|
戸塚駅に隣接した『戸塚モディー』の地下1階に地方の「美味いモノ店」が入れ替わり立ち代わり出店します。この前までは山形のズンダ餅でしたが、今週からは長野小川村の「縄文お焼き」に代わりました。小川村にはこの秋糸魚川からの帰り道で通りました。
糸魚川からの帰路「塩の道」を小谷から白馬に戻り、白馬で左折北上すると長野への近道になります。その途上に小川村があります。今日の話題の「長野のソウルフードお焼き」は鬼無里の名物でしたが、長野オリンピック以降は「小川村」が最も有名になりました。
戸塚駅ビルのモディーで縄文お焼きを販売していました。
此れは縄文お焼きを自宅で戴いた時のモノです。
白馬から長野オリンピックに際して新設された「五輪街道」を走って川中島に出たのでしたが、その途中小川村を通りましたので「道の駅」で「お焼き」を戴きました長野を旅すると「小川村の縄文お焼き」は随分目に着きます。小布施の帰りにも「道の駅」で戴きました。飛騨の「五平餅」か、信濃の「お焼き」か双璧です。昔はドライブしていて小腹がすくと「御手洗団子」を戴いていたのですが、今は「お焼き」が圧倒しています。
これが「小川庄のお焼きです。スタンダードは餡に「野沢菜の漬物」でしたが、最近は写真の様に様々な具が入る様になりました。写真出典小川庄のHP。
小川庄は北アルプスの風光が明媚な事でも有名です。
私達が小川村を通った時は雨でしたので肝心の北アルプスは眺められませんでした。でも道の駅で「お焼き」は戴きました。
これは庄屋だった「中村家住宅/大町市美麻青具/重文」です。五輪通りの脇にあります。小川村はもう少し北(右)です。
此れは中村家住宅の風屋(母屋)の居間です。四角い囲炉裏は「お焼き」を振る舞うには最適です。囲炉裏は字の通り。炉傍で冷えた足を温め、お焼きを食べて焙じ茶をを飲めば体の芯から温まれます。
これは中村家の墓所に祀られた双体道祖神です。囲炉裏端は「火」を起こす聖なるところで、祖先神とも通じます。墓が四角い石になったのは最近の事で、江戸時代は自然石に写真の様な「洞」を刻みました。勿論中世は五輪塔や宝篋印塔です。中世に始まった板碑が近世の石塔墓標に変わったと思われます。この写真では左の双体道祖神が風化したので。右の自然石を新しく祀ったモノと思います。
小川庄では囲炉裏傍で「お焼き」を焼いてもてなします。冷凍したお焼きを電子レンジでチンして食べさせるのではなく、炉端で焼いてもてなすのは楽しい事です。この雰囲気作りを「縄文」の言葉で表現したのでしょう。先月津軽の「亀ヶ岡遺跡でも「三内丸山遺跡でも囲炉裏を観ました。この囲炉裏は「四角いのですが。縄文時代の囲炉裏は丸くて、家族は炉の周りを円座に坐って食べ物を均等に分配しました。 「お焼き」の何が美味しいのか自分でも良く解りませんが、「お焼き」はチャンスがあれば食指が伸びてしまいます。本当は「月餅」の方が美味しいお菓子だと思うのですが「月餅」と「お焼き」が並べられたら、私は迷わずお焼きを手にします。
私の血液には「囲炉裏端」で食べるお焼きがの郷愁として浸みこんでいるのかもしれません。加えて小川庄は「縄文お焼き」のブランド名をつけてしまいました。序に「縄文クッキー」に「縄文珈琲」も商標登録してしまえば良いと思うのですが。
縄文クッキーはクッキーの中にナッツや団栗の粒を混入させるのです。平林寺の裏山で団栗を拾って帰りました。何時か縄文クッキーを作ってみようと思っているからです。千葉の名物「ピーナッツ煎餅」のピーナッツの代わりに団栗を入れたようなものです。出来上がったイメージは「鳩サブレー」です。
これがピーナッツ煎餅です。縄文クッキーはピーナッツの代わりに団栗や山栗やクルミが入ります。
縄文珈琲は珈琲に「くず粉」か「片栗粉」でトロミを加えるのです。縄文お焼きには「くず粉のトロ味」の入った「城門珈琲」が最高です。くず粉のトロ味が美味しいのは秋月の名店「高木久助」の「本葛粉に小豆」等を食せば納得できます。「小豆に葛粉」でさえ美味しいのですから「珈琲に葛粉」で珈琲味の葛湯を売り出せば)人気沸騰するでしょう。
これが「葛湯」です。秋月の高木久助商店http://www.kyusuke.co.jp/new.htmlの「葛湯」は葛粉の中に生姜や蜂蜜で飲み易く、体に良い様にしてあります。香り付に珈琲をオンしたモノが「縄文珈琲」です。これも試飲してみようと思っています。
そんなこんなで「縄文お焼き」食べたさで戸塚駅前のモディーに出かけて「城門お焼き/野菜」と「金平牛蒡」を買って来ました。ワイフと半分づつ分けて戴きました。飲み物は「焙じ茶」では無くて「珈琲+ミルク」です。ミルクの代わりに葛粉を使えば「私の推薦する縄文珈琲です。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




