|
新元号記念祝日も終わりを迎えようとしています。
メディアを始め、よくもこんなに浮かれたものだと感心しますが、
青梅の教会の責任者から、沖縄へ渡られ、沖縄名護チャペル協力宣教師となられた
宮村武夫氏のブログ論考が目に留まったので、それを以下に紹介します。
この私たちが立っている日本の状況下で、何を考えたらいいかを指し示す、
大事な道しるべを提供してくれているように思います。
論考の内容は、福井県で無教会キリスト教の証言と大学教育活動に携わっておられる、
島崎暉久氏の出版社「証言社」から1997年に発行された、『仰瞻・沖縄・無教会』への
論考である。その(1)で、宮村氏は以下のように分析される;
(*ここで特に「沖縄問題」を重要視するのは、戦後の日本をどのように位置づけ、私たちが未来を考えるべきかを捉える中心問題は、「沖縄問題」だと私も考えているからです。)
具体的に知る道は、事物を歴史の流れの中に位置づけて見ることにより開かれます。沖縄戦を孤立して見ないのです。その前史との関係で初めて具体的に知ることができます。
「沖縄の出来事が起こるまでには、国民が悪霊と共に歩んだ長い歴史」(『仰瞻・沖縄・無教会』の53ページ)、富国強兵策、国家神道、特に天皇を神に祭り上げる歩みがありました。この前史と切り離すことなく、「日本軍本土決戦を少しでも遅らせようとして持久戦法をとった」(56ページ)沖縄戦の悲劇を具体的に知るのです。
また、沖縄戦を、50年の戦後史とも切り離さず、具体的に知ろうと島崎先生は努めています。「本土の人々はこれまで、これら三十万以上の死者たちの叫びを無視して、日本の前途を切り開こうとしてきました。しかしこの沖縄の出来事を無視して、どうして新しい希望の前途を打ち開くことができましょうか」(52ページ)
戦後50年、アジアの諸国に謝罪せず、再び富国強兵の道を選び、「天皇を祭り上げ、国家神道を復活させるための仕掛けを着々と積み重ねて」(58ページ)きたのです。「今の日本には、平安はありません。ほとんど絶望的腐敗が全土に漂っています」(60ページ)
種々様々の社会現象は、「悪霊がわが国の心臓部へ入り込み、悪霊が働いていることの証拠」(60ページ)と、明治から今日までの近代日本の歴史全体の流れの中で、沖縄戦を位置づけ、具体的に知るのです。
詳細は、以下のWebページをご参照ください。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




