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生死の境に立つ

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 もしもすべての探求の動機が弱まってしまったならば、欲求不満や成功しようという動機は死滅する。探求は存在するのか? もし探求がなければ、意識は腐敗し、よどんでしまうだろうか?

 いや逆に、あるがままのものを理解する本質的なエネルギーを衰弱させるのは、ひとつの関わりから別の関わりへ、ひとつの教会から別の教会へとさまよわせる、この探求である。
「あるがままのもの」は常に新しい。それは決して存在しなかったし、これからも存在しないだろう。このエネルギーを解き放つことは、あらゆる形態の探求が止んだ時に初めて可能になる。

 「生死の境に立つ」とは、「動機なき探求」、または「結論を求めない探求」を意味する。何故なら、〈結論〉を求めることは、〈生〉か〈死〉かのいずれかに堕することを意味するからである。
〈結論〉は〈暴力〉である。何故なら、私がもし、「何が正しい生き方か」という問題について〈結論〉を持ったとするならば、私は自分の〈結論〉に合わない者に対して見下す態度を取るか、相手を裁く姿勢で臨まないだろうか。本当は何ものも探求していないか、人よりも強くなりたいと考えている人だけが、〈結論〉を欲しがるのである。〈結論〉がある限り、〈理解〉も〈聴く耳〉もない。

 「キリストとは何か?」という問題に対して、おそらくは史上最も深い問題を提起した『ヨハネによる福音書』は、非常に興味ある記録を私たちに伝えている。それは18章37〜38節の下りである。

 イエスはローマの総督、ピラトの前で次のように言う。「私は真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から生まれた者は誰でも、私の声に耳を傾ける」。

 するとピラトがイエスに尋ねる、「では〈真理〉とは何か?」と。
ここから先へは話は続いていかない。それは質問者が〈結論〉を求めたからである。

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