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和田塚の哀れ

私が小学校6年生の時(昭和33年)でした。
担任のI先生が仰られました。
「和田塚に近い由比ガ浜で沢山の人骨が発見された。興味があれば見学してくるように・・・」
校門の前の御成通り(中世今小路)を真っ直ぐ海に向かうと、由比ガ浜通りとの交差点があります。
此処に6地蔵があって、その先300m程海に向けて歩くと、江の電の和田塚駅、
その先の一段高い場所が和田塚でした。
此処に、侍所の別当「和田義盛」の屋敷があって、
和田の乱で滅ぼされた和田一族の集団墓地が祀られていました。
子供心にも、和田義盛は鎌倉幕府創設に関わった英雄でありながら・・・・・、
北条一族の権謀術数に嵌って全滅してしまう・・・、哀れな存在でありました。
怖いもの見たさで、学校帰りに見にゆきました。
でも、バラバラの人骨は見ることはできませんでした。
イメージ 1
    由比ガ浜、和田塚近くから発掘された人骨。この辺は処刑場でありましたが、首のない人骨、頭蓋骨が散    っているので、和田合戦での死者を埋めたものと思われます。(平凡社、蘇る中世から複写)
 
今では和田塚の周囲は住宅が密集しています。
企業が所有していた「海の家/社員保養施設」がミニ開発によって細分され、建売住宅になったようです。
何本も石碑が立っています。
石碑の裏には五輪塔が並んでいますが・・・・、完全な形をしたものは少なく・・・、残欠が目立ちます。
数年分の卒塔婆が朽ち果てて・・・、処分しようにも処分の方法が無くて・・・・、困って打ち捨ててしまったような気配です。
ひと昔まえなら、お墓を掃除して、枯れ草や古い卒塔婆を集めて、焚き火にしてしまったものです。
周囲が住宅になってしまって、ゴミを焼くことも市条例で出来なくなってしまったのでしょう。
傍らのお地蔵様はお顔が割れてしまっています。
まるで、矢尽き、刀折れた和田義盛のようです。
イメージ 2
     和田塚の五輪塔(墓標)群。フェンスの向こうは瀟洒な戸建住宅が続きます。
イメージ 3
                          傷ついた武将のような、お地蔵様
 
 
秋には一面彼岸花が咲きます。
初夏には萱草がオレンジの花を咲かせます。
萱草は和名が「忘れ草」、悲しい事を、嫌なことを忘れてしまう「美しい花」という意味だそうです。
今、忘れ草は若い芽吹きをしています。
交互に鶯色の葉を伸ばします。
その形がお雛様のようです。
子供の頃、忘れ草の天辺に椿花や土筆の頭を載せて・・・、お雛様にして遊びました。
忘れ草は花ばかり好かれていますが、若芽も良いものです。
イメージ 4
                               忘れ草の幼芽。椿花を載せればお雛様になりました。
 
和田義盛は三浦半島の雄「三浦義明」の次世代になります。
三浦の初声村和田に屋敷がありました。
現在屋敷跡には八雲神社の祠があって、その脇に「和田一族発祥の地」記した石碑が立っています。
近くに白旗神社があります。
登れば、三浦の畑が見下ろされます。
此方の方が領主の館に相応しい場所です。
白旗神社の神様は天照大神と和田義盛です。
白旗神社の神様は義経か頼朝ですが、流石に和田氏の里では和田義盛です。
イメージ 5
     三浦市初声、和田にある八雲神社。この辺が和田氏発祥の地と言われています。
 
和田義盛は伊豆頼朝の呼びかけに応じて、和田から石橋山に馳せ参じようとします。
しかし、折からの大雨によって増水した酒匂川を越えられません。
そうするうちに、石橋山の戦いは大庭軍が圧倒してしまいます。
頼朝は海路安房に逃げ落ちます。
三浦義明は追手の畠山軍を衣笠城で迎え撃ちますが、覚悟の戦死をしてしまいます。
和田義盛ら三浦の第二世代は頼朝をフォローして安房に向かいます。
安房では豪士の千葉常胤等の支持を取り付け・・・、反攻に転じます。
 
鎌倉幕府で御家人を束ねる位置「侍所」の別当になった和田義盛ですが・・・、
総じていえば北条氏の片棒を担いで、有力御家人を追い落としてしまいます。
梶原景時、比企能員、畠山重忠と相次いで滅ぼされます。
力はあっても、知恵では北条氏に劣っていたのでしょう。
結果・・・・・、最期は自分自身が打ち取られてしまいます。
まるで、ミイラ取りがミイラになったように。
 
イメージ 6
    歌川豊国作和田合戦図(錦絵)。中央の四方八方から攻め立てられているのが和田義盛。
 
神社の森には誰かが植えたのでしょう。
白玉椿が花を咲かせています。
花は地面に落ちて、次第に朽ちようとしています。
落花の地面には沢山の庚申塔が並んでいます。
江戸時代、この辺は庚申信仰が盛んで、各部落の道に置かれていたのでしょう。
その庚申塔が耕地整理事業で邪魔になり、白旗神社の森に疎開したのでしょう。
御蔭で初声村和田の庚申塔の展示場のようになっています。
イメージ 7
    白旗神社の庚申塔群
イメージ 8
    和田義盛が祭神の和田の白旗神社
 
源氏が三代、短命に終わったのも、和田義盛の果たした役割が重要だったと思います。
義経の追い落としに際しても、義盛が体を張って庇えば・・・・、
頼家の殺戮を止められる場所に居たのは義盛だったでしょう。
更に、源氏恩顧の関東御家人の叛意を促したのも・・・・、義盛が北条の片棒を担がなければ・・・、
思います。
 
何処かの会社の勢力争いのような、光景です。
他人を陥れれば、いずれ自分自身も同じような、落とし穴に嵌る事でしょう。
 
 
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高知の和田です。いつかはその地を訪れて先祖の想いに想像をめぐらしてみたいと思ってます。また我々が生き延びたのは戦死した仲間のおかげでもあるのかと、しっかり御参りをし感謝の気持ちと和田は日本中で活躍しているのだと報告したいですね。

2019/3/23(土) 午後 10:23 [ yos*i*obu5*jp ]


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