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5月17日横須賀の歯医者に行くために、横須賀線の車窓を視ていました。鎌倉駅の直前の踏切では線路脇に「立葵」が咲き出していました。鎌倉駅を過ぎて「名越の踏切」からは長勝寺の山に泰山木が咲いていました。そこで5月22日ワイフを誘って鎌倉に向かいました。
横須賀線の車窓は文学にも再三登場します。芥川龍之介の「蜜柑」も一般には名越の踏切」が舞台であろう、云われていますし、鎌倉駅のホームから見えるホテルも「鶴は悩みき/岡本かの子」の舞台と云われています。
此れは鎌倉駅の駅舎です。時計塔の印象的な駅舎は1916年(大正5年)に2代目駅舎として竣工したモノ、昨年JRから全面建て替えが発表され「この時計塔が消えるのか?」と惜しまれています。
私達は鎌倉駅西口から線路沿いに北に歩き始めました。私が中学生の頃、ホームから眺めていて、幼友達がこの細道を歩いているのを見つけました。手を振ると幼友達も手を振り替えしてくれました。万葉時代には「手を振る」行為は男性から女性への好意の表現でした。一方女性は手を振られたら「良いわよ!」返事は袖を振りました。現代は「手を振る仕草は”さようなら”を意味し、袖を振る事は”断る”意味です。千年の間に全く逆の意味になってしまいました。
此方は安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)画伯に依る額田大女の図/恋人の大海の皇子に手を振られた額田王女は袖を振って応じます。
鎌倉駅西口を出て幼友達が手を振ってくれた細道を北に(雪の下)に向かって歩きます。この細道は何時も賑わっている「小町通り」の抜け道でもありますので意外に通行人が多いのです。加えて工事用の軽トラが追い抜いて行きます。車は北向きの一方通行なのです。「こんな狭い道を!」怪訝に思って観れば喫茶店を新築しているのです。小町通りが満杯になったのでこの細道が開拓の標準になっているのでしょう。
線路脇には桑の木も在って実が熟しています。ラズベリーも美味しい季節です。
線路脇には紫陽花も色ズンできました。
想い出に浸りながら立葵を眺めていると横須賀線が通りました。立葵は風に吹かれて激しく左右に揺れます。立葵の姿を視ていたら額田王女が大海皇子に激しく袖を振る姿を髣髴しました。
電車が行き過ぎると立葵は煌煌と青空に向いて立っていました。観察すれば根元から花が開き始め次第に頂に向いて咲いています。今咲いているのは「一番花」です。キリンビールのCМではありませんが菖蒲も立葵もアヤメも二度咲きします。一番花が一番綺麗です。二番花になると容色は衰え一番花の枯れ花が邪魔するのです。一番花が「下から上に向いて咲くのだから、二番花は逆に上から下に向いて順番に咲くのかな?」疑問に思いました。観察するより他無さそうです。何歳になっても自然は疑問を投げかけてくれるものです。
立葵の一番花は下から開花し始め、頂に向いて順番に咲きます。一番上に行ったら二番花は上から下に順序良く咲くのでしょうか?
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