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童謡の故郷「浜通り」

常磐線広野駅の下りホームに黒い御影石つくりの記念碑が建っていました。「何か?」と思って確認すれば広野が鉄道唱歌の『汽車』が出来た地なのだそうです。「今は山中、今は浜、今は・・・トンネルの闇を通って広野原」の歌詞は車窓の風景そのものです。
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此れが常磐線広野駅下りホームに設えられた「汽車」の記念碑です。記念碑の下部には大和田 建樹氏が当地で唱歌の「汽車」を作詞した、と刻まれていました。
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常磐線の車両は山手線の車両と中吊広告迄同じであるにも拘らず、お客が無くて車窓風景が楽しめました。
「久の浜では海水浴に興じる家族が見えました。直ぐに鉄橋で、トンネルで、変化に富んだ鉄道です。作詞は大和田 建樹氏(国文学者で現筑波大)、作曲は作曲は大和田愛罹氏です。私は二人の関係に思い遣りました。夫婦か?親子か?ウィキペディアで調べてみれば「故郷の空」「青葉の笛」等も作詞した国文学者と記しています。常磐線の「広野駅」の名もこの歌詞からとられたのでしょう。
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これは四倉駅を過ぎて広野駅に向かう車窓です。向こうの道は国道6号でしょう。
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久野原の海岸風景
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久野原の風景防潮堤と河川に津波が遡上しないよう水門工事をしていました。

「汽車」の歌詞通りに変化に富んだ車窓風景でした。広野駅の改札口を出て待合室のベンチに腰掛ければ目の前に「童謡の町広野」と題して「トンボのメガネ」を紹介しています。額賀誠志作詞、平井康三郎作曲の童謡だそうで、広野町の町医者だった「額賀誠志」氏」が往診に出かけた際に患者宅の庭で子供がトンボとりに興じていた光景を視て作詞したそうです。
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これは広野駅待合室に懸っていた「童謡/蜻蛉のメガネ」の案内です。此処では浜降り祭『右側の写真」もあるようです。
私達は駅前の観光案内を観て「広野の地蔵石仏」を観に歩きました。歩きながら町医者を確認しました今は放射能の影響を確認する目的も加わって町医者の役割は重くなっていそうです。テレビで、甲状腺の検査をしている町医者の仁術を報じていました。役場のと駅の間の好立地に医院があったのですが、転居して閉業になっていました。動揺を作るよな、優しく蜻蛉の眼の様な広い視野のお医者さんは少ないようです。
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広野駅と役場の間に在った医院は転居していました。向こうの大きな建物が役場です。
広野駅は唱歌に童謡、次いで時間待ちした小高駅には歌謡曲「高原の駅よさようなら」の歌碑が建っていました。「小高と高原がどのように結びつくのか?」疑問でしたが、常磐線は歌になる駅が多いようです。昨年の秋には塩矢崎灯台に行きました。美空ひばりさんの歌が響いていました。
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小高駅前に建っていた「高原の駅よさようなら」の歌碑小畑実が歌った映画の主題歌で作詞は佐伯隆夫氏でした。
常磐線沿線に歌が多いのは、第一にその風景が日本人の心象元風景である事と、その住人が草野心平以来詩心が豊かな所為でしょうか?。



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今春浜通りを旅をして楢葉町にある「遠隔操作センター」を見学しました。同センターは放射能事故を招いて原子炉の底に溜まった高濃度廃棄物(デビル)や汚染水を採り出して、廃炉を完全に果たす為の新技術を官民挙って達成させる為のプロジェクトでした。廃炉作業を遣り遂げた時には日本の科学技術は高いモノになると確信させてくれました。
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此れは楢葉町にある、遠隔操作技術センターの実験棟です。此処に模擬的に原子炉を設置し、ロボットを遠隔操作して、メルトダウンして炉底に溜まったデビルを取り出す実験をしていました。
でも未だに、今夏浜通りに未だ汚染土を詰め込んだコンポストが山積みされていて、田圃の水路に赤い旗が立っているのを見ると少し印象が変わってしまいました。日本人がこの事故の跡始末を自分で遣らずに中国人頼りにやっている事実を確認したからです。目標は廃炉作業であって、福島復興であるのは明白ですが、綺麗な仕事、目立つ仕事は日本人技術者が行っています。他方汚染土壌の収集、汚染された田圃の客土等汚れた仕事「力仕事」が外国人労働力が頼りなのです。
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此れは富岡駅前海側の広場に山積された汚染土の詰まったコンポストです。捨て場が見つからないので、遠くに見える堤防の基台部分に転用する予定です。
試しに「帰宅困難地域求人情報」で検索してみると「土木工事、年収800万円、社宅完備」等の求人情報が沢山出て来ます。求人企業は主としてコンサルティング企業で、汚染土処分工事を受注したゼネコンの下請け企業なのです。下請けコンサルティング企業はは多くが外国人労働者を雇い、建設機械をレンタルして、汚染土壌の採掘収拾をして、汚染田圃に綺麗な土を客土するのでしょう。
浜通りのアッチコッチにホテルやアパートが建設されていますし、中国系の新築レストランが目立ちます。これらは外国人労働力をお客に取り込むための一時ビジネスなのでしょう。
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私が泊まった「ホテルヒレンテ広野は常磐線広野駅から2キロ南で国道6号線に面していました。1泊2食で4750円はオープンとお盆価格のようでした。お客は案の定中国人が目立っていました。総じて快適でしたが、バスの排水が室内に溢れ返ってしまい大変でした。
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此れが私達が宿泊した「ホテルヒルレンテ広野です。この8月にオープンした鉄骨プレハブ造りのコスパホテルです。開店祝いに「長嶋選手のお祝いが届いていました。訊けばオーナーの知人が長嶋選手なのだそうです。
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常磐線広野駅の東口の様子。左右に大きなビルが建っていますが左はオフィスビルで右は「旅籠屋」という名のビジネスホテルです。灯りが点いているのは現在突貫工事中だから・・・・。原発事故後の跡始末工事を当て込んだホテルです。
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常磐線広野駅の1キロ北に在る「慶州」という名の民宿・レストラン、如何にも中国人労働者の需要を当て込んだ施設でした。
と云っても私が泊まったホテルもそんな外国人をターゲットにしたホテルでした。ホテルの名は「ホテルヒルメンテ広野」でした。この夏にオープンしたので、8月中は季節的に半額でした。「ホテルから常磐線広野回駅までの送迎も地域のバスもありません。駅のタクシーを利用してください距離は2キロです」素気ない応答でした。日本人向けには刺身、中国人向けに中華料理が用意されていました。勿論中華は中国人向けの脂っぽい味付けでした。ボリューム、味とも充分過ぎました。
日本の廃プラスチックの輸出が世界的に非難を浴び始めて自主規制を始めた処ベトナム等のプラスチック企業の稼働率が落ちてしまったそうです。汚い仕事は外国人を雇って済ませる、廃棄物は海外に輸出するのは、良く似た「事無かれ主義」です。それと云うのも日本中で福島の汚染土壌の受け入れを拒否したのが原因です。果実だけは確実に手にしたいのだが…、”汚い部分は手を汚したくない”エゴイズムと呼ばれます。沖縄の基地問題も同じです。



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今回私の「気まぐれ旅行」に同行してくれたのは近くに住んで居られる高校の先輩です。読書好きで私に本を推薦してくれます。その人の興味を考えて富岡の次は南相馬の小高駅に在る「フルハウス」という名の本屋さんに行く事にしていました。私一人なら豊岡からは一旦、「いわき」に戻って精々田村市経由で郡山から帰路に着くのですが・・・。
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正面が常磐線小高駅白いバスはJRが用意した乗り継ぎバス。豊岡〜原の町間は主にこの乗継バスを使います。バスが駅舎に着く度に警察官が確認してくれます。左の白いポストは広野駅にも設置されていた、放射線量測定器が格納されています。
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小高駅前の観光マップ。右下は今春拝観した日本三大磨崖仏の「薬師如来像」右下は相馬野馬追 「火の祭」の花火と野馬追です。
そんな次第で8月16日は朝から豊岡駅に行き「乗り継ぎバス」に乗って南相馬市小高駅に向かいました。乗り継ぎバスを降りると女性警察官と駅職員が出迎えてくれました。「フルハウス」の場所を訊くと駅前通りを真っ直ぐ西に最初の信号手前右と教えてくれました。言われた通り5分も歩くとチェンバー建築の瀟洒な建物が前方に見えてきました。近隣の住宅は空き家で、庭は雑草が生い茂っています。目的の「フルハウス」はチェンバー造りの家に間違いない、庭にはバーベキュウも設えて在りました。しかし、その瀟洒な建物は廃業したレストランでした。改めて「フルハウス」を探しました。
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この建物が小高のブックカフェ「フルハウス」と確信して歩いて来ました。
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しかし山小屋風の建物は「洋菓子屋さんでしたが、廃業したモノでした。看板には「菓詩工房watanabe」となっていました。
廃業してしまった風のお菓子屋さんを後にしてまた周辺をを探します。駅に戻ろうとすると先刻フルハウスの位置を教えてくれた婦人警官がミニパトの窓を開けて教えてくれました。「フルハウスは道路向かい側よ」
早速にフルハウスの看板を見つけて本屋さんに入りました。深夜ラジオでオーナーの「柳美里さん」が話して居られて、想像していた建物とは全く違って味気ない鉄骨プレハブの建物です。戸塚の安アパートに在るような建物です。こんな安易な建物で本屋さんを始めるのなら、20m先のチェンバー風山小屋をリフォームすれば良かったのに。想いました。
でも最悪なのはその本屋さんのアルミサッシの玄関戸に「盆に付き休業します」貼り紙がしてあったのです。出掛けにネットでフルハウスのホームページを確認した時には「盆休み」は一言も触れていませんでした。
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小高駅の駅前通りに面した山小屋風の建物が本屋の「フルハウス」と思って歩いてきたのでしたが・・・。
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山小屋風の建物は「菓詩watanabe」の看板の懸ったパテスリーでした。
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駅前通りを行きつ戻りつしていると、先刻バスを降りた時迎えてくれた婦人警官が声を掛けてくれました。「フルハウスは20メートル前進した、道路向かいです」
「フルハウス」は芥川賞作家である「柳美里」氏が故郷にオープンした本屋さんです。柳美里氏は小高出身。原町高校卒、早稲田大3年生の時芥川賞を受賞した今風女性作家ですが。原発事故で故郷が寂れてしまった現実に対して故郷に本屋を昨年オープンさせたのでした。深夜ラジオにでられて「地元の学生が通学の待ち時間に立ち読みに寄って何時でも満員状態(フルハウス)にさせたいとして、同名の本屋を開設させたのでした。「https://motion-gallery.net/projects/fullhouse-odaka」に詳しい。
私も同行してくれたS氏も読書好きですが、柳美里氏の著書は感性に隔たりを感じて、未読です。でもそこ志しの高さや、故郷愛は感服します。
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正面の2階建て鉄骨プレハブ作りの民家がブックカフェの「フルハウス」です。
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「盆の為休業」の貼り紙がしてあって・・・。愕然としました。柳美里氏のお住いの鎌倉から遥々来たのに・・・・・・。せめてホームページに盆休みの予定をアップしておいてくれれば良かったのに・・・。
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アルミサッシ製の玄関戸から内部を覘いてみました。のれんの奥の部屋に椅子と机が並んでいるので、其処に本を持ってきて「立ち読み」ならぬ「座り読み」して電車の来る時間を有効に使うのでしょう。
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「フルハウス」の玄関壁に貼られた柳美里氏の新刊本ポスター
「フルハウス」が休みと知って急に腹が空いて来ました。駅前通りにはカレー屋さんや丼物のお店がありましたが、何処も開店は午後からです。午前中から開店する食堂なんて在る筈ありません。処がフルハウスの海より隣に「東町縁側商店」という名の「コンビニ」昔風に言えば「ヨロズヤ」がありました。見れば店の前駐車場に面してベンチが置いてあります。お店で買い物をしてベンチで飲食してください!」そんなコンセプトのようです。昔は戸の家にも縁側があって、誰でも座って住人同士が交流する光景が観られました。そこで、私達は「縁側商店」に入ってお握りや果物やカップ味噌汁を買い込み、縁側代わりのベンチに座って食べる事にしました。
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此れがフルハウスの海よりに在った万屋の「東町縁側商店」です。店内は高校生で一杯です。
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私達は店内で御握りと稲荷ずしを食べました。周囲の壁には地域情報が貼られていました。
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地元小学生の縁側商店向け礼状。
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「縁側商店」の店内、高校生は福島県立小高工業高等学校の生徒です。昔から福島県はいわきにも福島にも工業専門高校(所謂高專)があって、工業教育も進んでいるのです。
食べていると高校生がゾロゾロ店内に入って来ました。都会の高校は8月一杯夏休みですが小高の高校は夏休みが短くて、「田の草取り」や夏祭りに高校生の力を期待しているのでしょう。
高校生は腹が空いて家まで我慢できないのでしょう。ハンバーグやアイスを買って私の隣で食べ始めました。私が高校生に訊きました。
「午後は横浜に戻るのだが、いわき回りが早いか?仙台回りが早いか?」
高校生はスマートフォンを使って調べてくれました。すると、突然に縁側商店の店員がメモを書いて遣ってきて教えてくれました。
「この高校生は皆次の下り電車に乗って原町に行くから、一緒に原町に行きなさい、原町駅前から、福島駅西口に行くバスがあるので、福島駅から新幹線でお帰りなさい」
私は、親切に感謝して、縁側商店の店員の教えてくれた通りに帰る事にしました。
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縁側商店の店員が書いてくれた私達のベストの帰宅方法。
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縁側商店から小高駅に向う時に見つけた民間の放射能測定施設。
小高駅に集まった福島県立小高工業高等学校の生徒さん。私達は彼等と一緒に原町駅に向かいました。



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耕作放棄地の植物相

私が中学時代理科の時間に次のような講義を受けました。場所はサッカーのグランドでした。私が卒業した中学・高校は栄光学園で、理科の講義はクラス担任でもあった山本先生でした。サッカーのグランデに出て、
「各自1メートル四方に根を張っている植物を観察して、絵にして、その植物の名前を調べなさい!」私達は好き勝手に広いグランドで適当に場所を選んでに生えている植物を絵に描き、名を調べて書き記しました。
今では小学校でも5年生になると、校庭の植物群落を観察する授業をしています。最近は小学校も進んでいるようです。私は植物の根も観たいと思って引き抜いて絵に描いた処大変に誉められました。今想い起すと先輩の養老孟司さんも山本先生の薫陶を受けられて「大の虫好き」が一層助長されたのでしょう。「虫が居るから人生が楽しい」言われています。
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此れは常磐線車窓の風景水田に放射能を多く含んだ土壌が流れ込んだ疑いが高いので、多くが耕作放棄地になっていました。耕作放棄された田圃はイネ科の葦や蘆やススキや群落を為し、時間が経つと柳の樹が生えるようです。向こうの山は阿武隈山系になります。手前は線路の土手には葛が生えていました。
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田圃の脇には水路があります。汚染土は未だこの水路に沈殿しているので2018年にはこの水路の土も撤去して新しい土に入れ替えるのでしょう。赤いリボンで標が立っていました。
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豊岡町の水田、稲は花が咲いていました。株は太く、シッカリしているので豊作間違いないでしょう。問題は放射能レベルが低い事です。
私は今春迄帰宅困難地域であった「富岡町」から「大熊町」更に「浪江町」の耕作放棄された水田を観ていました。今年は「除染特別地域」となっている7町村(楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村及び飯館村の除染を完了する計画です。隣りの田圃は稲の花が咲いているのに、除染を待っている田圃が多くありました。
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汚染土壌の為に耕作放棄されていた田圃も汚染土壌の撤去と綺麗な土を客土することに依って除染工事は完了する事になります。
耕作放棄された田圃は矢張りイネ科の植物の生育に適して居るのでしょう。
ススキや蒲や葦や蘆が生育していました1万年前も屹度こうした植物が繁茂していた低湿地に水路を設えて米を栽培したのでしょう電車が鉄橋を渡ると津波が駆け登った川岸に縄文人が「柳葉魚」や「鮭」を狩漁しているように思えました。人間さえ居なければ地球は美しく永遠に持続して来たでしょうに・・・・。
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向こうの橋は国道6号線、川原には葦や蘆や蒲のイネ科植物が生育しています。耕作放棄の水田は一度人間の手が加わっていない時の植物相に戻るようです。そして柳の様に湿地でも生育する樹木が生えます。
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こんもりした樹木は柳です。
原発に近い広野駅周辺は住人が戻っているものの、少し距離のある、豊岡駅周辺浪江駅周辺は、田圃も休耕田が多く、南相馬市小高駅周辺の民家は多くが空き家状態でした。屹度3.11日の南風によって少し距離のある、南相馬市や飯館村に放射能が降ったのでしょう。その為に『帰宅困難地域』『居住制限地域』『避難制限解除準備地域』の指定区分が為されたのでしょう。
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此方は「道の駅飯館」の前の水田、一面向日葵が咲いていました。「向日葵」や「菜の花」には除染効果があると喧伝されました。
原発事故で一気に放射能は上空に上って折からの南風に乗って北西方向に流されたのでしょう。放射能は阿武隈山系の峯によって雨になって麓の里に降ったのでしょう。豊岡町は火祭りの行われた麗山に遮られた雨雲から濃い濃度の放射能に汚染されたし、遠い飯館村は霊山に遮られた雨雲から降った放射能で、今も居住禁止区域の指定を受けて、解除手続きが遅れたのでしょう。
小高駅周辺の民家は未だ空き家が目立っていました。空き家の庭は背高泡立ち草が最初に生えて、次に大待宵草(月見草)やススキに葛が生えていました。こうした雑草に入り混じって住人が庭で育てていたと思われる「宿根草」や「球根草」が生き延びていました。屹度主人が戻ってきて背高泡立ち草やススキを退治してくれるのを待っているのでしょう。でも、雑草に混じって「高砂百合」が咲いていました。高砂百合は強い花です。
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小高駅前の民家は総じて空き家が多く、その庭は「背高泡立ち草」や「シオン」が生育していました。雑草に混じって白いユリ(高砂百合)が目立っていました。
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此方は住人が庭で愛玩していたと思われる「夏水仙」です。住人の帰りを待ち望んでいるのは花だけではありません。
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人間の手が入らなくなった庭は植物の生存をかけた戦場です。
植物の群落を観察する事は「生きぬく事に懸命な命を知る事です。養老孟司先輩は「虫ありてこそ人生」と云われておいでです。被災地の住人も植物を観て「生きる勇気」を駆り立てていることでしょう。




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今回の福島県浜通りの旅では常磐線の駅舎で時間を潰す事が多くありました。駅舎では「乗り継ぎバス」を待ったり、神社や博物館へのアクセスを調べたりしました。駅舎に集まる住人を観るのも楽しみです。時間を過ごした「常磐線駅舎」は「いわき駅」「浜野駅」「豊岡駅」「浪江駅」「小高駅」「原の町駅」でした。多くの駅舎に放射線量の測定値をデジタル表示していました。
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常磐線富岡駅今春「帰宅困難地域の指定が解除され、常磐線も再開されました。けれども富岡駅(双葉郡)と原ノ町駅(南相馬市」の間はバスの引き継ぎ運行になっていますので不便です。バス待ちの為に駅舎で時間潰しを余儀なくされました。
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此方は常磐線広野駅です。駅の海側は大規模ビジネスホテル(旅籠)の新築工事中でした。
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此方は常磐線「小高駅」です。乗り継ぎバスの送迎に立ち会っているのはJR職員と婦人警官です。バスを一番で降りた途端に婦人警官が待っていたので「ドキッ」としました。
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小高駅には福島県立小高産業技術高等学校の生徒が沢山いました。女子生徒は男子生徒と距離を置いていました。皆スマートフォンを観ているので、5mも離れていない女子生徒と隣りの「原の町でお茶しない!」なんて交信しているのでしょう。
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広野駅に懸っている「放射線量」デジタル表示板。
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デジタル表示板は刻々と数値が変化します。
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広野駅の待合室、座っている女子中学生は「放射線量が基準値を3桁も下回っているので千倍も安全です」教えてくれました。
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放射能の側英装置を探したのですが、ホームにも無いし、ロータリーに面した植え込みの前にあるクリーム色の鉄製のポストの中に測定装置が設えてあるようでした。
環境庁の指定では、地上1.8mと指定されているだけで、風の強さ等の指定は無いので、普通の生活をしている上で、受ける放射線量の意味でしょう。ホームや線路の何処かに放射線の測定装置が設置されているのでしょうが、見つかりませんでした。駅舎のベンチでボーッと坐っていると刻々変化する放射線量が気になります。デジタル表示板には「原罪の放射線量が、0.112シーベルトだと教えてくれているだけでその量の評価は何も判りません。「屹度。0.112シーベルトだから安全です」言っているのでしょうが、気温とは違います。35度だから、暑いので熱中症に気をつけて水を飲もう」というようにはなりません。「0.112シーベルトだから危険なので、早く立ち去ろう」とは思えません。駅員は総じて無愛想なので訊く気にもなりません、そこで学校に行く女子中学生に教えて貰いました。女学生は放射線量については詳しいのでしょう、文部科学省が決めている屋外基準値は「0.19マイクロシーベルト/時間」ですから。学校でも駅舎でも放射線量は良く確認しているのでしょう。
成長盛りの女子中学生の甲状腺に異常をきたしてはなりません。

私は勇気を出して女子中学生に話しかけました。
「私達は麗山神社の火祭りを観に来たのですよ!、感動しました。でも火祭りの後の盆踊りは若い人の姿が見えないので残念でした。来年は浴衣を着て火祭りに厄除けをお願いして、盆踊りもして下さいね!」
女子中学生は終始笑顔で変な爺さんの相手をしてくれました。駅舎の壁には防犯カメラが私を写していました。

麗山神社の火祭りを観て、翌日(8.16日)は小高駅に向かいました。柳美里さんの本屋(フルハウス)に行く為です。今春にも小高には薬師磨崖仏を拝観に来たので、今年は南相馬市小高に縁があります。豊岡駅から小高駅迄は接続バスに乗ります。途中浪江駅に一時停車原発の遠隔操作施設やJビレッジの在った木戸駅を通り、1時間で小高駅に着きました。発車に際して注意事項をアナウンスされました。「バスは途中帰宅困難地域を通りますから、困難地域では窓は開けないで下さい」風評被害を助長するようなアナウンスだな!」思いましたが・・・・。バスの利用者はスマートフォンで連絡していました。「只今浪江です。後20分で小高駅に着きますが出迎えないで結構です、お昼は家でとります。」以前は車内で携帯電話をしないで下さい。アナウンスしていたモノでしたが、「せめて、冷房していますので窓は閉めた儘にして下さい!」アナウンスすれば済むモノを・・・・・・。

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此れは浪江駅です。駅の海側の田圃は耕作放棄されていました。
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豊岡駅から小高駅迄は引継ぎバスに乗りました。バス自体はJRの「ガーラ」で運転は「浜通り交通」が代行しているようでした。
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此れが代行バスの車内です。
「途中に帰宅困難地域を通りますので窓は開けないで下さい!」アナウンスされて、社外を見れば黒いコンポストが未だ山積みされています」
日本国民は揃って浜通りの放射線量の減少を期待しています。それは昭和の経済成長の恩恵に浴した一方後世に憂いを残す後ろめたさを打ち消す責任がある世代だからです。昭和は戦争をしてしまった罪と放射能で国土を汚染してしまった罪のダブルの罪を犯してしまいました。その罪を償うには「戦争をしない倫理観」を文化に鍛える事と、放射能を防ぐスキルを磨く事だと思います。何か複雑な気持ちにさせる「窓閉めアナウンス」でした。
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富岡駅の海側に山積された汚染土の入ったコンポスト。




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