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東海道線や横須賀線の車窓を視ていると気付く事があります。横浜駅を出て保土ヶ谷駅辺り迄は市街地ですが清水トンネル前後から田園地帯に景色が変わります。大船を越えると湘南・鎌倉の文教地帯に変ります。
昔から地価は戸塚が底で藤沢鎌倉に入ると上昇していました。政令指定都市横浜と、文教・観光都市湘南との端境に在るのが戸塚です。そんな戸塚にも唯一重要文化財がありました。それが「住友家別荘」です。住友家俣野別荘の付いては祖母も口にしていました。住友家の令嬢が乗馬姿で、別荘から近くの境川の堤防を遠乗りしていたというのです。
住友家俣野別荘の設計者は「佐藤秀三」でした。「佐藤秀三」は昭和モダン建築を代表する設計士で「日光プリンスホテル」を始め、世田谷の「向井潤吉邸/現向井潤吉美術館」や「那須住友家別荘」など数多く残されていますが、重文の指定を受けたのは戸塚の「俣野別邸」だけでした。住友家本邸に勝る評価を受けているのは、昭和モダン建築の代表と評される特長を備えているからです。昭和モダニズム建築の意義は『明治以来西洋建築が奔流のように我国に押し寄せたのに対し、快適な広い空間を備え同時に伝統的な日本建築の良さを折衷した空間を用意したのでした。』設計士には「アントニン・レーモンド/エリスマン邸や東京女子大を設計」や「谷口吉郎/東宮御所や出光美術館や藤村記念館を設計」も居ましたが、重要文化財の評価を受けたのは戸塚の「住友家俣野別邸」だけなのでした。
唯一重文指定の名誉に浴した理由は明確です。西洋の「ハーフ・ティンバー様式」と伝統的な日本建築様式を折衷させ、成功しているのです。
ハーフティンバーとは北ヨーロッパやイギリスにみられる木造建築構造で、柱・梁・筋違/すじかいなど骨組みとなる部分を木材で密に組み、その間を煉瓦・石・土などで充塡して壁としたものです。
此れは鎌倉浄妙寺にある「華頂の宮邸」です。ハーフ・ティンバー様式建築ですが鎌倉の洋館として評価されているだけです。
此れは横浜の山手に在るエリスマン邸です此れも「ハーフティンバー様式です。
鎌倉の「華頂の宮邸」や白金の「旧朝香宮邸/現庭園美術館」も和様折衷建築として評価されていますが、どちらか言えば「ハーフティンバー」は評価されず「アール・デコ」の装飾建築として評価されています。「華頂の宮」も朝香宮」も軍人としてフランスに留学していた事から、当時のヨーロッパで人気だった「アール・デコ」様式を日本に伝えたモノでした。快適で広い空間を機能的に合理的に設計するには「ハーフティンバー」が最適で、日本人のライフスタイルや「別荘」「博物館」「ホテル」等を実現したのでした。
これは徳洲会の経営する湘南鎌倉総合病院の1階ロビーです。病院にリゾートホテルの様な大空間とやすらぎを設計する思想は、昭和モダニズム建築に始まるモノです。ル・コルビュジェの国立西洋美術館にも共通する設計思想で、現代建築の礎になった設計思想です。
私が長銀のゼネコン、ホテル担当として佐藤秀工務店やレーモンド設計事務所の作品に再三接しました。例えば大船の「徳州会湘南鎌倉総合病院」の玄関ロビーの大空間やシースルーのエレベーターは機能と快適性と経済合理性を求めた成果だと確信します。佐藤秀の極めた建築思想は現代建築の主流なのです。
此れが焼失直後の住友家俣野別邸です。写真出典朝日新聞焼失材は敷地内に倉庫を建てて保存されていました。
そんな重要な住友家股の別荘でしたが、重要文化財に指定されると、横浜市は早速に一般公開の作業に入りました。担当部署は「公園課」でした。横浜市は当時「緑税」を新設して、俣野別邸を公園として活用しようとしたのでした。処が工事を始めた途端に不審火で略全焼してしまいました。当時近くの小雀神社の社殿が放火され、大磯の吉田茂別荘も焼失していました。「迂闊」の叱責は新聞紙上に踊りました。
2009年3月、放火のニュースに驚いて早速観に行って写真も撮ったのでした。同じく放火された大磯町の吉田茂別邸は先に再建され一般公開されています、ところが住友家俣野別邸は、お庭こそ公開されましたが、肝心の建物の再建が儘ならず、何時まで待っても公開されませんでした。漸く、昨年4月1日から公開されたので、3月23日出かけてみました。我家から藤沢駅北口行のバスに乗って、鉄砲宿で降りれば3分で住友家俣野別邸です。鉄砲宿の名は「藤沢宿」で「出入り鉄砲」を取り締まっていたからかと思えば民話に依る名だそうです。桜並木の下に佇む道祖神に挨拶して住友家別邸に入りました。
鉄砲宿バス停の傍に祀られている道祖神。
住友家別邸の入り口左に在るのはツクイの高齢者住宅、此処から茅ヶ崎バイパスを越えれば住友家別邸です。境川の河岸段丘の東側丘陵地にあります。真向かいに冨士の霊峰が見渡せる景勝地です。
目指す住友家俣野別荘は竣工していました。私は身障手帳を持っていますので入館は無料です。横浜山手の洋館と同じで館内に喫茶軽食のサービスがあります。
時刻も10時を越えてコヒーも欲しくなりました。見学を終えて一服します。
住友家俣野別邸の北側全景、ハーフティンバー建築でありながらスペイン瓦を日本的な塩葺き瓦で造っています。建物左側は今次の増築部分で地域の活用を期待して会議室等が整備されました。現在進められている「文化財保護法」を先取りした改造です。
此れは住友家別邸の玄関です。玄関ドアは焼けなかったそうです。この他活用された家具や意匠は数多く何れも佐藤秀の意匠だそうです。
此れは住友家別邸の西側の居間です向かいの景色は境川に西側の河岸段丘でその上に冨士の霊峰が仰ぎ見られます。此処に別荘を建てたのはこの景色が魅力だったのでしょう。因みに向こうの段丘の上を走っている街道が八王子道で真っ直ぐ行けば橋本から八王子神社のある八王子で海老名で左折すれば大山に行けます。丘陵の中に「小栗判官照手姫物語の史蹟が散っています。
此れが住友家別邸の喫茶軽食サービス「陽だまりの部屋」のダイニングルームの天井です。杉板張りの天井ですが格天井に在るような彫刻が為されていました。
珈琲は500円でケーキは600円ですが、セットにすれば800円です。因みにカレーライスはサラダ付700円でした。次は軽食をとりましょう。
芝生の庭の中央に紅枝垂れ桜が植えられていました。未だ咲き始め、屹度円山公園の枝垂れ桜の実生でしょう。
本館を出ようとすると「今日は下の庭で大正中学の生徒さんが吹奏楽を演奏しています。是非観て行って下さい」と誘われました。わたしたちは「山野草の小道」を下って下の段に行きました。其処は昔祖母が言っていた「住友の御姫様が馬に乗って境川の堤防を駆けておいでだった!」その馬場や厩舎があったのでしょう。
お姫様の馬場では大正中学校の生徒さんが吹奏楽を聴かせてくれました。写真は指揮者の先生が生徒さんと楽器を紹介していた場面です。
今は「クリスマス・ローズ」が自生する自由な風が吹く空間です。
私は桜の樹下に置かれたベンチに腰かけて身障者が手作りしたパンを求めて昼食にしました。というのは住友家別邸のある辺りは「鎌倉古道西の道」で絶好のお散歩道なのです。
重文にも指定された文化財を保護する事も大事ですが、地域で活用する事も重要です財の価値は利用する事にあるのであって、保護するだけだったら、「死に体」です。
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