仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

全体表示

[ リスト ]

大寒の「大雪」

1月23日は天気予報の通り大雪になりました。加えて群馬県白根山は火山噴火してテレビでは再び「想定外の噴火で・・・!」云い訳が聴かれました。人間が勝手気儘に予報するのを嘲るように自然(神)は思いがけない災難を振り掛けます。
ワイフは「こんな事も在ろう!」想定して新しい長靴と雪搔きを準備しておいてくれました。そこで、雪の朝早速に私の生家の「盛徳寺」を詣でました。
イメージ 1
此れは1/23日朝の盛徳寺の参道です車の轍が在るのは22日に通夜があって23日には告別式が予定されていたのです。

「雪は豊作の瑞(ゆきはほうねんのしるし)」と云われます。
寒さが害虫を駆除してくれることに加えて。雪解け水が豊富で落葉した栄養を田圃に運んでくれるからでしょう。大雪は「晴れ」であると直感します。何故なら普段は汚く観えた景色を清純に穢れなくしてしまうからです。今年は戌年、犬は雪景色を悦んで居るのも神様も雪がお好きなのでしょう。
普段は漫然として過ごしていた江戸市民も12月14日の早朝は「赤穂浪士の討ち入りの報に歓喜したのでしょう。晴れの日には大雪が欠かせません。そこで講談でも落語でも歌舞伎でも12月14日は大雪の朝にしてしまいました。
大雪の朝の清々しさ晴れやかさが、中心蔵の景色を決定したと思うのです。

今年の開花は3月23日と予報が出ました。ですから後二箇月経てば桜の花も咲くのです。雪が深い程豊作になるし、寒さが厳しい程豊作になるとも聞きます。真偽の程は別にして、寒さが厳しかった年ほど桜は美しく見えるのは間違いないでしょう
今春の旅行計画は、4月10日頃に根尾谷の薄墨桜を観て、20日頃に福島の信夫山や二本松の桜を観て廻る事にしています。
美しく咲き誇る桜を愛でる為には開花予測こそ「想定外」は止しにしてほしいモノです。

昨年末には私の父方の実家世田谷の実相院の「墓参り」をしました。正月には母方の実家狛江の「龍泉寺」に墓参りしました。でも、肝心の両親や祖母の墓参りは未だ終えていません。雪の朝に墓参りをすれば「足跡」も残るし、清々しさは普段に勝るでしょう。そう想って下し立ての長靴を履いて盛徳寺に登りました。
イメージ 10
此れは大雪の朝に下した長靴です。昔はゴム製でしたが塩ビで感触はエナメルです。
新しい長靴は塩ビの感触です。小学生時代のゴム長靴とは少し違います。
サラリーマン時代福岡支店勤務時代に、私の以前の上司が月星化成の社長として来られました。月星化成(商標名/ムーンスター)は朝日靴(商標名/アキレス)はブりジストン)の子会社でした。久留米の名門会社でしたが、韓国や中国の靴メーカーの追い上げを受けて不振に陥っていました。
朝日靴は更生法が適用されてしまいました。月星化成も所謂銀行管理会社化してしまい、長銀が社長も派遣して、「責任を果たす」覚悟を表明した様なモノでした。子会社の不振を目の当たりにしてブりジストンも家族経営を取りやめて厳格な人事を推進していたのでしょう。人事課長が社長室で割腹自殺する事件が発生しました。人事課長は早期退職制度に反対していたのでした。ブりジストンと云えば世界に冠たるタイヤメーカーで石橋家の創業です。坂本繁重次郎や青木繁を育てた文化企業とは思えない事件でした。人事課長は古いブりジストンの企業風土で育っていたのでしょうが、それでは世界に伍して行けない時代が来ていたのでしょう。
アキレスの商標が印刷された箱を開けると嬉しかったのは、更生法適用会社が立派に蘇ったのを確認したからでもあります。
イメージ 2
此れがワイフが買い置いてくれたアキレスの長靴。ゴム長靴は朝日靴の地下足袋は月星化成の発明品です。ブりジストンのソフトな発想が子会社にも独創的な製品を生み出させました。両社ともオリジナル製品の特許を取って置けば韓国などの追い上げを受けなかったのでしたが・・・・。月星は韓国の馬産に現地法人を設立して、価格競争を乗り越えようとしたのでした・・・・。

私はこのブログで我家のルーツである、世田谷の「実相院」と狛江の「龍泉寺」をアップしました。今日はこの大雪の機会に私の生家「戸塚倉田の盛徳寺」を紹介したいと思います。
イメージ 3
これが大川観音です。私の祖母がコツコツ蓄財した浄財を祖母の信仰の篤かった観音にしようと父が考え、私が京都太秦の鋳物屋に行って鋳造しました。今なら間違いなく富山の高岡の鋳物職人に発注したのでしょうが、大阪から高岡は思いつきませんでした。手前は冬至梅です。JRの車窓から見えます。
イメージ 11
盛徳寺墓地入口の六地蔵。

イメージ 4
これは盛徳寺山門脇のお地蔵さんです。
良く「マリア地蔵」として紹介されていますが、次の故事を伝えるお地蔵様です。蜂須賀一族は三河の土豪でしたが、関ヶ原で西軍に組し外様大名でした。阿波(徳島」から遥々参勤交代に出かけた蜂須賀隆重公の奥方「アリカ姫は身重でした。戸塚宿で到頭産氣付いてしまいます。そこで戸塚宿の尼寺養東院/天台宗で出産したのでしたが、尼寺で息を引き取ってしまいます。蜂須賀隆重公は尼寺を建て直し4人の家来(全員鈴木姓)に寺守りを任せ。山口の功山寺から大旗義徹大和尚を招き住持としました。山号は福寿山で「盛徳寺」の名はアリカ姫の戒名としました。
このお地蔵様は生きて我が子を抱けなかった盛徳院の想いを表現しているのです。
イメージ 5
これは「盛徳院」の墓標です。お寺を見下ろす山道に面して眠っておいでです。
イメージ 6
これは盛徳寺の本堂関東大震災で倒壊してしまったので、本堂は簡素な造りです。庫裏は藁ぶきの趣のある建物でした。昭和20年代末に萱葺で葺き替えたのでしたがそれが最後で今は安易な亜鉛ブリキで覆っています。
イメージ 7
本堂の裏山は真竹の竹林でしたが今は墓地に代わっています。庫裏は藁ぶき屋根の上にトタン板を覆った味気ない建物になってしまいました。
イメージ 8
墓地の墓標石仏にも雪が覆っていました。綺麗な苔が蒸している事は戸塚は空気が綺麗なのでしょう。
イメージ 9
私の兄も住職にはなりませんでした。結局姉が寺に入りその息子を父が養子にとって寺を引き継ぎました。姉が花好きなので四季の間色々と花が切れません。
イメージ 12
これは2009年の夏休みに「倉田の石仏」と題して発表した時のPW資料です。写真の石仏が倉田耕地から発見されたモノ。明治39年日本最初の田圃の区画整理事業(耕地整理)が実施され、盛徳寺の寺有田から石像の「薬師仏」が発見されました。盛徳寺の宝物は徳島の蜂須賀博物館に供出されましたので、この薬師石仏(多分柏尾川の川上の信濃の郷士の屋敷から洪水で流出して田圃にうずまっていたモノ、佳くて室町時代)
「脳梗塞で苦労していると思っていたが、意外にシッカリ歩けるじゃないの!」両親も祖母も墓の下から声かけてくれたような気がしました。墓地の周囲はスダジイが生い茂っています。積雪で困ったキジバトや四十雀が団栗の実を啄んでいます。野鳥には困った大雪ですが、佳き時代の想い出を蘇らしてくれます。

ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

.
yun**ake200*
yun**ake200*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事