロット」としての言葉、そして同人「層雲」が追求した「自由律俳句」の学びと創作を通して探求することだと捉えている。この三者の融合点の実践に、私の現代における「神探求」が位置づけられているのである。

.
おおかわ地蔵堂
おおかわ地蔵堂
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事