仮想旅へ

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鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に二つの美術館があります。
東に鎌倉の仏像を中心に展示している「国宝館」、そして西側に「近代美術館」があります。
鎌倉が伝統と進歩的な側面を併せ持っている・・・、そんな特長を二つの美術館が示しているのでしょう。
 
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                               鶴岡八幡宮、左の生垣の奥に近代美術館があります。
 
鶴岡八幡宮の参道を歩いていると、巨大なポスターにギョッとします。
真ん中に強大な鯰が泳いでいて、その頭上に神様が乗っていて、鯰に剣を刺しています。
まるで、白鯨の背に乗った「モービィ・ディック」を思わせます。
気谷誠氏がコレクションした「鯰絵」を展示しているのです。
ポスターの迫力に誘われて見学することにしました。
 
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                            鯰を抑える鹿島大神宮(1855年) ポスターを撮影。
 
1840年代、幕末も近づくと世相は混沌としてきます。
幕府は「天保の改革」を断行し、質素倹約を旨とし、贅沢品を禁じます。
色数の多い錦絵(役者絵・美人絵等)や歌舞伎、幕府への風刺画や自由な発想の読み本も弾圧されます。
1853年には浦賀に黒船が4隻来航し、世相の混乱が加速しました。
そして、1855年(安政2年)安政の大地震が江戸の町を襲いました。
倒壊家屋2万戸、死者1万人と言われているようです。
 
大鯰が地下に棲んでいて、地震は大鯰が悪戯するものだ…、そんな信仰が一般的でした。
地震は紀伊沖から信濃の善光寺、そして江戸に連続しました。
人々は大鯰が「日の本を荒らし回っている」、とでも思ったことでしょう。
大鯰が地震を起こさないように、自分やその家族が地震の災害に遭遇しないように…、
護符の期待を込めて「鯰絵」を求めました。
ポスターの鯰絵は「鹿島大明神」が大鯰を懲らしめている…、そんな絵柄です。
この錦絵を長押に貼ったり、神棚に忍ばせて・・・・、地震の災難除けにしたものでしょう。
江戸の町だから…、鹿島大明神が多かったようですが、
伊勢神宮の神馬が鯰を蹴飛ばしている…、そんな絵図もありました。
八百万の神々が鯰を諌めている…、そんな絵図もありました。
 
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                                              近代美術館の展示から
 
鯰絵が単に「震災除け」の護符代わりの錦絵なら・・・・・、気谷氏はコレクションしなかったかもしれません。
実は「庶民が地震を起こした鯰」を歓迎している…、そんな絵が数多くあるのです。
気谷氏はそんな錦絵を好んでコレクションしたようです。
 
吉原の遊女の絵があります。
一枚は遊女達が鯰を叩いて懲らしめています。
屹度、吉原が地震後の大火で焼け落ちて、自分も逃げ延びた事実や、お友達を失った悲しみから…、
鯰を叩いているのでしょう。
でも、もう一枚は違います。
遊女は遊郭の「仮屋」に入っています。
店先には鯰顔のお客さんが沢山来ています。
地震のあと、吉原では価格引き下げを断行した事もあったでしょう。
また、復興景気で大工や左官・・・・江戸の庶民の懐が潤っていたこともあるのでしょう。
地震直後は泣いた遊女も庶民も、しばらくたつと好景気に沸いたのでしょう。
鯰は「福の神」に見えてきました。
 
イメージ 2
             鯰に三味線を振り上げて懲らしめている芸子や遊女が多く描かれています。
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    取りあえず遊女達は仮宅に収まり客を呼びました。震災復興に潤った江戸の庶民は押すな押すなで遊女    を買いに出かけました。庶民はみんな震災を忘れて好景気に浮かれました。
 
鯰絵は震災直後から大量に発行されました。
もとより錦絵はご禁制で、許可が必要でした。
作者も発行元も伏されて、ゲリラ的に発行されました。
だから、約2か月の間しか作品は出回らなかった…、説明されていました。
最大の問題は絵図に「世直し」の期待が込められていたからでしょう。
 
幕末になると商品経済が浸透し…、金持ちと貧乏人の貧富の差が大きくなってきました。
土地を持っている大店や札差や蔵元…、限られた者がドンドン大金持ちになり…、
貧乏人は日に日に窮してゆきました。
そんな時に安政の大地震が起きました。
大金持ちは店を失い、商品を焼き、証文も失いました。
一方、庶民は復興景気に潤いました。
一番良い思いをしたのは長屋住まいの「大工」で、左官で、鳶職だ・・・、そんな番付表もありました。
 
何のことはない・・・、鯰は困ったものだ…、思っていましたが…、実は「世直し」してくれるんじゃないか!
瞬く間に庶民にとって、鯰は歓迎され始めたのです。
幕府は「世直し鰻」に敏感に反応し、取り締まります。
 
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  右上の鯰は既に神様になっています。画面上部には「地震から改めて世が直り、家もゆったりして、人もゆっ  たりして・・・」と記されています。画面下には様々な業種の人が「鯰様有難う・・・」と祝意を述べています。
  例えば、材木屋は注文がどっと来た、鳶職はお得意様が増えた、灯心売りも車夫も屋根屋も注文が増え    た…言っています。
 
近代美術館が東日本大震災後1年を経たこの時期に鯰絵を展示したのは…、その意図は明らかです。
たった150年前の大震災で・・・・、江戸庶民が逞しく、したたかに立ち上がった姿を見直して欲しい・・・、
現代を生きる私達に期待したのでしょう。
 
大鯰が地震を引き起こす…、考えは迷信、俗信であります。
でも、”災難を転じて福と受け止める”生き方や生き様は素晴らしいと思います。
 
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            常磐津の師匠(常磐寿無事大夫)に「老松」をお稽古している鯰。鯰は「野中の一本杉」を演じ            て決めた所です。師匠の上には遊郭の「仮宅」を列挙しています。常磐津の文句は仮名垣              魯文と案内されていました。(目録を撮影)
 
鯰絵は当時の世相を反映したものですが、その風刺精神は後世に引き継がれます。
また、「護符」としての役割は1862年江戸で天然痘が大流行すると「はしか絵」に引き継がれます。
金太郎、桃太郎、鍾馗などをはしかが嫌う紅い色で描かれました。
 
江戸庶民は幕末、安政の外憂内患、天変地異に遭遇して、
逞しく、したたかに、そして遊び心豊かに生き抜きました。
鯰絵は現代に生きる私達にエールを送っているように思います。
ブログには書ききれない楽しさがあります。
是非、お出かけください。
 
 
 
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