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2月の15日頃、東慶寺に上りました。
そろそろ、同期生から同窓会を開くよう期待が高まりました。
私は永年の幹事役、そこで、先ず最初は”早春の鎌倉で”開こう・・・・、
と言う事になり、その下見に出かけた次第でした。
早咲きの紅梅も未だ固い蕾でした。
写真は2月29日、雪の東慶寺
パネルが水月観音像。東慶寺の水月堂のご本尊。
満月の夜、水鏡に映る己が姿を見ている・・・、と言われます。
雪を被った紅梅、向かいの柴垣はお茶室
松ヶ丘宝蔵館では「仏像展」を開催中でした。
もう、40年以上前の事でした。
大学の日本文化研究会の部室に集まった仲間が言い出しました。
”東慶寺の水月観音を拝観しに出かけようじゃないか!”
この尼寺に相応しい美しい観音さまです。
でも、当時の私は好きにはなれなかったので・・・・・、同行しませんでした。
久し振りに拝観しよう・・・・、パスポートを見せて宝物館に入りました。
小林秀雄氏のお墓には江戸彼岸桜が奉げられていました。正面に阿弥陀様が彫られています。
更に、なにげなくお墓参りをしました。
小林秀雄氏のお墓には、江戸彼岸桜が奉げられていました。
小林氏は桜がお好きだったのかな・・・・、想像しました。
墓参者が花屋で買い求めたもの・・・、未だ桜の蕾は固い様子です。
お墓に活けて、ちゃんと花が咲くのだろうか?
少し心配です。
墓標の五輪塔は小林氏が晩年に墓所を東慶寺に決めて、墓標を求めたものでした。
白洲正子氏を頼って、京都の骨董品店を探し回りました。
五輪の下から二台目、丸い部分の正面に阿弥陀様が刻まれています。
この部分は小林氏が彫らせたものではないか?
私は想像しました。(この段は次記しました。 http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/45529107.html)
昭和58年3月1日、20世紀日本の知性と言われた小林氏は旅立たれ、かねて用意された墓所に眠られました。
行年80歳で居られました。
小林氏墓所に通じる井戸の横に佇む墓標の石仏。
このお地蔵サンの前を左折して、真っ直ぐ先、谷川の畔が小林氏の墓所です。
小林氏は石仏が墓案内してくれる・・・・、思った事でしょう。
2月29日の雪の朝・・・・・、私はあの彼岸桜がどうなったか?
気になったので、小林氏のお墓の前に向かいました。
墓所入り口にある小さなお地蔵様の前を左折して、真っ直ぐ行けば、細い水路の脇にお墓があります。
きっと、江戸彼岸の蕾は寒さに凍えて散ってしまっただろう・・・・、私の想像でした。
ところが、蕾は総て大きく開いて、シャーベットになった雪の重みを受けています。
逞しく、美しく・・・・・・、桜ってこんなに根性の座った花だったのか?
感服しました。
春風が吹けば散るのが早くても、北風には負けることは無い・・・・・、そんな花なのでした。
そんな所が小林氏がお好きで、その事をご遺族も良くご存知で・・・・、桜を活けられたのでしょう。
2月29日、雪にも負けないで咲いた彼岸桜
3月2日の小林氏の墓所。もう一束彼岸桜が活けられました。
一昔前までは墓前の花といえば、白い菊でした。
別名が電照菊、電灯で照らして長日処理して冬でも咲かせる菊の花でした。
最近は違います。
故人が喜んでくれそうな花・・・、季節を教えてくれる花が選ばれるようです。
そして、板卒塔婆も使われなくなりました。
極楽に往生した故人に卒塔婆は必要あるまい・・・・、考えたのか、
それとも、薄気味悪い卒塔婆を敬遠しているのかも・・・、
エコ意識の高揚もあるのでしょう。
小林氏の命日に奉げられた彼岸桜には心打たれるものがありました。
20世紀の知性は、ご遺族にも知性を痛感します。
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鎌倉ウォーキング
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とっても,良いお話でした。ありがとう。
2012/3/3(土) 午後 6:42 [ 初霜月 ]