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他に制作していたwebページも、すべて今月で提供されているサービスが終了する。 文字での分かち合いは、もう終わりにして良いということか。文字をいつまでもあてにしていてはいけない、ということなのでしょう。言っているだけなら、簡単すぎますから。 最近の私が日々糧にしているものは、聖書の他にはアウグスチヌスの「告白」と、齋藤宗次郎が残された内村鑑三言行録「恩師言」。後は、ずっと折に触れて読み続けている「藤井武全集」です。 今日はそれとは違いますが、ベルジャーエフの「創造の意味」を読んでの雑感から: (p.165)より; キリストが存在しなければ、神を信ずることができない。キリストが存在すれば、神は主人でも君主でも専制的命令者でもない。神はわれわれに近しい人間的存在であり、神はわれわれの内にあり、われわれは神の内にある。神自身が人間なのであり、これこそ、この上なく大いなる宗教的啓示、キリストの啓示である。 世界支配は、神と合体せる人類の仕事となる。 救い主たるキリストは、人間の損なわれ弱められた創造力を再興する。 キリストの新約の宗教は、世界創造の新たな局面を啓示する。神による世界創造は、ロゴスたるキリストの藉身の内に続行される。神人キリストの世界への出現は、世界創造の内なる新たな段階であり、その意義の上から言ってコスミックな段階である。神人キリストの啓示の内に、人間についての創造の奥義がようやく開示される。キリスト論とは、世界創造の続行についての教義である。そして世界創造は、聖霊の内においてのみ、つまり聖霊の内なる人間的創造によってのみ完結しうる。 世界創造の過程は、三位一体の位格をすべて通っていく。世界過程は三位一体の内に成就する。それゆえ、すべての地上的なものは、天上において成就する。 神の三位一体、父と子と聖霊の関係は、「縦列の関係」である。それゆえ、 父の時代があり、子の時代があり、聖霊の時代がある。これは神の経綸史と、個人の探求の発展史と、両方において言えることである。 |

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