仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

全体表示

[ リスト ]

熊野磨崖仏を拝観し、興奮も冷めやらぬままに次の目的地「真木大堂」に向かいます。
鋸山の山腹を下って、麓の田圃を走ればほんの10分足らずで、大堂に着きました。
春秋には沢山の観光客が押し寄せるのでしょう、境内よりも数倍も広い駐車場です。
駐車場の外れ、トイレの前に車を停めました。
私達は、今日最初の拝観者なのでしょう。
 
拝観受付には二人の女性が居られました。
説明をお願いすると、快く受けてくれました。
「私は、素人ですので専門的な事は解りませんが・・・?」
イメージ 1
         今日の主話題は真木大堂の大威徳明王像です。(寺のパンフを複写)
イメージ 2
         真木大堂大威徳明王。寺の写真を複写する。
         京都仏師の院尊のような、力量のある仏師の作であると確信します。
 
案内によると、真木大堂は六郷満山65寺の本山本寺として建てられ、
36坊もの霊場を有する国東の最大の寺院だったそうです。
その霊場が次第に廃れ、南北朝時代の戦乱で伽藍が焼かれ・・・・、
真木大堂とは名ばかりの小さなお堂を本堂にした・・・・、小さなお寺になってしまいました。
堂塔や坊に祀られていた仏像は自然と真木大堂の本堂に集まってきました。
本堂に所狭しと置かれた仏像群でしたが・・・・、
昭和25年に9体が重要文化財に指定されたのをきっかけに、新築された国宝収蔵庫に移されました。
平成20年には国宝収蔵庫も改修され、仏像も修復されました。
 
イメージ 3
                      真木大堂宝物館中央の阿弥陀如来。(パンフレットを複写)
イメージ 4
      真木大堂不動明王像、天台密教らしく、迦楼羅(人間の欲望を食い尽くす鳥)が光背から抜け出して、明      王の額を飾っています。
 
 
京都の東寺の講堂は弘法大師が建立した「立体曼荼羅」として有名です。
中央仏像群は大日如来を中心にした五智如来です。
その右に五大菩薩、左に不動明王を中心にして五大明王が祀られています。
五大明王の西方に位置しているのが大威徳明王です。
圧倒的な立体曼荼羅ですが…、一体一体も素晴らしいものがあります。
特に大威徳明王は…、水牛に跨る群青の六面六臂の怒りの神像は密教のハイライトでしょう。
 
東寺の大威徳明王は像高144㎝です。
一方、真木大堂の大威徳明王は165㎝です。(水牛も含めれば262㎝)
間違いなく日本最大の大威徳明王です。
東寺のは群青色ですが、真木大堂は朱色の体です。
火炎光背も鮮やかな朱で塗られています。
東寺のは真言密教ですが、真木大堂は天台密教の大威徳明王です。
細部は少しずつ違いますが、怒りの表情は共通しています。
 
イメージ 5
    東寺の大威徳明王像。弘法大師京都仏師(院派)に命じて彫らせたものでしょう。体も全体も群青色なので    静かな怒りに満ちています。真木大堂の大威徳明王と少しずつ違っていますが、どちらも素晴らしいと思い    ます。
 
大威徳明王は阿弥陀如来が人を導くために敢えて恐怖の姿になって表れたもの…、
と言われます。(教令輪身)
六つもあるお顔は六道(地獄界、餓鬼界など現世の諸相)の各を見渡します。
六つの手は武器を持ち、仏法を守護し、六つの足は行(布施、自戒などの六波羅蜜)を実施する決意を示していると言われます。
頭上に三面の懸仏を戴き、髪の毛は怒りに炎のように逆立っています。
牙が剥き出て・・・、大憤怒の表情です。
水牛はおとなしく跪いています。
 
お婆さんが説明されます。
この大威徳明王像は平安時代末期の作と言われています。
楠の大木の一木から彫られています。
一木と言っても、水牛は大木を横にして彫られています。
明王は大木の幹を縦にして彫られています。
水牛の上に明王を跨がせて完成ですから・・・・、昔は二体別れていました。
博物館に展示するため・・・、持ち出したのですが・・・・、帰ってきたら二体がくっ付いていました。
私達は”そんなことあっても良いのかな?”思わず笑ってしまいます。
 
水牛の背後からは大きく内刳りされています。(内刳り:仏像が乾燥しても割れないよう、内部を刳り貫く事)
地域の子供達は水牛には跨るわ、内刳りの内部に隠れるは…、遊んでいました。
隣の本堂の中にあったのですから…、出入りも自由でした。
今は国の重要文化財ですし、このように収蔵庫の中で、管理されていますから・・・、
昔から見れば嘘のような状態です。
 
言われてみれば、大威徳明王の朱色は鮮やかに残っていますが、
水牛の白色はもう剥げています。
楠の地肌が出てしまっているのです。
子供達が遊んだ跡でしょうか?
私も寺育ちの悪餓鬼でしたが…、さすがに水牛に跨る事は出来なかったでしょう。
水牛に跨れば、背中に恐ろしい大威徳明王が居る事になります。
そんなに怖い事は…、先ずできません。
   追記:楠(クス)は樟脳の素材になる照葉広葉樹で、九州では大木になります。大川市の家具は主とし       て楠を材料にして作られています。
 
大威徳明王と言えば、我が国にはもう一体重要な像があります。
金沢文庫称名寺の大威徳明王です。
2006年11月に解体された折に胎内から紙片が出てきました。
運慶が1216年に制作した・・・、紙片は史実(東鏡)とも符合しました。
21㎝の檜材の小像ですが、朱や群青に金箔が鮮やかです。
玉眼の効果も絶大です。
小さくても弩迫力がある・・・・、さすがに大仏師運慶の晩年の作だと、納得させられます。
平安時代の大威徳明王は顔こそ恐ろし気ですが・・・、お体は筋肉の力感に欠けています。
筋肉まで含めて、仏像の力感や畏怖すべき姿を示したのは鎌倉時代の仏像の優れた点でしょう。
 
イメージ 6
     称名寺で発見された大威徳明王像。運慶作であることが確認されました。以下に書きました。
 
大威徳明王三体が日本の東西、南にあるわけです。
平安から鎌倉にかけて…、日本中が”末法の時代の恐怖から脱しよう・・・”と試みていたのでしょう。
何れも素晴らしいのですが、真木大堂の大威徳明王が私は一番好きです。
 
イメージ 7
  真木大堂の本堂、以前はこの小さなお堂に9体もの仏像が所狭しと置かれ、祀られていたそうです。
  中央の阿弥陀三尊図のところに前述の阿弥陀如来が置かれ、四天王像が祀られていました。
  その左(西)に大威徳明王が、右(東)に不動明王が祀られていました。
  お供えのミカンの缶詰が気になりました。
 
イメージ 8
  本堂の扉を飾る菊のご紋章は元寇襲来の際に六郷満山65寺が異国降伏の大祈祷が行われました。
  その時に朝廷から菊のご紋章が下賜されたのだそうです。
  手前の仁王像はそれほど古いものではなさそうですが・・・・、この像が収まる山門があったのでしたから、
  真木大堂はその字の通りの大堂であったのでしょう。
 
 
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
 
 
 

この記事に

閉じる コメント(3)

顔アイコン

真木大堂ですか・・・短時間に良くぞ 沢山に開訪をされましたね。
冨貴寺からは 意外と近くですので 当然かも知れませんが 内容の調査には 感服致します。

2012/12/19(水) 午後 6:57 - 返信する

顔アイコン

学生時代からのそれも同じ趣好のかたたちと仏像などを見歩けるとはなんとも羨ましい結構な旅でしたね。
74年に臼杵の石仏と真木の大堂の榧の仏像を見る為に九州へ新婚旅行をしたことを思いだしました。呼子平戸長崎とまわった後別府一泊、一日タクシーででかけました。臼杵の大仏、首ごろりがなんともやりきれませんでしたが、今は屋根がかかり身体に戻ったとのことほっとします。次の日はフェリー。神戸に泊まり白鶴美術館と藤田美術館をまわりました。あれ以来どちらも再訪がかなっていません。

2012/12/19(水) 午後 8:43 [ contemporary Eat & Art ] 返信する

顔アイコン

五大明王 で検索中です。五大明王 強いですね。真言を 時折 唱えています。宗教研究会(名前検討中 削除

2013/10/30(水) 午後 3:22 [ 村石太マン&検索レディ&papiru2世 ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事