仮想旅へ

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私の属する日本文化研究会の先輩が三越の美術部を率いていました。
定年を過ぎても、会社に協力して欲しい・・・・、と言うのでボランタリー感覚で勤続しているそうです。
その人が吉野石膏(有名なコレクター)との人脈を活かして「近代日本画名品展」を開催しました。
私が学生時代から院展や日展で接してきた名作の幾つかを、吉野石膏の美術財団の買い上げになっていたのでした。
そのお役に三越美術部が働いていたのか・・・・、改めて、感心しました。
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                                     今回の三越美術部の展示会ポスター。
 
先輩のお誘いがあったので、久しぶりに日本橋に出かけました。
私は2年間日本橋にある総合証券の公開営業部長を務めたので、馴染みも深いものがありました。
でも、随分変わりました。
 
昔通りのビルは三井本館と三越本館位です。
日本橋室町には有名で美味しい蕎麦屋が目白押しなのですが、
先年ミシュランの星を得たのは「手打ち蕎麦むとう」でした。
私が勤めていた頃にはありませんでした。
老舗と新進が競い合っているところが、日本橋の魅力でしょう。
それは、美味しい江戸好みの味を楽しみたい・・・・、そんな人が多く集まるから培われているのでしょう。
 
少しお洒落をして日本橋に出て、美味しいものを食べて、買い物を楽しんで、お芝居を見たり、美しい美術工芸品も見たい・・・・、そんな人が沢山居ます。
そんな日は”ハレ”です。
ハレの日の気持ちを象徴するのが、日本橋三越本店のロビーにある”観音像”です。
”日本橋で待ちあせましょう”と言えば、三越のライオン前か、観音像前です。
少し財布の紐が緩みそうな待ち合わせ場所です。
 
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                                    三越のロビー空間に収まっている観音像(天女像)
 
私の学生時代マーケティングの講義で、こんな話がありました。
昭和30年代は3Cと言われました。
新宿の伊勢丹は駐車場を作りました。
一方、三越は大観音像を作りました。
総投資額は20億円(私の記憶)です。
投資効果の優劣は火を見るより明らかでした。
その、評価が形になったのか・・・・、わかりませんが二度の経済混乱の最中、三越は伊勢丹に実質吸収合併されてしまいました。
 
同講義の信奉者で、三越に勤めた人にとっては、
三越観音像は経営判断の誤りによる”恨みの観音”でありましょう。
でも、私はそうとばかりは言えないと思います。
私は、久しぶりに観音像を見てみました。
ジックリ鑑賞したのは初めてです。
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   天女が天から地上に降り立った瞬間を捉えています。黒髪が舞い上がっていますし、瑞雲が右上に向けて   なびいています。アップしてみると衣装が日本風と言うよりベルサイユの雰囲気でもあります。目鼻立ちは    っきり、白い歯を見せている所など、佐藤玄々のフランス留学の成果を感じさせます。
 
三越本店のロビーは6階までの吹き抜けの大空間です。
三越の創業50周年記念事業として、岩佐社長は三越の基本理念を”まごころ”に確認し、
その象徴としてロビーに天女像を飾る事を決めました。
そして、当代最高の仏師「佐藤玄々(京都)」に製作を依頼します。
 
佐藤は明治21年、福島県相馬郡生まれ、家は代々神社仏閣などの装飾を手掛ける宮彫り師でありました。(注書きあり)
18歳の春に上京して高村光雲の高弟、山崎朝雲の門下生となり修行します。
34歳の時, 官費留学によりフランスに渡ります。
フランスではロダンの高弟「ブールデル」に師事します。
帰国に際してプールデルにこう諭されたと言われています。
『汝の血を以って、汝が祖国の魂をつくれ』 と。
 
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   設立趣意書
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   協力した匠達の名。(漆・型・鉄骨・施工)
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            協力した匠達の名。(大工・彩色・きり金・金工)
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                                                  木彫の助手の名
 
一般的に観音像と言われていますが、一見してこの像は観音様ではなく、吉祥天や技芸天の天女像です。
正面台座には「まごころ・天女」と刻まれています。
天女が瑞雲が沸きあがる中、天から地上の花に降りた様でしょう。
光背は無数の雲で構成されています。
頭上には鳳凰が飛んでおり、背中には何故か「鴛/おしどり」が行列しています。
天女は細面で、大きな眼、太い眉毛、目鼻立ちがはっきりした天女像です。
私達が馴染んできた、吉祥天(東大寺二月堂、浄瑠璃寺)はふっくらしたお顔で、細目で優雅ですが・・・・、
随分違った印象です。
是も、当世風だったのであり、フランス留学の成果だったのでしょう。
 
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                              浄瑠璃寺 吉祥天像
台座の基壇には協力した匠の名前が刻まれています。
最も多いのが木彫師で、10人余り居るでしょうか。
彫金師、塗り師などの名が続きます。
中には鉄工師の名があります。
天女像の骨格が鉄骨で出来ており、その上に天女の木造が載り、更に木彫の装飾の鳥など加えたのでしょう。
木彫は色漆で彩色し、宝石を飾り、まさに戦後高度成長期の贅を尽くして天女像を完成させました。
着工から10年をかけて、昭和35年落慶しました。
 
当時、車を持っている人は余り居ませんでした。
日本最初のデパートメントストアの前身は「越後屋呉服店」でした。
時代劇では越後屋は悪代官につるんで、悪い商人の代名詞でした。
越後屋のイメージを変えて、庶民に歓迎される・・・、その象徴として観音像(天女像)は意味があったと思います。
三越には三越劇場があります。
当時は帝劇、三越劇場が人気でした。
お芝居を見る人は、華麗な天女像の前で待ち合わせて、上階の劇場に向かいました。
美しい舞台が待っています。
天女は技芸天像であります。
 
 
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            光背には鴛が飾っています。勿論観音像を背後から眺められるよう、装飾したものです。
 
三越では「日本伝統工芸展」を毎年主催しています。
勿論、この観音像(天女像)を作る際にも沢山の匠の伝統技量があったから、完成したのでした。
三越の美術部の部門損益は先輩に訊ねた事もありません。
ただ、在職中に運慶の大日如来の海外流失を防いだ実績を含めて、
三越の伝統を評価しなくてはならないと思います。
 
伊勢丹が時流を先取して、大駐車場を投資したことは英断だったのでしょう。
しかし、文化産業は時流に乗るだけでは育成できません。
 
学生時代は俗っぽくて好きになれない観音像(天女像)でしたが、
改めて見詰めてみると・・・、凄いものです。
昭和を記憶する文化財でありましょう。
 
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  台座正面には「まごころ・天女」と刻まれています。三越の基本理念を「まごころ」と確認にしたものでした。
  昭和35年は1960年、安保に揺れた年でもありました。
  私は三越凋落のきっかけは昭和57年岡田社長が特別背任罪に問われた岡田事件だと思います。
  それまで、私の勤務先では商品券やギフトを三越から他店に移しました。
  また、猪熊弦一郎デザインの包装紙を辞めたのも残念でした。
  日航機の鶴のマークをJALにした・・・・、同じような衝撃で、それは会社が方針を変えた事の顕れでした。
  両社とも文化産業の低落と言えます。
  ”真心をもってお客様や社会に貢献する”テーマは昔も今も変わりません。
 
注:
『彫工左氏後藤世系図』江戸彫工の実態調査をされている茂右衛門さんのコメントに以下がありました。
 佐藤玄々は相馬の生まれであるが、福島の相馬ではなく茨城の相馬である・・・・。
福島の相馬市は野馬追いで有名ですが、宮彫師を育成するほどの神社仏閣は見当たりません。私も書いていて変だな、思いました。茨城なら鹿島大社初め需要があります。
私も茂右衛門さんに賛成です。コメントとして記述しておきます。
 
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こんにちは。

仏師「佐藤玄々(京都)」は横山大観も天才と云っておりますネ。
独立時は号「朝山」を名乗ります。
しかし、師匠の山崎朝雲から破門され京都に住みます。

また、佐藤玄々(本名・清蔵)は後藤勘司(茨城県北相馬郡北方住)の四男です。
長男は佐藤藤太郎(後藤一重)宮彫師後に横浜住・次男は佐藤竹次郎光重(仏師・宮彫り)です。

したがって、福島県ではなく茨城県北相馬郡北方生ですが現在この住所は在りません、
竜ヶ崎市か利根町辺りでしょうか。

2012/2/7(火) 午前 11:37 [ - ]

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インターネットの「百科事典」によると佐藤玄々は福島県 相馬郡中村町(現相馬市)と記載されています。相馬と言うと誰しも福島の相馬、野馬追いの相馬を思い出すので、福島県・・と思います。福島の相馬氏が荘園を茨城県の利根に有していた・・・・。記されていますから、仰る方が正しいような気もしますね。何故なら福島には徳一上人のお寺もありますが、浜通りには少なく、鹿島神社等のある茨城の方が神社仏閣が多く、宮彫師も多く居たと思われます。コメントを参考に書き加えておきます。

2012/2/7(火) 午後 2:58 [ yun**ake200* ]

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こんにちは。
竜ヶ崎市役所に佐藤氏戸籍の原本があるようです。

2012/2/8(水) 午前 11:43 [ - ]

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と言う事は、インターネットの百科事典で誰かが一度相馬を福島と早合点して、それを見た人が相馬市出身と誤解してきているのですね。でも、野馬追いの相馬に先祖代々宮彫師の家などあるとは思えませんね。先ずは、ご指摘感謝いたします。

2012/2/8(水) 午後 3:26 [ yun**ake200* ]


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