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物質は、神がキリストから生じさせたものであるーー政池仁より。
「魔術」という言葉が、運命における統合概念にならなければならない。われわれはタロットや占星学やパームリーディングやヌメロロジィなどを、魔術的に統合するのである。従って、魔術的とは「存在の変容」によって、ということを意味する。
相対者にして汚れたるわたしたちが、絶対者にして聖なる神によってとらえられることは、わたしたちに死をもたらします。つまり自己否定をもたらす。しかし、ひとたび死なしめられたわたしたちが新たに生かされることによって、わたしたちは神をとらえることが許されるのである。これは回心以外のなにものでもない。回心(存在の変容)とは、旧い生に死なしめられて、新しい生に生かされることである。絶対的に否定されて、絶対的に肯定されることである。
これを、絶対矛盾的自己同一の関係という(量義治氏の概念)。
ルターによれば、罪とは「自己自身へと屈折した心」、すなわち「自己追求」である。そして、信仰とは「己を離れて神の前に立つ力」とした。
これは、魔術的には、アリアドネが「自己追求」としての「赤い糸」を追求していた自分に絶望し、そういう自分の存在の全貌を余すところなく知らしめられて死に、死の絶界の孤島の果てで神の前に立った体験を意味する。その時、神はディオニュソスとして顕現したのである。
「自己確立」とは、自由な創造によって自己を確立することである。
自由とは「神の自由」であり、世界に認められようとする創造活動は、世界への隷従に過ぎない。
新たな生の創造のために「世界」から自由になる道こそ、罪から自由になる道であり、悪の克服である。 |

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