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7月26日(木)に上野のk0クリル科学博物館特別展「昆虫」を観に行きました。平日とは云え夏休みに入っていますから、子供達に導かれた家族で賑わっていました。
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これは上野の国立科学博物館で展示している「昆虫展」のポスターです。
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此れは昆虫展の会場案内です。今日の話題は展示中の「ゴキブリ」の展示です。真ん中上に在る導線を外れた小さなコーナーでした。
展示室に入るなり巨大な昆虫に圧倒されます。実物の200倍、300倍の「蚊」や「蜜蜂」は脅威で怪物です。暫く見上げていた子は首が疲れて展示テーブルに腰掛けてしまいました、今晩怖い夢を見て魘されないか心配です。
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240倍にもすると小さな筈の「蚊」も弩迫力です。
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此方は子供達の好きな「クワガタ」ですからヒーローにピッタリの格好の良さです。
圧倒的な展示は「昆虫標本」です。何しろ数が多いのです、一つ一つの昆虫標本が出来たプロセスは昆虫愛に裏打ちされていることでしょう。昆虫標本が表とすれ裏の壁に囲まれて「Gの部屋」というコーナーが在りました。「Gの部/屋君は入れるかな!」コピーされていましたので察しがつきました。GはゴキブリのGです。「君」は間違いで「お母さん、お姉さん」が正しいのでしょう。
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昆虫は子供達に人気ですから理科以外のノートも昆虫が表紙になっています。
ゴキブリは縄文遺跡のゴミ溜め(貝塚)にも育っていました。人類とは1万年以上も連れ添って来た昆虫です。朽木を分解し、残飯も食べ尽くして自然環境を維持してきたヒーローです。なのに台所を預かる主婦や姉さんには嫌われています。戒めるべきはゴミ処理が下手な人に遇って、その不首尾を補っているのがゴキブリなのですから『恩を仇に思われています。我が町内のゴミ捨て場には金網の底に下垂れた残飯を舐めにゴキブリが集まっています。熱したアスファルトは60度はあるでしょうから、ゴキブリの耐熱性は脅威です。加えて地球上の寒冷期も耐えて来たのですから、既に神の領域の生物です。展示には日本の一般的なゴキブリに加えて「黄色てんとうゴキブリ」や「ニコニコゴキブリ」も展示されています可愛いかったり。綺麗だったりしてゴキブリも多種多様です。
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主として森林に棲んで朽木を分解しているゴキブリ、都会の台所に適応したゴキブリは亜流のようです。
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此れは主催者のゴキブリへの認識『地球環境の維持には不可欠な生物)です。
私は鶉を飼っています。鶉の餌はロッカーに入れて在るのですがゴキブリ君はロッカーの2ミリも無い隙間にも入り込みます。
ゴキブリが庭で棲息すればゴキブリを食べに家守や蜥蜴が集まって来ます。家守も蜥蜴もワイフは嫌いですからゴキブリがいなくなれば我家の住環境は数段向上します。でもゴキブリを壊滅させれば我家の生物多様性は損なわれますから、私の楽しみは減ってしまいます。
昆虫対策の展示もありました。定期的に木の幹を振動させる装置もありました。先日日大生物資源学部の森のクヌギの樹を枯らさせてしまったカナブンやカミキリムシなら振動させれば天敵が来たかと思って逃げ去るのでしょうが、フェロモンを使ったり様々な駆除策が在るようです。
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此れはアメリカ大陸のモルフォ蝶です。上段は雄で下段は雌です。一般に繁殖の為に雄は目立ち雌は目立たない色をしています。雌雄の蝶を結びつけるのがフェロモンです。フェロモンを調べる事によって昆虫の害を予防する事も可能です。
先日読んだ「前野浩太郎氏」んぽ「バッタを倒しにアフリカへ」は「蝗害対策」の本でしたが、地球環境や生物多様性を損なわずに有効な対策を立てるには地道な基礎研究が大事なようです。
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昆虫のフェロモンを嗅ゲルコーナーもありました。高校の時の部室のような匂いでした。
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果物の樹を喰い枯らしてしまう昆虫対策には写真の様な振動装置を取り付けると有効だそうです。
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此れは展示会場出口に在った記念撮影用のパネル。香川照之氏『NHK教育テレビの”昆虫はすごいぜ”のサポーターでもありました。




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私の学生時代は、『稲作が始まったのは弥生時代の初め、年代でいうと紀元前4〜5世紀』と教えられました。 ところが平成15年の国立歴史民俗博物館の報告によると、弥生時代の土器に付着している「ふきこぼれ」の放射性炭素を加速器質量分析法(AMS法)によって測定したところ、考えられていたよりも500年も時代を遡るという結論が出ました。我国稲作は紀元前10世紀頃に始まったということになります。 この報告は考古学の世界を震撼させました。丁度その頃私は友人と3人で東近江の野洲市にある「銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)」を見学しました。関心は巨大な銅鐸に在ったのでしたが、博物館の庭は蓮が生育し。竪穴住居が復元されていました。そして田圃も復元されていました。野洲遺跡の田圃が縄文時代のモノか古墳時代のものか、説明はありませんでしたが、縄文時代の稲作に関心が寄せられました。
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此れは琵琶湖東岸に在る野洲市に在る銅鐸博物館の銅鐸展示室です。でも室外には竪穴住居や棚田が復元されています。私はこの丘陵に立って琵琶湖を臨むと最初に縄文人がこの丘陵に棲んで狩猟採取生活を営み、次いで弥生人が野洲川の沖積地に湿田を造成し、その後住人も増え力のあるリーダーが出現して古墳時代に突入リーダーの権威を示す、銅鐸が作られた、と思うのです。
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此れは野洲市に在る銅鐸博物館に復元された棚田です。案内板には「赤米田」とされていましたが。古墳時代には「赤米」を栽培した棚田でも最初は焼畑を常用した田圃であったのか?疑問に思うのです。
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野洲市の銅鐸博物館の丘陵地には竪穴住居が復元されその周囲の湿地は大賀蓮を栽培していました。銅鐸を作った古墳時代はこんな景色だったのでしょうが、私の興味は縄文時代にこの田は如何であったか?と云った事でした。
東近江はこの辺りから「永源寺町」にかけて今も棚田が多く残り地名に「畑」も多いのです。私は縄文時代は柘植にかけて焼畑が盛んに行われた先進地域で、他地域に先んじてく弥生時代や古墳時代に突入したと想像定しているのです。概して、畑の付く地名は焼畑が近世まで存続していた処と思います。縄文ビーナスが出土した「棚畑遺跡」は棚田と焼畑をイメージさせる地名です、木喰上人の生誕地山梨の丸畑も稗や蕎麦しか生育しない焼畑の地形です。
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此れは縄文文化で最初に国宝に指定された「土偶/愛称縄文ビーナス」です。私は尖り石縄文考古館で「仮面の土偶」と一緒に観たので、尖り石遺跡で発掘されたのかと思っていたのでしたが国立博物館での縄文展でビーナスは「棚畑遺跡」で仮面は「中ッ原遺跡」で発掘された事を知りました。どちらの発掘風景も縄文集落は狩猟と採取を生業としていたことを知りました。採取を安定的に行うのが「焼畑農業」で「焼畑で稲が栽培されていたのか?」が次の疑問でした。
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此れは現在展示されている国立博物館の縄文展のパンフレットです。左が「縄文の仮面の女神」右が縄文ビーナスです。八ヶ岳の山麓は幾つもの縄文集落が在って、黒曜石(和田峠)や翡翠(糸魚川)も出土しています

国立歴史民俗博物館の報告は「稲作の始まりは紀元前10世紀から5世紀(縄文晩期)まで遡るモノであり従来の定説(稲作の開始は弥生時代)を覆すモノでした。以来私は興味を持って次の仮設のどれが正しいか考えて来ました。
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これは「横浜歴史博物館の年表です。エジプト第三王朝時代に我国では縄文時代中期でした。横浜は石器時代丘陵で狩猟生活していた人々が所謂「縄文海進」(温暖化による海面の内陸進行)により海辺が内陸に進出したので貝の採取が出来るようになって芋やキビの栽培も始めるようになりました。
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横浜歴史博物館の石器時代前期縄文時代の展示マンモスの骨とマンモスを狩猟する縄文人の創造画が展示されています。
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横浜歴史博物館の前記縄文時代の展示様々な狩猟道具を展示すると同時にその使い方を説明していました。
仮説1/稲作は縄文人が始めたモノで、それは陸稲であった。縄文人は焼畑をして、「蕎麦」や「稗」や粟等雑穀に加えて陸稲も輪作していた。その後山から里に下りて湿地で本格的な水稲栽培を始めた、水稲栽培の技術は南方から島を伝ってやってきた弥生人であった。
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横浜での縄文海進を説明するジオラマ。横浜駅は海の中で鶴見川沿いも私の住む戸塚も海辺で在った事が解ります。縄文遺跡はそんな海を見下ろす丘陵に集中していました。
仮説2/本格的な水稲栽培は弥生人が始めたモノであった、弥生人と縄文人は同じ時代に棲み分けしていた(山には狩猟採取生活を営む縄文人、里には湿地で稲作栽培をする弥生人が垂直に棲み分けていた。その後集住生活を営む弥生人が優勢になり、山に登って水稲を畑で栽培する陸稲栽培を始めた。

従来定説では稲作の始まりは弥生時代であり、縄文時代晩期と重なっていました。処が科学の進歩『放射性炭素を加速器質量分析法』によって土器についた吹きこぼれを調べた結果、縄文時代晩期には稲作が行われていたことが確認されました。
考古学の世界で長い間の定説をもう一度検証する事を義務付けられました。今もこの問題を巡っては大論争の渦中にあるようです。各地の博物館もこの論争を意識して展示しています。私は昨秋友人と行った「亀岡古墳」でも「三内丸山古墳でも稲作を確認しながら見学しました。私の生活圏では縄文遺跡は「多摩川台遺跡」や「大熊中町古墳(センター北」があります。横浜歴史博物館の常設展示を確認すると。縄文前期には猪や鹿の狩猟を主としながらも畑作(芋?)の栽培や家畜(鶏)の飼育もおこなっていたと判断していました。
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横浜歴史博物館の縄文時代の展示室のパネル。上から「水田耕作」「畑作」「採取」「狩猟」「飼育」「貝の採集・漁労」と分類されています。私の関心は稲作で「稲」は水田と畑作双方に描かれていました。昨今の中国の遺跡発掘の成果で揚子江河口部の遺跡かジャポニカ米も「インディカ米」も発掘されています。という事は、南方人が日本に渡ってインディカ米もジャポニカ米も伝えたが日本の地にはジャポニカ米が適して居た事になります。
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上記のパネルの下には水田で使われた農器具が展示されていました。左が「鍬」で右は「鋤」です。
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此れは横浜歴史博物館の縄文時代の展示中の縄文人の生活想像図です。竪穴住居の奥に稲穂のたわわな田が見えます。家族は河原石を焼いてお米を蒸す準備でもしているのでしょう。
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下が縄文集落のジオラマで、上はその想像図です。想像図の手前の白い窪地は「貝塚/ごみ溜め」でしょう。私が注目したのは集落の外周に作られた「畑」でアリ。畑で栽培されていた作物です。多くは麻の様な背の高い植物でしたが、それが「稗」か「タロイモ」か若しかして「陸稲」かと思って観ました。
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右は湿地に置かれた丸太は木道です。都築の古梅谷遺跡の湿地の発掘写真で、左はその木道を歩く人の想像図です。注目したのはこの湿地に栽培されていた植物です。絵では「稗」か「麻」の様に見えますが背の高い稲(インディカ米)かも知れません。自分の疑問をボランタリーの説明員にぶつけると「此処には想像図が沢山展示してあるので、その作物等について皆で議論してみたい。との事でした。
最近は『日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣/茂木健一郎』が評判です。『”日本の国が駄目になったな訳は東大法学部卒の官僚が国を導いている為だ”等痛快な発言が人気の理由のようです。』同氏の専門の脳科学の分野について次の発言が在ります。
『人間は歳を重ねると大脳側頭葉に知識が溜めこまれます。一方大脳前頭葉は好奇心を刺激し、閃きや直観を司ります。だから、高齢者が好奇心こそ活発であれば新発見をするチャンスに恵まれています。』
その意味では高齢者にとって現代の歴史学はチャンスに恵まれているのです。その理由は歴史学と科学や民俗学や文化人類学の隙間が埋められて歴史学の不明な部分に他の学問で培った知識やスキルを活かすチャンスが在るのです。良い例が歴史学者の主張よりも小説家や漫画家の推察の方が面白い事が多いのにも現れています。
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北斎最晩年の傑作赤冨士は北斎の見識の積み重ねと衰えを知らなかった好奇心の成果でした。
葛飾北斎が代表作『富嶽百景』に着手したのは1834年84歳の時でした。93回も転居を繰り返した北斎です。側頭葉には様々な風景や他の人の作品を観た知識が溜まっていたことでしょう。その知識を駆使して前頭葉に宿した冨士を「富嶽三十六景」に描いたのでしょう。側頭葉しか使わなければ模法で終わってしまったものが前頭葉を駆使したので、名作を作成出来たのでしょう。
富嶽三十六景を描いた北斎に較べれば私は未だ未だ若い事になります。
これからもアッチコッチ出かけて自分の眼で観て、考えてみる事にしましょう。私に創造力(想像力)さえあれば”これからでも何か出来る”かもしれません。



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八幡宮の「鳩御籤」

7月26日(金)に鎌倉の鶴岡八幡宮に出かけました。新調なった段蔓は石敷きにしたので砂利敷きに較べてズット歩き易いのですが、照り返しがきついので汗を拭き拭き八幡宮に辿り着きました。境内に入って早速休憩所で水分の補給です。
境内では高齢の作業員が8月6日に始まる雪洞祭りの雪洞を建てる支柱を建てる作業中です。
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此れが八幡宮の雪洞祭りです。このお祭りが終われば立秋ですから暑さも峠を越します。
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八幡宮の境内では雪洞の支柱を建てる作業中でした。
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御神籤には2種類あります。筮竹を曳いて巫女さんに御神籤を手渡して貰うスタイルと、籤引き箱の中に手を入れて自分で引くスタイルです。鶴岡八幡宮では前者が100円で後者が200円です。
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此方が鳩御籤(200円)です。箱の中に御神籤が入って居るので、好きに御神籤を引きます。すると御籤には「鳩の根付」が付いています。根付と御神籤合計の金額が200円なのです。看板には鳩の根付が7色ある様に見えます。
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此れが私が引いた鳩御籤です。「中吉」でしたが「夏草のむぐらに深く隠れ居て露わに見えぬ野辺の姫百合」の詠歌が気に入りました。私はそんなに奥ゆかしい人格では無いので「斯くありなさい」という神意と受け止め結んで帰りました。根付はワイフに詠歌共々プレゼントしました。
処で先日終わった日文研セミナーで私は「厄除けの民俗学」と題してプレゼンしました。その折「御神籤を引いたら「凶の御籤を引いてしまった、その実籤を如何しますか?」質問した処多くの人が改めて良い御神籤が出る迄引き続ける」答えられました。私は「鶴岡八幡宮にはそんな時の作法を案内している」説明した事を想い出して改めて確認しに本殿東側の御神籤売場に向かいました。
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鶴岡八幡宮の「凶運御籤の納め箱)赤い箱の上に「掴み矢」が置かれているのでこれを手に一回転させます。そして凶運を示した御神籤を神様にお返しします。
御神籤売場の東側には前記「鳩御籤」の箱が設えて在り本殿の並びに「赤い箱があって、凶の御神籤を返却できるように案内してあります。黙って凶の御籤を赤い箱に返すのではなく。鏑矢を回して。「私の運勢を代えて下さい」念じるのです。神様は庶民の想いを理解されてもう一度神意を示されるのです。学校の先生や親のアドバイスを伺ってから「気に食わないので無視するより」は「もう一度お伺いする方が礼に適った正しい姿勢でしょう。




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旅行ブログ

京都で言えば「洛中」と「洛外」とは大違いです。「城下」と「城外」の違いが在るでしょう。鎌倉とて同じです。鎌倉の城壁が背後の山脈だとすれば、山脈の内側が「府内」で山脈の外側は「府外」です。「府内」には景観条例等で古都の景色が守られています。鶴岡八幡宮が背後の山を墓地開発しようとしたところ大仏次郎や小林秀雄が”府内の景観を守れ”と言って反対運動をしました。その結果鎌倉の風景が守られて来ています。今年3月鎌倉市景観条例が改正されました。快晴の要点は①早期に開発計画を提出させ、行政が充分に市民の意見を吸収出来るようにすることでした。既に長い歳月が経っていますから、鎌倉府内背後の山を切り崩して開発する行為は出来ないでしょうが、新築建物の高さや外観に係る制限は別問題です。現実的に新しい建築が出来るとなると「どうなるのか?」気懸りの工事が2件進行中です。一つが若宮大路に面した旧鎌倉警察署の跡地(500坪)です。杭打ちクレーンの高さを観ると。相当に高いビルになりそうな気配です。お知らせ看板を観ると工事主体はJR東日本でホテル計画ですが、高さは不明です。
JR東日本系列のホテルなら鎌倉にとって好ましいモノでしょう。日本を代表する観光地に相応しいホテルがオリンピック前に竣工する事でしょう。
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7月24日(火)鎌倉花火大会の日南向きのバスは元警察署前の臨時停車場から発着しました。矢板に囲まれた工事現場です。

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此れが鎌倉の元警察署跡地に計画されているホテルでツインルーム138室延床8800平米の鎌倉最大のホテルになって2020年春オープンの計画です。写真はJRの発表を鎌倉経済新聞が報じたモノ。https://kamakura.keizai.biz/headline/254/
もう一つが鶴岡八幡宮の「旧神奈川県立近代美術館」の跡地利用です。同建物はゴルビジェに師事した板倉準三氏の作品で我国を代表する昭和モダニズム建築でしたが、竣工60年を経て耐震診断やエレベータの必要性が指摘された新館棟と学芸員棟は県が取り壊す事になっていました。処がこの機会に、鶴岡八幡宮は県に土地の返還を要求し、市民の関心を呼びました。「鎌倉市民は総じて保守に親しみ、同時に革新好み」なのです。近代美術館の取り壊しを問題にしました。八幡宮は禰宜の交代直後でもあり既に「段蔓の古い桜並木の植え替え計画も実施していました。鎌倉市民は総じて古い桜並木の伐採を疑問視していました。近代美術館の本館棟と関連棟を取り壊して、八幡宮はどうしようとしているのか?文化財に指定されている近代美術館の建物はどうなるのか?問題にしてきました。同博物館の池を鋏んだ向かいに「喫茶室/豊嶋屋運営」がありますが、近代美術館を取り壊してレストランを経営しようとでも咬み付きそうな気配でした。
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此れが八幡宮の平家池です。奥に在る白い壁が神奈川県立近代美術館で、板倉準三氏によって竣工した時には大谷石を積み上げた上野の近代美術館に似た昭和モダニズム建築でした。白い部分は増築したもので、如何にも付け足した外観でした。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%B8%BB%CA%BF&sk=0にあっぷしました。
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此れは現在工事中の近代美術館。白い部分は旧本館の建物では無く取り壊し中の覆い(足場)です。
私は近代美術館の修復工事の現場を確認しました。工事のお知らせ看板も出ていません。工事中、遮蔽壁になっている矢板にも施工業者の名は出ていません。唯覗いてみると、当初の板倉準三氏による建物はそのまま残っています。、という事は重要文化財に指定された昭和モダニズムのデザインやインテリアはそのまま残して、新築部分を加えるのでしょう。鎌倉市民も県民も「自慢の近代美術館の建物」が残された事で、一安心でしょう。
増改築後の利用計画を確認しました。新しい施設の名は「鎌倉文華館/鶴岡ミュージアム」だそうです。開館予定は昭和31年春だそうです。目的は次の諸点を上げています。
1、新たな交流と文化を育む。
2、鶴岡八幡宮と鎌倉に付いての理解を深める活動を行う。
3、参拝を深める空間とする。
という事は8/6日に始まる雪洞祭りの雪洞の展示等もするのでしょう。流鏑馬や例大祭、節分行事等も展示して理解を深めてくれるのでしょう。。
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此れは八幡宮の発行する機関誌「鶴岡」における「鎌倉文華館」の記事です。
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これは雪洞祭りに寄せられた後藤純夫氏の法起寺三重塔を使った団扇です。故平山郁夫氏の絵を始め当代一流の鎌倉に縁の深い画家や有名人の作品が寄せられます。今までこの展示は八幡宮裏の社務所で行われていましたが、今後は鎌倉文華館で展示されるのかもしれません。奈良には「大和文華館」が在って「奈良学」の求心力になっていますが、同じような役割を「鎌倉文華館」も期待されているのかも知れません。
鎌倉の良さは「武士のメンタルであった、質素剛健、礼等の文化伝える文化と歴史、そんな文化を育んできた豊かな自然と自然を神と敬愛する信仰です。」ですから日本のインテリは鎌倉を愛し、生活し、死んでも鎌倉に埋まりたいとしてきました。”鎌倉の景観を守れ”先導した小林秀雄は東慶寺に大仏次郎は寿福寺で眠っておいでです。こうした先達も納得されるような開発が為されれば良いのですが・・・。



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朝の楽しみは庭の花

熱帯夜が続きます。でも、ワンちゃんも元気で食欲も旺盛ですし。婆さん鶉も毎日卵を産んでくれます。私はペットに挨拶して、庭の草花や野菜の表情を確認します。新聞を取にポストに行くと昨晩羽化した蝉が飛び立ちます。庭木のアッチコッチに空蝉(蝉の抜け殻)が付いています。蝉も羽化する場所を間違えると、蝙蝠(こうもり)や家守(家守)に食べられてしまいます。早朝私の足音に驚いて飛び立つ蝉は幸運なのです。今朝から精々1週間の儚い命です。精一杯生を謳歌して、子孫を残して蟻の餌になって欲しいモノです。
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此れは油蝉が羽化した跡の抜け殻(空蝉)です風の谷のナウシカのモームを想わせる姿です。源氏物語の「空蝉」は夜這いをした源氏でしたが想い人は夜這いの気配を感じ12一重を脱ぎ捨てて源氏を肩透かししたのでした。
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源氏物語絵巻の「空蝉」の場面、源氏は亡き母の面影を「藤壷」に見つけて一方的に思慕します。しかし政略結婚で「葵上」を迎えます。「雨夜の品定め」で”市井の女性との恋愛こそ良い”と聞いた源氏は運悪く年老いた受領の妻であった「空蝉を垣間見ます。そして夜這いを断行します。気配を感じた空蝉は寝所に12一重を脱ぎ捨てて逃亡します。
今年は朝顔の種まきが遅れた為か、未だ花が咲きません。考えてみれば、朝顔は秋の花ですから、立秋前に咲く筈無いのです。朝顔の弦の脇に気になる花が在ります。烏瓜の花です。烏瓜の花は絹のレース編みのハンカチを想わせる花で、夜に咲きます。朝は咲き終わった花柄だけが残っているのです。”源氏物語の「空蝉」もこんな感じだったな”思いながら烏瓜の花柄を観ます。そして”今晩こそ絹のレース編みを観てやろう”決心するのです。
朝起きて庭を見回る楽しみを良く言い表した短歌が在ります。総じて江戸時代の短歌は駄作が多いと高校では教わりましたが橘曙覧(たちばなあけみ)は例外です。「楽しみは」で始まる健康な市井人の歌を連作しました。

 たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時
           〜橘曙覧「独楽吟」より〜

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此れは鎌倉の「雪洞/ぼんぼり」祭りに出された朝顔の雪洞です。400基の雪洞が八幡宮の境内や段蔓に立ちます。今年は8月7日から3日間です。雪洞祭りを終えると立秋ですから暑さも峠を越します。
もうじき私も、庭に朝顔の花を見つけて次の様に歌える事でしょう。
 楽しみは朝起きいでて 昨日まで無き 桔梗の花の咲けるを見つけし時
咲き終えた烏瓜の花柄(花の残り屑)を観るのは残念なモノです。まるで野球場のゴム風船の残り屑を拾う様な気がします。
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これが咲き終わった翌朝の烏瓜の花です。何度もこの萎れて使い古したレースのハンカチを見せられて、今晩こそ咲いた状態を確認したいと決めました。
夜に初めて確認しました、烏瓜の花です。ワイフを呼んで一緒に観ました。ワンちゃんもこんな夜更けに何が在ったんだ?云わんばかりに烏瓜の花を見上げています。今晩は13夜ですから比較的月明かりが在って、烏瓜はレースの下着で飛び出した女性のようです。
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此れが今年初めて確認した烏瓜の花です。次回はこの花に寄ってくる夜の虫を確認しようと思います。
烏瓜が何故夜に咲くのか?それは簡明な事です。烏瓜は太陽の下で飛ぶような蝶々は誘っていません。夜に飛ぶ虫(蛾等)を誘っているのです。蛾の仲間でも山蚕のような巨大な蛾が寄って来るのでしょう。私も夜の蛾の様なモノ絹のレースには弱いのです。
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れは山蚕の成虫の「やままゆ」です。幼虫はテグス(釣り糸)の原料の繭(まゆ)を作るのでこの名が在ります。幅10センチもある巨大な蛾です。写真は国立科学博物館で実施されている「昆虫展」で撮影。こんな巨大な蛾が来るのが楽しみです。






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