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庭の紫陽花の花も疲れて来ました。街に出れば凌霄花の花が眼に付きます。檜扇の花も咲き出しました。夏が近づくに従いオレンジ色の花が目立ち始めたような気がします。オレンジの花と云えば「野萱草」や「藪萱草」です。昔は三浦半島に行って西瓜畑の端に咲く野萱草と石仏を一緒の写真を撮っていました。このブログでも何度もアップした私の好きなテーマです。でも、脳梗塞で車の運手は禁じられていますので観に行けません。
此れは私の好きなテーマの「野萱草+石仏」です撮影したのは鎌倉12社の「来迎寺」です。
此れも「野萱草+石仏」で撮影場所は鎌倉岡本の「貞宗寺」です。
そこで、川崎の民家園に行って「馬頭観音+野萱草」の写真を撮れないかと、期待して出かけました。萱草は和名を「わすれくさ」と云います。万葉集でも良く歌われています。歌われるパターンには『失恋の傷みを癒やす、忘れる』時に使われます。
此れは川崎民家園の江向家住宅(合掌造り国重文)の庭先垣に咲いた野萱草の花です。
忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) なお恋にけり
(万葉集巻12)
歌意は次のようなモノでしょう。
『忘れ草を垣のところまでたくさん植えたのに、この草ったら、ちっとも効き目が無くって・・・・・余計にあの人の事が恋しくて仕方ないじゃないの・・・・・。』
此れは川崎生田緑地の土手に咲いた藪萱草です。ススキに負けないで逞しく花を咲かせます。
此方は川崎民家園内の三沢家住宅(国重文)の土手に咲いた山百合の花です。藪萱草も山百合もユリ科の多年草です。
萱草には石仏にも似た感傷が在ります。石仏を建立し拝む人は『故人の事が懐かしくて早く忘れたい』と思って祀るのでしょうが、故人は何年経っても忘れられるモノではありません。そんな意味で路傍の石仏と萱草は似ているのです。「忘れ草」の名は石仏を拝む人の気持ちに沿っています。昨年の秋「塩の道/糸魚川街道」を友人4人で石仏巡りをしました。あの道の石仏群にも今頃は「忘れ草」が咲いている事でしょう。
川崎民家園には馬頭観音も多く展示されていますし、忘れ草も良く咲いています。私はそんなことを想い出してワイフを誘って向ヶ丘遊園の民家園に出かけました。
何度も出かけている民家園です。野萱草の咲く場所も石仏を置いている場所も良く覚えています。その一つ一つを確認して廻ります。
民家園に置かれている馬頭観音では一番に美しい信州の馬頭観音です。羽衣の様な衣文が23夜塔(勢至菩薩)と見まごうてしまいます。柊の垣根の根元です。石仏の足許に野萱草が咲いていることを期待したのでした。
双体道祖神の足許には擬宝珠が咲いていました。この花もユリ科の多年草です。
此れは五個荘の合掌民家「江向家住宅/重文」の庭先に咲いていた野萱草です。
万葉人は失恋の痛みを野萱草の美しさで癒やして忘れようとしました。私は既に失恋を体験出来るような歳ではありません。でも「嫌な事」や「憂う事」を忘れるには野萱草は充分な美しさです。
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