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クリシュナムルティの『The First and Last Freedom』という著書が、飯尾順生氏による翻訳で『最初で最後の自由』という題名で最近出た。
旧版は篠崎書林からJ・クリシュナムーティ『自我の終焉 ― 絶対自由への道』として、別の翻訳者によって出されていたものだが、長らく絶版であった。
今回、飯尾氏による新訳だが、題名の違いの通り、飯尾氏の訳の特色は原語に忠実な翻訳である。それに対し、『自我の終焉』は訳者がよく読み砕き、意訳したものである。
一般的には原語に忠実な翻訳が無難なわけだが、翻訳者が原版を十分に血肉化して理解している場合、意訳を加える方が意味が生きてくることになる。それが異なる原語の翻訳の難しいところであろう。
例えば、第7章「努力」の項で、『自我の終焉』では;
❝ それではもし逃避しようとしなければ、どういうことになるのでしょうか。その人はその孤独と空虚と共に生きることになります。しかもその空虚さをそのまま受容したとき、奮闘の努力とは何の関係もない創造的状態が出現したことに、私たちは気づくのです。私たちが内面の孤独や空虚さを回避しているときにのみ、努力が必要なのです。しかし私たちがそれを見つめ、観察して、あるがままのものを避けずに受け入れたとき、私たちはあらゆる奮闘が消えてしまったある状態が生まれたことに気づくのです。その状態そのものが創造なのです。そしてそれは、奮闘の結果ではないのです。
このようにして、あるがままのもの――つまり空虚さと内面の不十分さ――を理解し、それと共に生き、完全にそれを理解しきったとき、創造的な「真の実在」と創造的理解力が誕生するのです。しかもそういうものだけが幸福をもたらすのです。❞
という箇所は、飯尾氏の『最初で最後の自由』では;
❝ さて、人が逃れるための努力をしないとき、何が起こるでしょうか? 人はその孤独、その空虚とともに生きます。そしてその空虚を受け入れる中で、争い、努力と何の関わりもない創造的な状態が生じるのを見出すでしょう。努力は私たちがその内面の孤独、空虚を避けようとしているかぎり、そのときのみ存在するのです。しかし、私たちがそれを注視し、それを観察するとき、私たちが{あるがままのもの}を避けることなしに受け入れるとき、私たちは争いすべてが止んでいる存在の状態が生じているのに気づくでしょう。その存在の状態が創造性であり、それは争いの結果ではありません。
しかし、{あるがままのもの}の、それは空虚であり、内面的な不十分さなのですが、理解があるとき、人がその不十分さとともに生き、それを十分に理解するとき、創造的な実在、創造的な英知が生じ、それのみが幸福をもたらすのです。❞
となっている。
どちらの翻訳の仕方が良いと感じるかは、われわれ次第だろう。 飯尾氏とは面識はないが、15年ほど前にメールによって、クリシュナムルティについて10度以上の対話を重ねたことを記憶している。大変誠実な方である。今回の新訳出版に、心からの祝福を申し上げたい。
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クリシュナムルティ
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DB:それは新しいものでしょうか・・・・・・
K:・・・・・・それは地上のパラダイスでしょう。
DB:それは新種の有機体のようなものでしょう。
K:もちろん。しかしいいですか、私はこれに満足していません。
DB:はて、それは何でしょう?
K:私はこの量り難いものを、幾つかのわずかな言葉に引き下げたまま、満足は出来ません。それはとても愚かで、とても信じられないことに思えます。あなたは『非覚者』の方を向いて見ると、彼は「私に示してください」「私にそれを証明してください」「それにはどんな利益がありますか?」「私の未来に影響があるのでしょうか?」、というような態度を取っています。あなたはそれを追いかけますか? 彼はそのすべてと関わっています。そして彼は、この取るに足らないものに慣れた目で、『覚者』を見つめています! 従って、彼は量り難いものを自分の卑小さに引き下げ、そしてそれを寺院に入れるので、それを完全に失ってしまうのです。しかし『覚者』は言います、「私はそれを見さえするつもりはありません。あまりにも莫大なあるものがあるのです、どうかそれを見てください」と。しかし『非覚者』は、大宣伝や証拠、また報酬を求めているので、それをいつも自分に合わせて解釈し直すのです。彼は常にそれと関わっています。
『覚者』は光をもたらします。それが彼に出来るすべてです。それで十分ではありませんか?
DB:光をもたらすとは、他の人々が無量なるものに向かって開かれるのを可能にする、ということでしょうか?
K:それはこのようですか? 私たちはただ小さな一側面を見るだけですが、その非常に小さな部分は、無限へ広がりますか?
DB:何に関する小さな部分ですか?
K:いいえ。私たちはただ量り難いものだけを非常に小さいものであるとみなします。そして、その量り難いものが宇宙全体です。私には出来ませんが、それは『非覚者』に、あるとてつもない影響を与えなければならないと思います;社会的に。
DB:確かにこの認識は影響を及ぼさなければなりませんが、現在、これは社会の意識にはないように思えます。
K:分かっています。
DB:しかし、影響はそこにあると、あなたはまだ言われますか?
K:はい。
DB:あなたは、小さな一部分の認識さえ、無限なるものであるとおっしゃっているのですか?
K:むろん、むろん。
質問者:それは変動する要因自体の中にあるのですか?
DB:あなたは、人類がたどっている危険な道から、コースを転じるようなことが可能だとお思いなのですか?
K:はい、それが私の思っていることです。しかし、人間の破壊的な進路を転ずるためには、誰かが耳を傾けなければなりません。いいですか? 誰かが――10人の人々が――耳を傾けなければなりません!
DB:はい。
K:その量り知れないものの招きに、耳を傾けてください。
DB:それで、無量なるものは人間の進路を転ずるかもしれません。個人には、それはできません。
K:はい。 個人はそれができません、明白です。しかし『覚者』――彼は個人であると思われていますが――は、この道を行きます。そして、「耳を傾けなさい」と言います。しかし人は聴きません。
DB:さて、人々に耳を傾けさせる方法を発見することは出来ますか?
K:いいえ、その時は私たちは(振り出しへ)戻っています!
DB:あなたは何をおっしゃっているのですか?
K:(そんなことは)するなということです。あなたは何もすることはありません。
DB:何もしないとは、どういう意味ですか?
K:私は『非覚者』としてハッキリと理解します、私のすることは何でも、――それが犠牲や実践や放棄かどうかに関係なく――私のすることは何でも、私は依然としてその暗黒のサークルの中で生きているのだと。だから『覚者』は、「行動しないでいなさい。あなたがすることは何もない」、と言います。あなたはこの道をたどりますか?
しかし、それは『非覚者』によって(自分のレベルに)翻訳されます、彼らは待つこと以外のあらゆることをします。そして、何が起るか見てください。卿よ、私たちはこれを追求しなければなりません。さもなければ、それは『非覚者』の観点から、すべてがあまりに絶望的です。 この項〈完〉
*原題は『Can Insight be Awakened in Another?』の全文です。
対話の中で、immensity は常に K では定冠詞なしに語られ、一方、DB はいつも the を付けて使用しています。二人の微妙な考えの相違があるのでしょう。K では「量り知れないもの」「量り難いもの」と訳し、DBでは「無量なるもの」としました。ご了解ください。
クリシュナムルティは次のように述べている;
変容とは「愛し、理解し、慈悲深くあること」 |

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K:それで、〈基底〉は彼を用いていて、彼を雇っていると言うでしょう。彼はその運動の一部です。それがすべてですか? あなたは私が言っていることを続けますか? 私は間違った質問をしているでしょうか? 彼は何故、何かをすべきなのですか? この問いかけを除きますか?
DB:おそらく、彼は何もしません。
K:その実際に何もしていないこと、それが行為かもしれません。
DB:何もしないことが、〈基底〉の作用を可能にします。多分。どんな特定な目的を持っていても、何もしないこと.....。
K:そうです。人間の用語に翻訳できる、ハッキリした内容は何もありません。
DB:はい、それでも、彼は何もしていないのに、最高に活発です。
質問者:その人にとって、時間を超えた行為はありますか?
K:彼がそれですが.....。
質問者:それにしても、私たちはその人から結果 を尋ねることができません。
K:彼は結果を求めていません。
質問者:しかし、『非覚者』は結果を求めています。
K:いいえ。おそらく『覚者』は言います、「私は教えること、などなどに関わっていますが、それは非常に小さなことです」と。しかし、人類全体に影響を及ぼさなければならない広大な分野があります。
DB:それほど良くない類似かもしれませんが、私たちはそれを考えることが出来ます。化学では、触媒は、それ自体を加えることなしに、単にそれがあるということだけで、ある行為が可能になります。
K:はい、それは、起こっていることですか? それさえ小さい事柄ですが。
DB:ええ。
質問者:そしてそれでさえ、『非覚者』は、それが起こっていないと言うでしょう。何故なら、世界は依然として混乱しているからです。それで、その人の活動において、この世界に真実はありますか?
K:『覚者』は、彼は残念だと言いますが、しかしそれは全く問題ではありません。私は何かを証明することに興味がありません。その示されるべき、かつ証明されるべきものは、数学や技術の問題ではないからです。『覚者』は、彼は人の始めから人の最後の最後まで歩いて、そして、時間のない運動がある、と言います。〈基底〉は、宇宙であり、コスモスであり、あらゆるものです。そして、〈基底〉はその人を必要としませんが、その人はそれに遭遇しました。そして、依然として彼は世界の中では一人の人間です。彼は言います、『私は書き、そしてあることか、または別 のことをします』と。〈基底〉を証明するためではなく、何事かをするためでもなく。『覚者』はまさに哀れみの気持ちから、それをします。しかし、世界で必ず一つの役割を務めなければならない、遥かに大きな運動があるのです。
質問者:より偉大な運動としての一つの役割は、『覚者』を通 して演じられるのですか?
K:むろんです。『覚者』は、言葉に盛ることのできない、他の何か作用しているものがあると言います。彼は尋ねます、「私は何をすべきですか?」と。『非覚者』のような者が理解するであろうような事は、何もありません。彼はすぐに、それをある種の非現実的なものに翻訳するでしょう。しかし、『覚者』は、他の何かがあると言います。 さもなければ、それはすべてあまりにも子供じみています。
DB:私は全般的な見方として、人々が今発展させているものは、宇宙には何の意味もないと考えています。それらはどんなものも古いやり方と同じに動いており、色々なことはただ起り、そして、それらのいずれにも、いささかの意味もありません。
K:それらのいずれも、こちらにいる人(此岸の人)には意味がありません。しかし、あちらにいる人(彼岸の人)、どちらかと言えば話し手は、それは意味でいっぱいであり、そして思考によって発明されたものではないと言います。
よろしい、茫漠さ、そしてそのすべてを捨てましょう。『覚者』は言います、おそらく、この洞察を持つ人々が10人はいるでしょう、そしてそれは、社会に影響を及ぼすかもしれない、と。それは、共産主義や社会主義、また、これかあれかの政治的な再編成にはならないでしょう。それは完全な動向であり、知性と慈愛に基づいたものでしょう。
DB:ええと、もし10人がいたなら、彼らはこれを更にもっと広げる方法を見つけるでしょうに。
K:それが、私が実現しようとしていることです。
DB:あなたの言っている意味は何ですか?
K:『覚者』は宇宙をもたらしますが、私はそれを何かつまらないものに翻訳します。
DB:あなたは、人類全体がこれを理解したなら、それは異なる何ものかになるだろうと言っていますか?
K:おお、もちろんですとも!
( 続 く )
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〈始め〉からすべてを通って来た人の役割 (7)
クリシュナムルティの『The Ending of Time』より私訳:質問者:『覚者』の他の活動はどうですか? 私たちは、彼には教える仕事があると言いましたが、その『覚者』には、また他の活動もあります。
K:彼は他の活動も持たねばなりません。必ず、です。
質問者:でも、何故?
K:私は知りません。 私たちはそれを見つけようとしているのです。
DB:あなたは、人類の全体的意識の中で、なぜか〈基底〉の活動が可能になると言っています。それは、『覚者』なしには可能ではありませんが。
K:ええ。
質問者:『非覚者』との彼の接触は、言葉に依るものだけではありません。『非覚者』は聴きます。が、ある他の性質があります....
K:ええ。『覚者』はそのすべてが、取るに足らない小さな事であると言います。それはもちろん分かりますが、『覚者』は、はるかにもっと大いなるものがあると言います。
質問者:『覚者』の影響は、おそらく言葉の中のものより、はるかに大いなるものです。
K:私たちは、必ず働いてくれなければならない、より大いなる何ものかを見出そうとしています。
質問者:それは『覚者』の日常生活に現れる何かですか?
K:はい。日常生活では、見たところ『覚者』はまあまあ小さな事をしています――教えること、書くこと、帳簿をつけること、またその他何でも。 しかし、それがすべてですか? それではあまりにバカげています。
DB:あなたは、日常生活では、『覚者』は他の誰ともあまり違っては見えない、と言っているのですか?
K:いいえ、そんなことはありません。
DB:しかし、明らかにならずに進行している、他の何かがあります。いいですか?
K:その通りです。『覚者』が語る時、それは(誰もが言うこととは)違っているかもしれません、彼は物事を違った風に言うかもしれません、が....
DB:....それは根本的ではありません、何故なら、他の人たちとは違った風に言う人々は、あまりにもたくさんいるからです。
K:知っています。しかしその人は、〈始め〉からすべてを通 って、申し分なく歩いて来たのです! そのような人が、その訪れるエネルギーの〈全体〉を持っているなら、そのすべてを、これらの取るに足らない小さなものに分解するのは、バカげて見えます。
DB:一つ私に質問させてください:〈基底〉は何故、この人が人類に働きかけるのを必要とするのですか? 〈基底〉は何故、物事を解決するために人類の上に直接働きかけてこなかったし、働きかけることが出来ないのですか?
K:アー、ちょっと、ちょっと待ってください。あなたは〈基底〉が何故、行為を要求するのかを尋ねているのですか?
DB:何故それは、特定の人間が人類に影響を与えることを必要とするのですか?
K:おお、それは簡単に説明できます。それは存在の一部です、(宇宙の)星のように。
DB:〈無量なるもの〉は直接人類に行為することが出来ますか? それは人類の〈意識〉に入るために、一人の人に教えなければならないのですか?
K:私たちはそれとは違う、別のものについて話しているのです。『覚者』が言うなら、私は書くことと話すことだけにし、それを変えないように注意しようと思います。人に分かりやすく変えることは、あまりに小さなことであり、取るに足りないことだからです。
そしてその別の質問とは、〈基底〉は何故この人を必要とするのか、ということですね。それは彼を必要としません。 DB:しかし、彼がここにいる時は、〈基底〉は彼を使うでしょう。
K:それはそうです。
DB:さて、〈基底〉がこれを解決するために、何事かをするかもしれないというのは、可能でしょうか?
K:それが、私が見出したいことです。それは私が、〈基底〉はその人を必要としない、だが、その人は〈基底〉に触れている、と別の言い方をしている理由です。
DB:はい。
( 続 く )
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DB:私は、「何が宇宙、または〈基底〉における人類の意味であるか」という問いかけが必要だと思いますが。
K:はい、そうですね。
DB:それは、私たちがしているこれらの小さな物事の最善なものさえ、そのレベルでは非常にわずかな意味も持ってはいないからです。いいですか?
K:そうです。まさに重要なところが開かれつつあります。私が思うに、『覚者』は何かをするにせよ、何もしないにせよ、彼の非常な存在は・・・・
DB:彼は何かを可能にしている・・・・?
K:はい。あなたがアインシュタインについてお読みになれば分かりますが、彼は人が発見できない前に、何かを可能にしました。
DB:私たちはそれを公正に、容易に理解することができます。何故なら、それは社会の普通の分野を通して働くからです。
K:はい、それは分かります。小さいことは別にして、『覚者』は何をもたらしていますか? それを言葉で表すと、間違って捉えられるかもしれませんが。
『覚者』には莫大な知性があります、エネルギーがあります、何ものかがあります。そして、彼は人が考えるよりはるかに大きなレベルで作用しなければなりません。それは、暗黒に生きる人々の意識に、影響を及ぼさなければならないのです。 DB:おそらくそうです。質問は、「この影響はどんな方法で示されるか」でしょうか?
(影響を与える方法は)あなたがはっきりとご存知です。 K:でも、私はそうはしたくありません。もしあなたがテレビかラジオのニュースを聞いて、世界中で何が起こっているかを知っているなら、明かに、そのようにはしません。
DB:それは難しくもあり、非常に重要な問題です。
K:しかし、それは影響しなければなりません。それは、しなければならないのです。
DB:何故あなたは、それはしなければならないとおっしゃるのですか?
K:光は暗黒に影響を及ぼさなければならないからです。
DB:おそらく、『非覚者』は暗黒に住んでいて、そのような影響があるというのは定かではない、と言うかもしれません。彼はおそらく「そんな影響があるのなら、それをはっきりと見たい」、と言うかもしれません。そして彼は何も見ずに、依然として暗黒の中にいるまま、尋ねます、「私は何をしたらいいのでしょうか?」と。
K:分かります。そこであなたの言っていることは、『覚者』の単なる活動とは、ただ書くこと、教えることなどなどだけだ、ということですか?
DB:いいえ。それはおそらく活動はそれよりはるかに大きいが、単に目立たそうとしない、ということかもしれません。私たちがそれを分かりさえすればいいでしょう!
K:それはどのように示されますか? その証明が欲しい『非覚者』は、どのようにそれを分かりますか?
DB:『非覚者』は次のように言うかもしれません:多くの人々が類似した声明を出しました、と。そして彼らの何人かは、明らかに間違っています。しかし、人は、それが本当であるかもしれないと言いたがります。
それらが現在に至るまで私たちに言われてきたことを考えると、これからもある程度言われ続けます。そのことはあなたもご存知でしょう。 K:ええ、私はそのすべてを分かっています。
DB:そして今、あなたははるかに遠くへ行くためのことを言っています。
他の人々は、彼らは間違った道を歩いており、彼ら、または少なくともそれらの人々の何人かは、自分自身をだましていた、と言っています。そして『非覚者』もそれを感じています。 K:いいえ。『覚者』は言います、私たちは筋が通 っていると。
DB:はい。筋としては、私たちは今のところから、これ以上どこへも離れては行かないでしょう。
K:それは大変結構です! 私たちはそのすべてを通 って来たのです。そこで、『覚者』の心は分別のない働きをしません。
DB:あなたは、『非覚者』が物事にはそれなりの理由があったことが分かると、さらにそれに勢いづいて、その調子でもっと遠くまで行けるというある種の自信を持つかもしれないと言いました。
K:そうです、それが私の言わんとすることです。
DB:もちろん、証明は全くできませんが。
K:いいえ。
DB:それじゃ、私たちはそれを調べられるのですか?
K:それが、私がしようとしていることです。
( 続 く )
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