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『souvenir d’Anne Frank』

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★バラとの出会い★

このバラと出会ったのは6年前。
ある方から「こんなバラがあるんだけど」と紹介されたのがはじまりだった。

当時アンネのバラは、商用として販売されていなかったが、アンネのバラを株分けをしながら少しずつ広まっており、その数1万本と言われていた。

その後縁あってアンネ・フランクのお父さんとお会いしたことがある方から、話を伺うことができた。
それ以来「アンネのバラ」に魅力を感じている。

★アンネ・フランクとは?★

「アンネの日記」「アンネ・フランク」という言葉を一度は聞いたことがないだろうか。
私は始め「アンネの日記」という本のタイトルしか知らなかった。
どんな事が書かれているのか興味をもっていなかった。
そんな方もいらっしゃるのではないだろうか。なので私なりの解釈でおさらいをしてみようと思う。

アンネ・フランクといえば、ご存知の方も多いはず。
『アンネの日記』の著者である。
この本は、アンネの家族など8人が隠れ家で生活をしていた2年間の日々の出来事が綴られている日記が元になっている。

両親から13歳の誕生日プレゼントにもらった日記帳に書き始めたのがきっかけだった。
その頃、ドイツではアドルフ・ヒトラーが政権を握り、優秀で富を持っているとされたユダヤ人を迫害する計画を立てていた。その方法はユダヤ人を他の民族と差別することから始まり、ユダヤ人を虐殺する方へ向かっていった。
姉に届いた”召集令状”を機に一家は隠れ家に移り住むことになり、かくまってくれていた人々の協力のもとスタートした。
隠れ家での生活は大変なものだった。明かりや小さな物音ひとつ立てないように常に気をつけながら生活しないといけなかったからだ。
そんな窮屈な生活の中でアンネは活発に日々を生きていた。将来の夢も抱いていた。
どんなに苦しくても希望は捨てていなかったのだと思う。

しかしある日密告によりアンネたちの隠れ家は発見され捕まった。
強制収容所では性別・世代別に機械的に分けられた。
アンネは姉と共に収容されたが、両親とは離れ離れになってしまった。

そして―
1945年3月。チフスにかかり姉の後を追うかのように15年という短い生涯を終えた。


家族で生き残ったのは、父「オットー・フランク」のみだった。
アンネたちが捕まった後残されていた「アンネの日記」は大切に保管されており、生還した父の元へ帰った。
そしてこの日記が、現在『アンネの日記』として多くの人に読まれている。

★ちなみに★

ホロコーストという言葉をご存知だろうか。
ホロコーストとは、ヒトラー率いるナチス軍が行ったユダヤ人大量虐殺のことを指す。

収容されていたユダヤ人600万人のうち150万人は子供だった。
広島県福山市には、その子ども達を祈念した日本で最初のホロコースト記念館がある。
2007年新ホロコースト記念館が建てられ資料館の規模が大きくなった。
この中には、アンネが隠れ家の中で自分の部屋として使っていた部屋が再現されている。
この他にも、兵庫県西宮市にはアンネのバラ教会、東京都にはホロコースト教育資料センター などがある。

★『souvenir d’Anne Frank』とは?★

『souvenir d’Anne Frank』とは、「アンネ・フランク」を偲んだバラだ。
アンネの日記を読んだベルギーの園芸家が新品種のバラをつくり父オットー氏のもとへ贈られた。
日本へは1972年のクリスマスにオットー氏のもとから贈られてきた。
贈られてきた10本の苗は、日本に着いた時そのほとんどが枯れてしまっていたが、1本の苗が根付いた。そして接ぎ木して増やされ全国に広がっている。その数1万本以上と言われている。

このバラの特徴は、色の変化だ。
蕾の時は真紅。開花につれオレンジ・ピンク・黄色など刻々と色を変えていくとても不思議なバラだ。
また色の変化はアンネの成長を表しているといういわれもある。
15歳で生涯を終えてしまったアンネだが、今世界中で咲き誇っているのだ。



岐阜県可児市の花フェスタ記念公園にもアンネのバラ庭園がある。
お近くの方は是非行って見て下さい。
ここまで読んで下さりありがとうございました。






★最後に…★

話が大きくなってしまいますが…
私は17歳の頃アンネのバラと出会った。そして同世代という共通点から彼女に興味をもった。
また文章を書くことが好きという点でも彼女との接点を感じた。
今や私も大人になり彼女が歩むことができなかった時を自分なりに歩んでいる。
「平和」な世の中が当たり前となっているが、第二次世界大戦の終わりからまだ70年ほどしか経っていない。私は戦争を知らない世代だ。だが私なりに”戦争”があったことを子供に伝えたいと思い続けている。そしてこのバラのことも。

「平和を願う」ってどうするの?と思われるかもしれない。
私なりの解釈だが、今生きているこの時を大切に思えば、それが「平和を願う」ことに繋がるのではないだろうか。家族や友達大切な人と過ごす今日を大事にすればいいのだと思う。



― アンネの言葉より ―
     もし神様が私を長生きさせてくださるなら、
     私はつまらない人間で一生を終わりたくありません。
     わたしは世界と人類のために働きます。


アンネたちが望んだ「平和な世の中」が一日でも長く続き、二度と同じ過ちがおきないよう願っている。

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