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現在の藤沢ゴルフクラブは綾瀬市にあって、
小田急電鉄系列のゴルフクラブです。
我が家には近いし、小田急電鉄さんに案内されて何度かプレーさせていただきました。フラットで、距離のある良いコースです。
綾瀬にあるのに「藤沢」の名が付いているのは・・・・・、
多分、歴史のある「藤沢カントリークラブ」が閉鎖され、そのお客さんを引き受けたからでしょう。
小田急に確認した訳ではありませんが、そう思っています。
 
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   今日の話題は旧藤沢カントリークラブのクラブハウスです。
    躯体の壁などは剥落が目立っていますが、ブルーのスペイン瓦は綺麗です。
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   小田急江ノ島線の善行駅を挟んで南北に広がっていた藤沢カントリークラブでした。
 
藤沢から藤沢街道を行くと、白旗神社を過ぎると急坂になります。
坂の途中に聖園学園があります。
その隣が旧藤沢カントリークラブでした。
 
クラブハウスからは東に江の島の海が、西には丹沢連峰から富士山が眺められる絶好なロケーションだったことでしょう。
此処に昭和7年(1932)にアントニン・レーモンドの設計によって、
本格的なゴルフ場(18H)とレディースゴルフ場がオープンしました。
同ゴルフ場は先の大戦によって翻弄されてしまったわけですが、
今ではそのクラブハウスだけがゴルフコースの面影を留めています。
 
確認こそしていませんが現存する我が国最古級のクラブハウスだと思います。
モダニズムの旗手だったレーモンドでしたから、歴史的・建築文化の価値高い建物です。
今日はこのクラブハウスを紹介します。
 
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        クラブハウスのエントランス。
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   エントランスのモザイクタイル。タイルのデザインはレーモンドの奥様によるものだそうです。
イメージ 9
                   床はゴルフボールがホールインする意匠
 
20世紀に入ると、文学に、絵画に、建築に新しい運動が活発になります。
これをモダニズムと呼びます。
建築界では”合理的・機能的な建築”を目指す運動が起こり、
フランク・ロイド・ライト等がリードします。
一方関東大震災で壊滅的な被害を受けた我が国では、堅牢な建物が希求されました。堅牢である欲求は自ずと「合理的・機能的」な建物に帰着しました。
 
この流れは前川國男から丹下健三に受け継がれ、現代もその流れの下にあると言えるでしょう。
 
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                   東側からの外観、樹木は榎です。
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            南側から見る。手前が一番ホールです。
 
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   西側からはスペイン瓦が綺麗に見えます。
 
初代帝国ホテルはお隣の鹿鳴館とセットのようにして建てられました。
しかし1919年全焼してしまいます。
すると、財界はモダニズムの旗手フランク・ロイド・ライトに新館の設計を依頼します。ライトは弟子のアントニン・レーモンドを従えて来日します。
二人は平等院鳳凰堂にヒントを得て、帝国ホテルを設計しました。
 
大谷石と煉瓦を組み合わせて、鳳凰が翼を広げたような建物が完成しました。
「世界で一番美しい」と言われたホテルでした。
竣工直前には関東大震災にも遭遇しましたが、近隣のビルが倒壊したのに凌ぎました。
そうして完成した帝国ホテルでしたが、1970年顧客の増大を期待して、建て替えが決められました。
旧帝国ホテルは玄関部分だけが明治村に残されています。
 
イメージ 1
   帝国ホテルの本館玄関部分だけが明治村に移築保存されています。
    この建物がレーモンドが日本で活躍するきっかけでした。
 
 
ライトの片腕として来日したアントニンレーモンドはライト以上に日本に溶け込みます。設計事務所は今も「レーモンド設計」として活躍しています。
私の勤めた長銀では子会社の日本ランディックのマンションやゴルフ場は過半がレーモンド設計でした。(吉井カントリークラブのクラブハウス等)
またパシフィックコンサルタント(グランドデザインを得意とする設計事務所)もレーモンドの創設によるものでした。
レーモンドの作品は数多く国の有形文化財の指定を受けています。
 
 
横浜にはフエリス女学院の建物、
その近くにあるエリスマン邸もレーモンドの設計によるものです。
そして、旧藤沢カントリークラブのクラブハウスもレーモンドの設計でした。
 
レーモンドの設計は日本文化や風土、更には日本人のライフスタイルへの深い理解と愛着の上に描かれています。
だからこそ・・・・、モダニズム建築であり、21世紀になった現在も評価されているのです。
 
旧藤沢カントリークラブのクラブハウスにはレーモンドの経歴が貼られています。
それによると、レーモンド単独では最初の作品という事になっています。
 
イメージ 2
クラブハウスは現在総合運動場の食堂として使われています。
食道の運営は玉屋という個人です。兎に角安いんです。
 
 
玄関の車周りを降りてクラブハウスに入ります。
階段を下ればロッカールームになります。
階段を登れば、レストランになります。
チャンピオンコース18Hとレディーコースのクラブハウスです。
収容客数は大きく設計されています。
梁の見えた山小屋風の建物は大空間を実現しています。
東側のベランダに出れば江の島の海が眺望できますし、
南側のベランダからは」富士山が遠望できます。
そのベランダから橋を渡って、真っ直ぐ一番ホールに向かえる設計です。
ワクワクしながら一番ホールに向かえるのでしょう。
 
イメージ 4
 
昭和7年(1932)に竣工します。
チャンピオンコースとして、ベーブルースをはじめ著名人もプレイします。
しかし、昭和18年(1943)に海軍によって接収されます。
海軍は通信司令部として使用します。
昭和20年(1945)終戦に際してGHQによって接収されてしまいます。
戦後も終わりに近づいた昭和28年(1953)には県立総合運動場として一般に開放されました。この年、神奈川では国体が開催されたと記憶します。
昭和43年(1968)、クラブハウスは総合運動場の合宿所兼食堂としてオープンします。
昭和47年(1972)に改修されました。
その後40年余り修理やメンテにお金を使った気配はありません。
まあ、写真を見ての通りの惨状を晒しています。
 
財政力のあると思われている藤沢市です。
この歴史的なクラブハウスを保存維持しながら、活用する・・・、
そんな賢明な策を探してほしいものです。
でも、痛々しい建物、朽ちようとする建物が美しく見えるのは・・・・、不思議です。
 
食堂を応援の意味でも是非お出かけください。
 
イメージ 3
    クラブハウスの内部、現在は食道として使われています。
     梁の見える山小屋風の建物は大空間を実現しています。
     壁には善行大学の名で旧藤沢カントリーの歴史などが展示されています。
 
 
 
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こんばんは。

県立体育センターには、ボクシングの試合の応援や、ジムでのトレイニングのために、時々、行きます。

この食堂でも、何度か、食べました。

おっしゃるとおり、なんらかの策を講じて、残してもらいたいものですね。

2013/11/6(水) 午後 8:25 [ ハッピー ] 返信する

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今日も 上を向いて 明るく 笑顔で 優しく 素敵に 生きれますように !

家族が良く行っていた思い出深い場所です。

2013/11/7(木) 午前 6:22 genki_323 返信する

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