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昨年小田急線「生田駅」の駅前の魚屋さんで訊きました。「多摩川産の鮎を食べたいのだけれど・・・・」魚屋さんは親切で教えてくれました。
「言っておいてくれれば仕入れて置くよ!」「この先の蕎麦酒房 "笙」"で出すそうだよ!」私は坂道を登ってマンションの1階にある蕎麦屋の「 笙」に行きましたがその日は開店で、平日の夕方かに休日の12時からだそうで、そんな次第で、多摩川の鮎は食べ損ねました。それでも食べた九て諦めきれず「二子多摩川」に出かけて鮎のヒラキをラーメンにトッピングした店に出かけました。
多摩川沿いの街で「多摩川鮎」を探している中に云われました。「多摩川の鮎は止めた方が良いよ、君は相模川の流域で生活しているのだから相模川の鮎を食べれば良いだろう!」私は”最もな事だ”相模川の鮎なら秦野辺りまで行けば良さそうで、津久井湖の周辺で雅趣豊かなお店を観た記憶もあります。
平塚にも在りそうな期待が持てます。隣りの大磯には「 國よし」初め川魚の名店が並んでいますから、平塚なら大衆店が在りそうな期待が持てます。7月8日平塚の七夕に出かけたのでしたが「相模川の鮎を食べる」下心もありました。
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平塚の七夕に出かけて相模川のアユを食べたいと思いました。
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相模川の河口に平塚の街があります。右が平塚で川岸に漁港が在ります。左が茅ヶ崎で緑は茅ヶ崎C。Cです。
早速に昨年観た紅谷ロードの屋台村に行きました。法被を着たお兄さんが玉の汗を拭き拭き炭火で鮎を焼いていました。1本600円です。目の下が黄色ズンで居ますから相当に脂が乗っています。
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私が鮎の塩焼きを食べたのは紅谷ロードの駐車場に出来た屋台村でした。
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屋台村で塩焼きしていたお兄さんに訊くと「養殖鮎」だという事でした。
私はお兄さんに”この鮎は相模川ですか?”訊けば”これは養殖ものだよ!”至極当然の如く言い放ちます。大河相模川の河口にある平塚の屋台で焼いている鮎が天然でない事は恥としなければいけません。私は憮然とし紙に包んだ鮎を受け取ってワイフとシェアーして食べました。本来なら冷たいビールの処がワイフが持参して来てくれた麦茶で戴きました。ワイフの話では平塚より丹沢寄りの中井には「鯰の蒲焼屋」があるそうなので、土用に入ったら中井で「鯰の蒲焼+鮎の塩焼き」を戴く事にしましょう。七夕の笹飾りを観ながら平塚駅に戻ります。途中普段は駐車場の処にテントを張って「屋台村」が出来ています。何処の屋台村も鮎の塩焼きを一番目立つ位置に置いています。私が”何処産か?”尋ねれば鮎なら何処でも同じだろう…表情です。私はこれは駄目だ!思ってもう一軒訊いてみました!
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もう一軒の屋台村ではアユの塩焼きは500円でした。塩焼きしていたお兄さんは鮎の産地には無頓着でした。
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道端で売っていた鮎は琵琶湖産だそうです。此処は看板に「ゆるり」と記されていますが「川万」という名の居酒屋です。
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粋でイナセなお兄さんはこの鮎は琵琶湖産だと教えてくれました。一年中商いをしているので琵琶湖産鮎を仕入れているのでしょう。来年からは鮎は屋台を止めて、既存店の「川万」にしましょう。
アーケードで鮎を焼いて販売していた元気なお兄さんが手を休めて教えてくれました。「この鮎は琵琶湖産だよ!」
私は何処の屋台村も養殖ものを600円で売っているよ!「天然もので500円は安いよ!」云えば答えます。
私達は1年中この店で川魚をお出ししているのだから、店内価格でご案内しています。お祭りだからと云って値上げできません!」私は「天然もの500円で充分にインパクトあるよ!」云いました。
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道を歩いて居れば向こうから「小玉スイカ」を半分に切ってスプーンで穿って食べながら歩いて来ます。屹度農協の屋台で「金魚すくい」等と一緒に商っているのでしょう。私も西瓜が欲しくなりました。駅ビル前の通路にフルーツの水信がカット西瓜を売っていました。早速「屋台より既存店」の知恵を活かしてカット西瓜を求めて駅ビルの待合所で食べました。
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平塚駅ビル前でカットフルーツを販売していた水信
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カット西瓜(400円)を求めて駅ビルの休憩所で戴きました。此処で生き返りました。




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街中に「凌霄花/のうぜんかずら」が目立つ季節になりました。この花が咲き出すと「施餓鬼会」が真近に迫ったと思います。というのは私の生家にも一株凌霄花があるのです。今年も咲きました。
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此れは私の生家の盛徳寺の庭に今年も咲いた凌霄花です。因みに背後にある大きな壺は野壺と云われる「肥溜め」用の信楽焼きです。黄泉の母も本堂の前に肥溜め壺を置くなんて…苦笑いしているでしょう。
私が未だ10歳の頃、母が鎌倉の友人に戴いた云いながら一株の凌霄花を本堂と庫裏の間の中庭に植えました。デモ、棚は作れず、裏山から採って来た竹を5本程組んで絡ませました。凌霄花の生育は目覚ましく竹から隣の木斛の樹にも絡みました。木斛は見る見る痩せ衰えてしまいました。でも、盆や施餓鬼の参詣客は見事に咲いた、凌霄花を誉めてくれました。鮮やかな凌霄花は青空を背に見上げると綺麗です。私はぼんやり凌霄花を見上げていると母は注意しました。「凌霄花には毒があるから気を付けなさい!花の滴が眼に入ると失明しますよ!」私は子供心にそんなに恐ろしい花を好んで庭に植える母の心を疑いました。施餓鬼会に連れられて来た子供は凌霄花の落花を拾って遊んでいました。私は子供に注意しました「綺麗な花を触った手で眼を擦ってはいけないよ!綺麗だからこそ毒があるんだよ!隣の木斛の樹は枯れそうでしょう。この花の毒に負けているんだよ・・・・。」
ワイフが女子会を鎌倉駅前の三代川で開くと云います。お仲間は私達の結婚式にも来て下さった方々です。私は徒歩圏に妙本寺があって、凌霄花が見事だから行くように…奨めて置きました。
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此れは2017年4月の住職(玄晶師)の教えです。この栞を用意された直後に亡くなられました。
帰って来たワイフは報告します。『凌霄花は未だ蕾でした。それより「住職の栞」止めたみたい、「山務員の一言」が代わって置かれていたわ・・』云いながら1枚のプリントを渡しました。想い起せば昨年の4月私は海棠の花を観に妙本寺に上ると総門に「山門不幸」の案内が建っていました。
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此れは昨年4月亡くなられた玄晶住職の葬儀です。祖師堂前の左右に咲くのが名物の海棠ですhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49768919.htmlにアップしました
妙本寺は「聖蹟寺院」で本山並の格式があるのです。聖蹟寺院の住職は世襲出来る訳ではなく、鎌倉中の日蓮宗寺院の住職の中で見識の高い人がなれるのでしょう。結果的には長老から長老に引き継がれ度々「山門不幸」に見舞われてしまいます。偶々文のたつお坊さんが参詣客に随筆を書き仏心を喚起されていたのが、後任の住職は嫌がったので誰かがお寺の雑事を取り仕切る「山務員」として書き始めたようです。
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二天門左の凌霄花この葛は桜の大樹の根元に植えられていたのですが、桜を殺して鮮やかに咲き続けています。今では枯れた桜の大樹も腐ってしまいました。
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二天門左側の広目天像この像の背後に桜を枯らした凌霄花が咲いています。
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二天門右側の持石天像この像の背後凌霄花が咲いていてそのまた背後に一幡の墓が在ります。
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凌霄花の向こうに見えるのは二天門の梁を隠す木鼻と呼ばれる象の彫刻です。
二天門を潜ろうとするとその左右に凌霄花が咲いています。左の凌霄花は桜の大樹の根元に植えられていた苗です。今では桜の樹は枯れて腐ってしまいました。右側の凌霄花と同じくしっかりした棚を作ってあげないとならないようです。
一方右側の凌霄花は一幡さんの墓の前に在ります。「一幡」とは鎌倉幕府第2代征夷大将軍、源頼家の嫡男。母は比企能員の娘若狭局です。本来なら将軍になるべき育ちでしたが、北条一族の姦策にあい、母の比企一族共に建仁3年9月2日(1203年10月8日)此処で亡くなったのでした。一幡にとっては父方叔母の北条政子は毒のある存在だったのでしょう。
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藍染浴衣を着た三姉妹画二天門を潜って来ました。
凌霄花に見惚れていると鎌倉の三姉妹風の女性が二天門を潜って来ました。三人とも藍染の浴衣を着ています。一人は昔ながらの「麻模様」で一人は「江戸小紋風」です。静かな境内が急に賑やかになりました。休日カメラマンの一人が挨拶に行きます「写させて下さい・・・」話が通ったようです。皆許可されたように写しはじめました。雷同し易いのが私の特長です。シャッター音の大きいのが気が引けましたが望遠で写させて貰いました。そう7月9日(月)は鎌倉大町の氏神様(八雲神社の夏の例大祭なのです。八雲神社を詣でる前に妙本寺の凌霄花を観に登って来たようです。
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右の凌霄花の奥に見えるのが比企一族の墓です。凌霄花の左端背後の植え込みが一幡の墓です。

七夕の笹飾り


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向いが江向家じゅうたくで手前右が佐々木家住宅です。佐々木家住宅の前庭と縁側と座敷を使って七夕の笹飾りを実演します。朝10時に真竹を伐って庭先で飾り付けをします。
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佐々木家住宅の座敷と縁側を使って笹飾りで使う短冊等を用意します。短冊等の飾り付けは11時半からでした。
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笹飾りのお手本は「江戸名所図会/歌川広重」の七夕です。図中に「千両箱」「鯛」「算盤」「大福帳」等庶民の願い事が笹に吊るされています。屹度品川沖の光景でしょうか?

7月7日(土曜日)には友人のH君が慶応大学日吉キャンバスの日文研セミナーで午後2時半からレポートする事になっていました。私は朝食を終えると,真っ直ぐ向ヶ丘遊園にある、日本民家園に向かいました。7月7日午前11時から佐々木家住宅で七夕飾りを実施する事になっていたのです。佐々木家住宅は縁側が大きく庭も広いので様々な催しが実施されます。今年の正月には「獅子舞」や「南京玉すだれ」の実演が実施されました。折々の節目には内裏で「節会行事(宮中)」が実施されてきましたが、江戸時代には幕府が「節句行事(民間江戸幕府を推奨しました。5節句を決め、節句には体を休めて節句料理を食べるように推奨したのでした。侍も節句は休日にしたので農民や町民も休日にして季節の変わり目を遣り過したのでした。川崎民家園は民家と云ったハードを展示するだけでなく、祭りや節句行事を実演してくれるのです。5節句と云えば「人日の節句」1月7日/七草粥を食す」「上巳(じょうし)の節句/3月3日/菱餅を食す」「端午の節句/5月5日/柏餅やチマキを食す」「七夕の節句/7月7日/ソーメンを食す」と「重陽(ちょうよう)の節句/菊酒を飲む」です。民家園では何れの節句行事も実演しています。私はその都度民家園に出かけます。

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此れは民家園のある向ヶ丘遊園に行く為に湘南台の駅広場を通った時連絡通路に飾られた笹飾り、学生等若い人が目立つ街ですから願ことは「恋愛」一色でした。

私は母や祖母の生活を観ていて気付きました、不断に良く働いていましたから、適当な間隔で身体を休めるのが「節句」であろうと。江戸幕府もせめて奇数月のゾロ目の日は体を厭って休む様に命じたのでしょう。そんな5節句の中でも重労働だった「田植えを終えた七夕の節句には休息日にするように命じたのでしょう。七夕の節句の後に最も暑い季節がやってきます。
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笹に飾られた願い事「杯」はたらふく酒を吞みたい親爺の願でしょう。「硯」は上手に習字が出来るように字を覚えるように願った良い子でしょう。「着物」は針仕事が上手になる様に願った女子の願でしょう。此処には吊るされていませんでしたが「鯛/漁師」や「算盤/商人」や大福帳もありました。鋸やカンナが無いか探したのでしたが見つかりませんでした。
朝9時生田緑地の管理棟に入る、民家園のオープンは9時半で七夕飾りを始めるのは11時半だと云います。9時半民家園の開園を待って佐々木家住宅に着くと大勢のボランティアが真竹を伐り出し笹飾りの準備をしていました。
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7月8日平塚駅に貼られた七夕のポスター。
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主通りの紅谷ロードは大変な混雑でした。6日7日の天気がイマイチでしたので、8日に大挙人出になったようでした。
7月8日には「平塚の七夕」を観に出かけました。昔は笹飾りは皆和紙で出来ていました。唱歌で歌われるように和紙の飾り物が風に揺られて”サラ・サラ”鳴っていました。今は吹き流しも短冊も和紙ではなくプラスチックで使う道具も筆に墨ではなくマジックインキです。サラサラは昔の音で今はガサガサで風流は微塵も感じません。それでも150万人の人出だそうです。

民家と萱草

庭の紫陽花の花も疲れて来ました。街に出れば凌霄花の花が眼に付きます。檜扇の花も咲き出しました。夏が近づくに従いオレンジ色の花が目立ち始めたような気がします。オレンジの花と云えば「野萱草」や「藪萱草」です。昔は三浦半島に行って西瓜畑の端に咲く野萱草と石仏を一緒の写真を撮っていました。このブログでも何度もアップした私の好きなテーマです。でも、脳梗塞で車の運手は禁じられていますので観に行けません。
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此れは私の好きなテーマの「野萱草+石仏」です撮影したのは鎌倉12社の「来迎寺」です。
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此れも「野萱草+石仏」で撮影場所は鎌倉岡本の「貞宗寺」です。
そこで、川崎の民家園に行って「馬頭観音+野萱草」の写真を撮れないかと、期待して出かけました。萱草は和名を「わすれくさ」と云います。万葉集でも良く歌われています。歌われるパターンには『失恋の傷みを癒やす、忘れる』時に使われます。
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此れは川崎民家園の江向家住宅(合掌造り国重文)の庭先垣に咲いた野萱草の花です。
忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) なお恋にけり
                                      (万葉集巻12)
歌意は次のようなモノでしょう。
『忘れ草を垣のところまでたくさん植えたのに、この草ったら、ちっとも効き目が無くって・・・・・余計にあの人の事が恋しくて仕方ないじゃないの・・・・・。』
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此れは川崎生田緑地の土手に咲いた藪萱草です。ススキに負けないで逞しく花を咲かせます。
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此方は川崎民家園内の三沢家住宅(国重文)の土手に咲いた山百合の花です。藪萱草も山百合もユリ科の多年草です。
萱草には石仏にも似た感傷が在ります。石仏を建立し拝む人は『故人の事が懐かしくて早く忘れたい』と思って祀るのでしょうが、故人は何年経っても忘れられるモノではありません。そんな意味で路傍の石仏と萱草は似ているのです。「忘れ草」の名は石仏を拝む人の気持ちに沿っています。昨年の秋「塩の道/糸魚川街道」を友人4人で石仏巡りをしました。あの道の石仏群にも今頃は「忘れ草」が咲いている事でしょう。
川崎民家園には馬頭観音も多く展示されていますし、忘れ草も良く咲いています。私はそんなことを想い出してワイフを誘って向ヶ丘遊園の民家園に出かけました。
何度も出かけている民家園です。野萱草の咲く場所も石仏を置いている場所も良く覚えています。その一つ一つを確認して廻ります。
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民家園に置かれている馬頭観音では一番に美しい信州の馬頭観音です。羽衣の様な衣文が23夜塔(勢至菩薩)と見まごうてしまいます。柊の垣根の根元です。石仏の足許に野萱草が咲いていることを期待したのでした。
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双体道祖神の足許には擬宝珠が咲いていました。この花もユリ科の多年草です。
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此れは五個荘の合掌民家「江向家住宅/重文」の庭先に咲いていた野萱草です。
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これは南部の曲屋「工藤家住宅/右側/国の重文」の外便所棟の大屋根の上に咲いた野萱草です。
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此れは上記の写真の野萱草のアップです。野萱草の根元にあるのは菖蒲の仲間のイチハツです。6月初めにイチハツは咲きます。少女の髪飾りのような「民家の簪」です。
万葉人は失恋の痛みを野萱草の美しさで癒やして忘れようとしました。私は既に失恋を体験出来るような歳ではありません。でも「嫌な事」や「憂う事」を忘れるには野萱草は充分な美しさです。



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老けた鶉の若返り

今春2羽の鶉を飼い始めました。今まで居た1羽の鶉は既に卵も産まなくなってしまった事も在って鶉小屋は空けて文鳥小屋に移って貰いました。若い鶉と老けた鶉は隣り合わせに置いてあります。私の朝の日課は鶉小屋を観て、水を取り替え、餌の食い具合を確認し、糞を観て、て餌箱に餌を与える事です。鶉の餌はヒヨコ用の餌に、精米の際に出てくる「糠」を加えます。ヒヨコの餌にはトウモロコシに、牡蠣殻が混ざっています。ですから「ヒヨコ用の餌+糠」で鶉には充分な健康食です。
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此れが我家の鶉小屋です。室内用の犬小屋に金網で覆って青大将対策をしてログハウスの庇の下で飼っています。
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奥の鶉小屋には今春飼い始めた二羽の若鳥が入っています。手前の小屋には老けた鶉が1羽入っています。今日の話題は手前の婆さん鶉です。
略、栄養的には問題ない餌になっていると確信しています。春先は明け方に啼いていた3羽の鶉でしたが、暑くなるともう啼きません。只管1日1個卵を産んでいます。良い糞をしています。身体が健康なら卵も健全で美味しいです。春先は若い鶉が1個/1日産んでいたのですが、7月に入って老けた鶉も負けじと1個/1日産む様になりました。
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此方は今春飼い始めた2羽の若鳥です。良く食べて良く啼いて良く卵を産みます、今朝は3個も転がっていました。
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「若者には負けられない」云わんばかりに婆さん鶉は2個も産んでいました。
”卵を産まないと私に食べられてしまう”そんな強迫観念が湧いている様にも見えます。私は随分楽しませてくれた「婆さん鶉」なので感謝していますし、そんな惨い事はしません。でも、健気に1個/1日産み続ける婆さん鶉を観ていると自分が激励されている、思えてきます。
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鶉の卵は笊そばの汁に入れればコクが出ます。「生姜」「摺り胡麻」に「刻みネギ」か「大葉」を入れています。もうじき庭に茗荷の花が咲き出します。
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鶏卵では大き過ぎて納豆が負けてしまいまうので「卵かけご飯」になってしまいます。でも鶉なら小さいので納豆の存在感が残ります。それでいて鶉の卵は味が濃いので、納豆の味にコクが出て来ます。
1日3個も卵が収穫できると、「納豆と笊そば」では食べきれません。そこでお好み焼きや孫の味噌汁に入れたりします。孫は「味噌汁の中で茹った卵を手にして美味しそうに食べています。健康な鶉ですから、卵の栄養価も高く、家族の健康に役立っている事間違いありません。卵は食べてしまえば後に殻が残ります。殻は砕いて再度餌に投入します。今朝は台風が梅雨前線を刺激して大雨を降らして去りました。。鶉小屋を覘くと計5個の卵を収穫しました。この調子ではレパートリーに「鶉の卵かけご飯」でも加えないと食べ尽くせません。婆さん鶉に言います。”無理スンナヨ!程々で産めよ!今年の夏は暑くなりそうだから・・・・。”
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七夕の笹飾りに今朝の鶉を供えました。



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