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11月14日15日は横浜農協は「収穫祭」を実施しました。数年前諏訪大社に登った折には「新嘗祭」が行われていました。収穫祭は本来が「今年の豊穣を感謝する祭事」です。盛大に感謝すれば神様もご機嫌で来年も豊穣にして下さるでしょう。最近は本来の意味が薄れて商業主義が前面に出てしまっています。横浜のレンガ倉庫では「オクトーバーフェア」が開催され、ビールの飲み比べが行われていますし。元町では巨大な南瓜を並べて「ハローウィン」に興じています。
ソロソロ奈良の正暦寺は紅葉の盛りです。正暦寺の谷戸は日本酒が最初に絞られた豊穣な土地です。有名な田の神様が祀られています。今年の盆に田の神様を詣でに出かけたのでしたが。転んでしまってお詣り出来ませんでした。今頃は収穫も終えて。南瓜や大根が供えられてご満悦でしょう。
これは正暦寺の谷戸に祀られている「田の神様」です。今年も次に書きましたhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893303.html?m=lc&sv=%C5%C4%A4%CE%BF%C0%CD%CD&sk=0
これは我家の田の神様栃木生まれです。
身近な処の田の神様としては「池袋水天宮」があります。中々味のある素晴らしい田の神様です。一体では無くて4体並んでいる処も良いのです。
池袋にはクリスマスになってから出かける事にして、都内に「田の神様」が他にないか調べたところありました「東横線都立大学駅」から近い「柿の木坂東光寺」に愛らしい田の神様が祀られていることを知りました。都立大学はワイフが娘時代を過ごした土地ですし、仲人さんの家が在ったのも柿の木坂でした。私達夫婦には縁の深い街です。ワイフは東横線電車の窓に顔を押しつけて「お友達の家がある!」言ってご機嫌です。”シメシメ今後ワイフのご機嫌を損ねたら柿の木坂に誘って好物のお寿司でも食べるとするか!”思いました。
東光寺は立派なお寺で山門には足利のマルに二の字の家紋が付いています。東光寺は吉良家の菩提寺なのです。
私の祖母は世田谷の弦巻に在る実相院の生まれです。
実相院は 弦巻3-29-6にあり鶴松山實相院、勝光院の末寺。曹洞宗です。一般に世田谷城と呼ばれているのは、境内がお城の様に木々が鬱蒼と茂り、森閑としている。町の中の寺とは思えない風情があるからです。檀家総代はお寺の裏手にある代官です。この辺は江戸時代の世田谷の中心だったところです。
実相院は勝光院の末寺で。開基は、吉良左兵衛佐氏朝で開山は天永琳達大和尚、1616(元和2)年入寂。 豊臣秀吉軍による小田原攻後に、九代当主氏朝は一時下総国に下ったが、再びこの地に帰り閑居した。 その閑居した旧跡が、この実相院ですから、世田谷城と呼ばれるのは強ち間違いではありません。 これは実相院の先代住職の隠居宅跡に建てられた多宝塔です。この場所は大きな赤松がありましたし、歴代住職の開山堂には最適な場所です。
私達夫婦には縁の深い吉良家菩提寺に田の神様が呼び寄せたようなものです。”実相院に墓参りでもしろ”と云ったお告げかも知れません。
これが東光寺の本堂です。
東光寺の山門写真には映っていませんが足利家の家紋が付いていました。
境内にある七福神背中の竹垣の向こうに背中合わせに田の神様が祀られていました。
田の神様を家族風に祀った東光寺の庫裏の庭。田の神様の家族は「嬶/かかあ殿下」のようです。何故なら一番左の嬶の飯茶碗が最大で柄杓や体躯共に嬶が爺さんや夫を圧しています。
此方の田の神様は夫婦のようです。夫唱婦随と云いますがこの田の神様は「婦唱夫随」です。嬶の方が大きいし、大食いのようです。
上の写真の田の神様を拝みながらワイフに言います
この家族は夫婦の立ち位置が逆転した。「婦唱夫随」だね!我家もこれからはsこんな風にしようね!」
云えばワイフは
「今頃気付いたの!」言わんばかりに憮然としていまあした。
計画通り。目黒通りに戻って寿司屋に入って九品仏への足を確認しました。寿司屋の主は私の脚を気配りしてバスは避けて自由が丘に回って浄真寺に詣でるようアドバイスしてくれました。
東光寺本堂裏の心字池吉良家の菩提寺に相応しい大名庭園でした。
お寿司でランチして次の目的地自由が丘に向かいました。
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2017年12月05日
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