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横浜市民にとって「野毛山」はある種の感慨があります。
野毛山は関内地区と横浜駅地区との中間のある小山で、港を正面から見下ろす位置にあります。
南山稜には野毛山動物園があって、北山稜には図書館、能楽堂など文化施設が並んでいます。
そして、伊勢山皇大神宮の社殿があります。
東京都民にとっては「上野山」、横浜市民にとっては「野毛山」が憩いの場所でありました。
その、伊勢山皇大神宮の道祖神を見に出掛けました。
桜木町の駅を降りて紅葉坂を登れば、右手に文化施設群、
左手に伊勢山皇大神宮の石段が見えてきます。
二つの鳥居を潜って、振り返れば正面にランドマークタワーを初めとした高層ビル群が迫って見えます。
あんまりにも真正面なので・・・・、少し圧迫感を覚えます。
昔は紅葉坂からは横浜港全体が見下ろせました。
どちらかといえば「良い風景を奪われた・・・」そんな印象を持ちます。
伊勢山皇大神宮は野毛山山頂にあります
この境内に5基の道祖神が祀られているのです。
私は探して周ります。
何処にあるかな?
何処に祀れば、拝まれるかな?
何処に置けば、見てもらえるかな?
孟宗竹の竹林の横に、
躑躅の植え込みの前に、
石段の踊り場に、
駐車場を出て、社殿への参拝路の正面に、
さりげなく、視線の方角に祀られていました。
作風は千曲川流域のそれです。
花崗岩の自然石の中央にお月様を刳り抜いて、その中央に双体の道祖神を陽刻しています。
塩田平や望月辺りに良く見かけるデザインです。
やさしく穏やかな表情、男神は衣冠束帯、女神も和装で長い髪、大きな丸髷・・・、正装です。
2人の神は手を握り合い、もう一方の手はお互いの肩に、腰にやっています。
お互いが愛しみあっている・・・・、そんな愛の情景です。
作者も、出来た年代も同じ、現代の双体道祖神です。
でも、中々良く出来ていますし、鑑賞に値する道祖神です。
加えて、皇大神宮にお宮参りした折に拝観するには、相応しい「平和な神様の姿」です。
(塩田平、別所温泉道祖神。私は皇大神宮の道祖神は望月辺りの石工の作だと想像します)
私は道祖神という字は書き改めて「童祖神」としたら良い・・・思っています。
以前鎌倉腰越で取材した時、辺りの道祖神が道路整備のため移されることになり、
自らの屋敷を割いて祠を建てられて篤信家がその動機を言われました。
「道祖神様は子供の守り神様でしょう。私の家も当時2人の子供を育てていました。ですから手を上げて屋敷の道路面を割いて祠にしました」
神社には子宝が欲しい・・・に始まって、初宮参り、七五三参り、など子育てで参る事が多いのです。
ですから、童祖神は適切なのです。
(竹林前の双体道祖神、平成13年頃の作、丸顔・正装の合いむつまじい姿が「斯くありたい」と思わせてくれます。それが道祖神の現代の教えでしょう。H62、W50像高27cm)
私はお巫女さんに尋ねました。
「此処の道祖神様は、どんな謂れで祀られたのですか?石工さんはどちらでしたか?」
すると、「宮司を連れて来ますから・・・・、お待ち下さい。」
奥に消えました。
暫くして宮司が出てきました。
私の質問に凡そ以下のように答えます。
「此処の道祖神は平成13年頃、前の宮司が独断で奉納したものである。
宮司は八ヶ岳の麓が故郷であったから、その辺りの石工に注文したものであろう。
道祖神は民間の俗信であるから、当皇大神宮とは無縁であります。」
私は先人の調査報告(ブログ)に書いてあるのを思い出しました。
「今度来られても、道祖神は在るか、無いか解りませんよ・・・・・」
道祖神ファンにとっては穏やかではないし・・・・、何処か不遜な臭いがします。
「ああ、この宮司の発言なのだな・・・・・!」思いました。
駐車場脇にある祝言型双体道祖神、H63、W43、像高28cm
こう言われると、私も残念です。
私は道祖神こそ現代に生き残る神道だ・・・と思っています。
そこで、この伊勢山皇大神宮の歴史を紐解いてみます。
大半の神奈川県民は知らない事だと思いますが・・・・、歴史を如実に表しているのです。
西側石段踊り場の双体道祖神、祝言型。横顔が愛らしい
横浜の山の手には西洋文明の住宅、学校教会などが相次いで建築されます。
キリスト教に代表される西洋文明の嵐を浴びる中で、横浜に日本人の精神的支柱を確立する必要がある・・・主張する人たちが出現します。
山の手に相対する野毛山の山頂に伊勢神宮の遥拝所を建立する建白書を提出、
許可されると、明治4年社殿が完成し、遷座が行われました。
以来、関東にあるお伊勢さん、横浜の総鎮守として知られています。(この段はホームページの表現)
ですからこの神社の祭神は伊勢神宮と同じ天照大神なのです。
駐車場から本殿前に向う坂道にある双体道祖神、男神は女神の胸に手を当てています
宮司一族は欲にかまけて脱線し始めます。
目の前が三菱重工の工場群であったのが、東京駅前のような都市群になる・・・・、
その情景を目の前にして、計画を立てました。
”皇大神宮の敷地も活用して、みなとみらい街区を見下ろす高級ホテル・結婚式場を建設しよう・・・”
宮司一族が考えたスキームか、銀行員が考えたものかわかりません。
でも、融資に際して銀行団が納得したのですから・・・・、責任の大半は銀行にあったのでしょう。
宮司一族は二つの会社を設立します。一つが高級ホテルの所有会社、そしてもう一つは運営会社「横浜開洋亭」です。所有会社はホテルの土地建物を所有する不動産会社です。
富士銀行を幹事とした銀行団(三菱、三菱信託、北陸)は総額87億円を所有会社に融資します。
勿論、担保はホテルの土地建物、そして皇大神宮の境内地でした。
所有会社は運営会社に賃貸し、その賃貸収入で借金の返済をする計画でした。
大和武尊を思わせる単身の道祖神
同じようなスキームで神社の境内を高度利用するところは幾つもありました。
でも、ホテルの運営も素人の宮司が行う計画は滅多に無かったでしょう。
ホテルの専門会社に委託したり、森ビルのような大きな貸しビル会社に委託したりしていました。
また、横浜銀行が融資団に参加していないのも・・・疑問です。
案の定、プロジェクトは早々破綻してしまいます。
バブルが崩壊した上に、MM21街区のホテルとの競争にも負けてしまいました。
2001年(平成13年)担保となっていた境内地が差し押さえられました。
神奈川県神社庁は宮司一族の事態解決が不能と判断します。
神社庁がホテルの敷地部分を除く境内地を取得して、神宮の経営を直轄する事で競売を回避します。
この結果同宗教法人は実質不動産管理会社となった訳でありました。
しかし、宗教法人が過大な債務に耐える事は出来ませんでした。
2003年「平成15年」横浜地裁に自己破産を申請し破産宣告を受けました。
ですから、宮司は気ままな私ごときに付き合っている余裕は無いのでしょう。
「道祖神は前の宮司の独断でした、道祖神の処分は破産管財人次第です・・・・」
そう言いたかったのでしょう。
伊勢神宮と同じ神明つくりの本殿
伊勢山皇大神宮がこれからどうなるのか、行方は解りません。
しかし、はっきりしている事は幾つかあります。
一つは神社として立地してもう150年以上も経っている事です。
今更、解体する事は新たな問題を投げかける事でしょう。
存続する事が先ず求められます。
そして、第二は最大債権者が神奈川県民(神社庁)である事です。
此処は憲法にも係る微妙な問題があります。
既に神社は県民のものなのですから、固有の天照大神を祭る神社・・・の考えは許されないと思います。
八百万の神様が同居する方向しか無いと思います。
道祖神、または童祖神こそ、県民に認められる神様・・・・ではないでしょうか?
皇大神宮はお伊勢様、俗信とはレベルが違う・・・・、そんなお高く止まったような視線は問題がありましょう。
固有の神様を祀る神社に神社庁が肩入れ出来る筈ないのですから・・・・。
人間の欲望や思惑を別として、伊勢山皇大神宮の道祖神が良く出来ています。
地域の鎮守として再出発する覚悟が必要なように思います。
皇大神宮の西石段踊り場にある双体道祖神、双体が4基、単身が1基祀られています
お願い:今日の話題は微妙な問題を多く含んでいますので、事実を誤らないよう注意して書いたもので す。それでも、事実誤認があれば、早速に加筆訂正いたします。私の主張はこの新しい道祖神 が美しい事、そして経営破綻して税金によって再出発の途上にあるのだから・・・・、地域の鎮守 になる・・・そんな気持ちが必要だという事だけです。
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首をかしげているところが、なんともほほえましく、かわいらしいですね。
村ポチ
2011/5/10(火) 午後 9:02
そうでしょ、微笑んでしまう道祖神でしょう。時代によって様々に柔軟に変化してゆく事にこそ、道祖神の生命力があると思うのです。
2011/5/11(水) 午前 9:25 [ yun**ake200* ]