|
万葉集で最も歌われた花は「萩」でした。
奈良の「山之辺道」には今頃は、萩が咲いて頭を垂れている事でしょう。
鎌倉扇ガ谷浄光明寺の宮城野萩。このお寺の裏山には冷泉為相(鎌倉時代和歌の名手)の墓があります。
萩といえば大半が「宮城野萩」です。
赤紫の小花が細い枝に咲きます。
普段でも細枝はしなっていますが、花の重みに垂れた姿は物思いに沈んだ女性の姿を思わせます。
「異性への思い」を託すには格好な花だったのでしょう。
宮城野の本あらのこはぎ露を重み 風をまつこときみをこそ待て (古今集)
昔からの名所である宮城野の本荒の里に咲く萩は頭を垂れています。それは花に露が重いからで す。萩の花が秋風が吹いて露を払ってくれるように、私も貴方をお持ちしていますよ・・・。
鎌倉の宮城野萩(巨福呂坂円応寺)
仙台市宮城野区、奈良時代には国分寺、薬師堂、国分尼寺等がありました。
橘為仲は陸奥守の任を終わって都に帰るとき、萩を長櫃12に入れました。
「都に着く頃に花が咲くだろう・・・・、都人を喜ばせてあげたい」計画したのでした。
宮城野は歌枕にもなっています。
都人は「宮城野の萩」に憧れを持っていたのでしょう。
江戸時代伊達藩は宮城野一帯を禁野として伐採を禁じ、宮城野萩を保護しました。
野守と呼ばれる「野原の番人」を置きました。
其処も、今は仙台の住宅地になってしまいました。
宮城野萩は花が咲くとその重みで垂れ下がること、更に夜露が葉に留まる事にあります。
この宮城野に「幽霊の話」が残されています。
美しい、古代らしい話ですから紹介します。
松島の雄島に見仏上人が住んでいました
上人には若くて聡明な宮千代と言う名の少年が仕えていました。
宮千代は常々「和歌の道を究めたいものだ」と思っていました。
そこで、上人に京の都に上りたい、頼みましたが、上人は許してくれませんでした。
「京の都は未だお前には危険が多すぎる」
しかし宮千代の京への憧れは絶ち難く、ある時一人で旅立ってしまいました。
多賀を過ぎて、宮城野原に着いたときは真夜中でした。
お月様が煌々と照り輝いていました。
萩の葉に降り落ちた露が月の光を受けて照り輝いていました。
歌心に誘われた宮千代は吟じました。
「月は露 つゆは草葉の宿借りて」
上の句は出来たのでしたが、下の句が続きません。
宮城野原で苦吟が続きました。
そのまま寝込んで、何時しか息絶えてしまいました。
哀れに思った里人が宮千代の死体を弔ってあげたのでした。
しかし、夜な夜な宮城野原に幽霊が出ると言う噂が立ちました。
その幽霊は「月は露つゆは草葉の宿借りて」と口ずさむというのです。
その噂を耳にした見仏上人、ある夜宮城野原を訪れ塚の前にさしか かると、
墓の下から「月は露つゆは草葉の宿借りて」と言う歌が聞こえてきました。 すかさず、見仏上人「それこそそれよ宮城野の原」という下の句を供てあげました。
すると、二度と宮千代の幽霊は出なくなりました。
歌に命を書ける、命以上に歌に心を入れ込む、と言う意味では平家物語の平忠度を思わせます。
古代の幽霊は「歌や花に思いを残して救われない魂」がこの世に漂っているものが多いのです。
中世には「家族や地域のことが気になって、救われない魂」が現世に留まります。
近世には「人への恨みを果たす為、現世に復讐しようとする魂」が出現します。
幽霊の変遷はそのまま、人間の深化を示しているように思われます。
浄光明寺墓地 背後は櫓群です
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




