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日蓮宗のお題目は「『南無妙法蓮華経』です。
”私は『妙法蓮華経』に帰依いたします” そんな意味でしょう。
妙法蓮華経とは法華経のこと、
法華経とは「正しい教えである白い蓮の花」の意味です。
仏陀の教えは深遠ですから・・一言では言い尽くせません。
そこで、「白い蓮の花」を思い浮かべてください。
白い花になろう・・・、そう修行してください・・・。
そんな意味で「白い蓮の花のような教え」と表現したのでしょう。
法華経は仏陀の没後500年後にできた経典です。
日蓮宗に限らず日本仏教の最も大事な経典になりました。
   
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                       今日の話題は「白い蓮の花」です。(鶴岡八幡宮源平池で撮影)
 
蓮の花は紅色のほうが目立ちます。
不忍池も行田の古代蓮も紅蓮です。
唐招提寺はじめ古寺にも紅蓮が多く自生しています。
ベトナムの国旗も紅色です。
「白い蓮」は紅色の蓮に圧倒されているようです。
 
白い蓮がメジャーなのは・・・、鎌倉の鶴岡八幡宮くらいでしょう。
源平池には源氏池に白い蓮が、平家池には当初は紅色だったのでしょうが・・・、
今では白い蓮が圧倒しています。
太鼓橋から白旗神社にかけて紅色の蓮が混じっています。
 
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                                  一面の白い蓮。(鶴岡八幡宮の平家池で)
 
平家池の池畔に少女達が水彩画を描いています。
「国大付属中学の生徒さん?」  訊けば
「御成中学です」答えてくれます。
御成中からは2㌔もあるでしょうか?
暑い中、歩いてきて「白い蓮」を描いているのでした。
私は素直に疑問をぶつけます。
「紅色の蓮を描かないの? 紅色の方が綺麗じゃない?」
少女は憮然として答えます。
「白い蓮の方が綺麗だし、蓮らしいでしょう。それに、蓮の葉は面が緑で裏は白味がかかっているでしょう。
風が吹くと…、葉の裏表の…グラデーションが好きなのよ・・・・。」
 
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                       平家池の緑陰で蓮を描く少女たち。
 
私は「平家納経」を思い出します。
勿論、平清盛が厳島神社に納めた、法華経33巻です。
経典の前後、表紙と見返りに絵が描かれています。
全体に紫色の下地で経文は金泥で書かれています。
手前に十二単の高貴な女性が描かれ…、遠くに仏様が居られます。
その間には雲居があって・・・・・・、池があります。
 
池には蓮が咲いています。表紙にも見返りにも、随所に白い蓮が描かれています。
極楽浄土の素晴らしさを讃嘆し・・・、
”女性は業が深くて往生できない…”、一般に信じられていた時代でした。
でも、「法華経に帰依すれば女性も極楽に往生できる」 と説いたのでした。
 
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           法華経を納めた「平家納経」は紫地に白い蓮が随所に描かれています。
       古代の人も、現代の少女も…白い蓮の花の美しさに心を捉えられたのでした。
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             平家納経。高貴な女性、雲居の上の仏様…、その間には白い蓮が咲いています。
 
紅色の蓮は魅力的です・・・・、
一方古代から、白い蓮は宗教的な憧れだったのでした。
中学の女生徒が・・・・
「蓮の美しさは白い花でしょう!、おじさんそんな事解らないの!」
顔に表せられると・・・・、戸惑ってしまいます。
      
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        少女たちの心をとらえたのは・・・・、緑のグラデーションを背景に清浄に咲く白い蓮なのでした。
 
「おじさんも、白い蓮が好きだよ・・・・」
言いたかったのですが・・・、言葉が出ません。
 
私は「白蓮院・・・・・・・・」、義母の戒名を思い出しました。
父に依頼してつけて貰った名前でした。
家内も父も私も・・・・・・、故人に「白い蓮の花のような・・・」想いを残していました。
義母はとっくに往生してしまったようで…、ここ数年夢にさえ出てきません。
現世の名前は古くて嫌いだったようですが・・・、あの世での名前はお気に入りでしょう。
 
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             鶴岡八幡宮の源氏池には紅色の蓮が混じっています。源平ノーサイド状態です。
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                建長寺の方丈前には蓮鉢が並んでいて…、紅白の蓮が咲いています。
 
 
 
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京都の御所の位置に鎌倉では鶴岡八幡宮が祀られています。
鎌倉幕府の政所(行政府)は八幡宮の東奥にあります。
源頼朝は幕府造営に際して、京都の岩清水八幡宮を勧請、八幡宮を核に街作りをしました。
八幡宮は武士の魂、その神前で征夷大将軍の拝賀式を始め主要な行事を執り行いました。
武士の政は態々京都の御所に行かなくても鎌倉で執り行う、強い意志の現われでした。
二代頼家、三代実朝の叙位任官も総て八幡宮の神前で執り行われました。
今NHKの大河ドラマでは関白の授与式など大きな政務は京都御所で執り行われています。
ところが、鎌倉では八幡宮の神前で執行する事により、
わざわざ京都まで出かけてゆく必要はありませんでした。
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                     鎌倉の町は鶴岡八幡宮を核に作られています。
 
鎌倉幕府の開府に際して、鶴岡八幡宮を由比ガ浜(元八幡)から現在の位置に移します。
さらに、三の鳥居を潜った先に心字の池を造営しました。
その縊れた位置に太鼓橋を渡し、真直ぐ先が八幡宮の社殿とし、
西側の池を平家池とし、東の池を源氏池にしました。
平家池には4つの小島を浮かべ、源氏池には三つの小島を浮かべました。
そして源氏の隆盛を願って源氏池のひとつに「旗挙げ弁才天」を奉りました。(出典:吾妻鏡)
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                    源氏池には旗上弁才天が祀られています
 
造営当初は池には白蓮が植えられましたが、
江戸時代に平家池には平家の旗頭にちなんで「紅蓮」が植えられました。
ですから、太鼓橋を挟んで、西の平家池には赤い蓮が咲き、
東の源氏池には白い花が咲いていました。
江戸の人達が鎌倉江ノ島を詣でる事は大きな楽しみでした。
紅白の蓮はそんな楽しみに、もうひとつ名物を上乗せするようなものでした。
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                         (丹塗りの橋は旗上弁才天の神橋です)
 
50年以上も前、八幡宮の源平池は随分荒れていました。
葦が密生していて、蓮池というより、寂れていました。
子供達は池の周囲を巡って遊んでいました。
太鼓橋を滑り台にして遊びました。
池の周りで鬼ごっこをしたり、海老釣りをしました。
年々池の周囲は整備され、平家池には美術館が、源氏池には牡丹苑が出来ました。
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埋まっていた池は掘り起こされて、蓮が改めて植えられました。
源平池は年々整備されました。
蓮は自生し、繁茂して赤い平家の蓮は源氏池に侵入しました。
一方白い源氏の蓮は平家池を占拠してしまいました。
もう、今ではどちらが平家か源氏か判らない状態です。
まさしく、源平ノーサイド状態です。
 
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                    源氏池には平家の赤い蓮が進出してきています
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                 平家池は源氏の白い旗頭、白い蓮が占拠した状態です
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                         生き物が一杯の源平池です
 
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私はかねてから「日本で最も美しい蓮は横浜三渓園の大池の蓮だ」思っていました。
手前の池全面に咲いた蓮、水面の彼方、小高い岡に立つ三重塔、その姿が日本人の美意識にフィットするからです。
鶴岡八幡宮、源平池の蓮は歴史的産物だ、思っていました。
ただ、あんまり美しくは無い、と・・・・・
でも、今年の八幡様の蓮は見事です。
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                      (八幡宮源平池の蓮、平家側なのに白い蓮ばかりで・・・・)
 
 
鎌倉の町は源頼朝が幼児期育った京都の町を模して造営しました。
内裏に位置するのが、京都岩清水から請来した鶴岡八幡宮。
朱雀大路に相当するのが若宮大路。
行政府「政所」は鶴岡八幡宮の東側に造営しました。
何故八幡様が中心だったのか?
それは武士達の心を一つに纏めるには、八幡宮、源氏の棟梁の権威が必要だったからでしょう。
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         (早朝の八幡様、箒を立てる巫女さん、神主さんの姿が見られるだけ)
 
由比ガ浜から一の鳥居、段葛の始まる位置に二の鳥居、そして八幡宮の太鼓橋前に三の鳥居があります。
若宮大路は道幅も半分ほどに縮小してしまいます。
一の鳥居から遥拝する八幡宮は、遠く・高く、荘厳に見えるから、遠近法が使われています。
 
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                          (赤い蓮、背景は旗上弁財天の幟、勿論白旗で)
 
 
三の鳥居から橋を渡って八幡様の境内に入ります。
橋の下を覗くと左右に池が広がっています。
源平池と呼ばれる「放生池」です。
幕府の公式記録「吾妻鏡」によると、頼朝が「弦巻田」と呼ばれた3町ほどの田圃を止めさせ、専光坊と大庭景義に命じて「放生池」を作らせた、とあります。
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   (鎌倉江ノ島名所図会/江戸時代、源平池。平家池は近代美術館が出来たので半分ほどに狭くなってしまいました。明治の絵では池の周囲に競馬の馬場も見えます。時代と共に大きく変遷しているのです)
 
 
 
ただそれだけですが、後世の人はわざとらしい講釈をたれ、それが伝わってきました。
作らせたのは妻の北条政子、東側の池は源氏池で中に三つの池(三は産に通じる)を作り源氏の発展を祈願した。西側の池は平家池、島を四つ作らせ(四は死に通ず)平家の滅亡を祈願した・・・と言い伝えられます。
勿論平家池には赤い蓮、源氏池には白い蓮を植えました。
 
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放生池は東大寺大仏殿前にもあります。
日々人間は生物の命を戴いて命を繋いでいる訳ですから、その罪(業)を意識しました。放生会では魚を池に、鳥を空に放ちました。
八幡様は明治維新の廃仏毀釈まではお寺でもありました。
頼朝の宗教観を示した池であった訳です。
 
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東側には沢山のカメラマンが集って、蓮を撮影しています。
旗上弁天から望むと、紅白の蓮が混在しています。
「呉越同舟」ならぬ「源平交歓」の様子です。
池の向こうには、横浜国大付属中学の生徒さんが歓談しながら登校してゆきます。
池面を渡る朝風は蓮の葉っぱの青い匂いがします。
朝の斜光に蓮の花弁の脈が透けて見えます。
一重の花弁が重なった部分だけが濃く、シルエットに見えます。
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親指姫はチューリップの花に腰掛けて登場します。
蓮の花にも妖精が出そうです。
琵琶を奏でる天女のような・・・・妖精かもしれません。
 
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                 (旗上弁財天、社殿欄間の天女図)
平家側の池に行きました。
此方は狭いので、カメラマンも数えるほどです。
でも、今が盛りです。
一斉に咲いています。
また、スックと花茎が伸びて、先端の蕾が膨らんでいます。
蓮の花は大きいので、長くは持ちません。
咲き始めて、5日目には散ってしまいます。
今日から1週間が見頃でしょう。
私は60年近く、源平池の蓮を眺めてきました。
でも、こんなに見事な蓮は初めてお目にかかりました。
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お巫女さんも若い神主さんも、箒目を立てて、境内を掃き清めておいでです。
数日来雨も無いので、埃も立ってしまいます。
水色の袴、朱の袴も新鮮です。
 
私は老いた宮司さんに伺いました。
「今年は蓮の当たり年です。特に池の工事をしたわけでも無いし、橋の根を掘り起して植え替えたのでもありません。蓮は蓮に任せて、勝手に育って、自然に咲いたまでのことです。まして、源平に分けて紅白の蓮を育てた訳でもありません。蓮が咲いて、種がこぼれれば、水の流されて池の四方に流れてゆきます。お前は源氏だから東側、平家だから西側、なんて事は出来ません。為すがままです」
話しながら、笑っておいでです。
 
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私はかねてからの疑問をぶつけてみました。
4年程前竹中工務店の仕事で、舞殿が新築されました。
その垂木や欄間のデザインです。
何れも4弁の花がデザインされています。
欄間は桔梗色、垂木は朱色です。
「あの花は何の花ですか」
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(新築された舞殿、静御前が義経恋し、とまったと伝えられます)
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           (欄間の花、十字花です)
 
花は牡丹でしょう。
群青色なのは、水の色で火災除けの意味かと思います。
「でも、牡丹は花弁が重なっていますよね?」
再度聞きなおしますと。
「あの花は牡丹です・・・!」
 
「まあいいか・・・・」
 
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極楽寺坂の源平野菊

江ノ電の長谷駅を過ぎると、御霊神社の前を通ります。
この辺りからアジサイの花が車窓を楽しませてくれます。
そして間もなくトンネルを潜ります。
次の駅は「極楽寺」です。
駅の改札口の真後ろが古刹極楽寺です。
トンネルは鎌倉を取り囲む山を刳り貫いたもので、歩いて行くには唱歌に歌われた「極楽寺坂」を越えなくてはなりません。
(江ノ電極楽寺駅、右が極楽寺の山門)
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極楽寺坂は鎌倉と京都を結ぶ重要な街道に位置しています。
鎌倉七口の第一であり、鎌倉の玄関に当たります。
義経は鎌倉に源頼朝の許しを乞おうとします。
腰越に留まり許可を待ちますが、極楽寺坂を越える事はできませんでした。
その120年後、1333年に新田義貞は鎌倉を攻めます。
極楽寺坂から鎌倉入りを目論見ますが、「極楽寺坂切通し」は険しい上に、幕府軍が陣を整えて新田軍を待ち構えていました。
新田軍は左将軍「大館宗氏」をはじめ多くの戦死者が出してしまいます。
そこで、稲村ヶ崎の渚を迂回して鎌倉に攻め入ります。
背後から攻められた幕府軍は敗走します。
(極楽寺坂の坂上の辻にある導地蔵(みちびき地蔵)さん。お堂の縁側に座って息います)
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極楽寺坂の路傍には源平草が自生しています。
江ノ電の線路脇の石垣や民家の石積みにいつしか源平草が自生して花をつけているのです。
(導地蔵の前にある石仏の足許も源平草が覆っています)
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鎌倉の小道では良く目にするようになりました。
一見すると雛菊(デージー)のような印象ですが、もっと可愛らしく、又知的な印象がします。
春から咲く「雛野菊」とも呼びたくなります。
この花の名前は東慶寺さんの案内で「紅白に咲くから源平草と呼びます」と知らされました。
同寺のブログ「松が丘日記」にも良く案内されています。

菊の仲間でも、タンポポやシオンのように種が飛んで、何処にでも着生できる性格があるのでしょう。
石垣の僅かな隙間に根を張って、大きく育って、石を覆い隠すほどに繁茂しています。
でも、野生種でも大変に可愛いので、誰しも心配りしていますから、春から秋まで花が咲き続けています。昔は、少なくても30年前には無かった種だと思いのですが、今では鎌倉に無くてはならない花になっています。
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極楽寺坂は忍性が創建したお寺に名前を由来しているのでしょう。
鎌倉から見れば西方にあり、浄土、極楽の方向でありました。
でも、歴史は皮肉なもので、平和で救済を思わせる名前が付くと、逆に悲惨な古戦場であったり悲劇が繰り返されます。
新田、北条は源平の戦いでありました。
源平草は極楽寺坂で散った魂を慰撫するにはふさわしい野花です。
源平草ではイメージが湧きません。
「源平野菊」「源平小菊」の方がベターだと思うのですが・・・・。
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(極楽寺山門横にギャラリーがあります。そこに措かれた如意輪観音さん)
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