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毎年12月に入ると三溪園に紅葉を楽しみ、中華街で食事をするのが習慣でした。今年も12月7日に出かけて、食事も終えて相談しました。
写真は中華街の酒屋です。日本酒の前面に白酒の甕が並んでいました。白酒は日本で云えば濁り酒や焼酎です。今年もお終いこれから愈々寒くなる今頃は「北京ダック」か「子豚の丸焼き」と「水餃子」を食べて冬越しの英気を養います。お酒は白酒です。日本酒は杉樽で発酵させますが中国は甕で発酵を促します。「土の文化」と「木の文化」の相違を実感します。
此れは山下公園の南を走る山下通りです。写真のホテルはニューグランドで、この通りの銀杏は名物ですが今年は少し遅すぎました。
山下通りを越せば山下公園です。冬薔薇の向こうに氷川丸が停泊しています。
山下公園の北側にはガールスカウトの像があります。台座には次の説明が記されています。ガールスカウト日本連盟が世界連盟加入をした1962年に記念建立。台座 には「やくそく」と名名付けられて、2人の少女(左が日本の少女)が、左手で握手右手で敬礼しています。氷川丸も日米修好の為に建造された事を想えばこの場に相応しい記念像です。
去年はこの後山手に登って西洋館を巡ってクリスマス飾りを観て廻った、これから如何する?」
中華街から山手に行くにはバス便もありません。歩くのは少し負担です。其処で対案を思いつきました。中華街から北に歩けば5分で山下公園です。山下通りは銀杏並木の名所ですし、氷川丸前はバラ園です。冬の薔薇は『冬薔薇/ふゆそうび』と呼ばれ、その香りの気高さが際立ちます。氷川丸を観て、冬薔薇を鑑賞してホテルグラントで珈琲なんて、『クリスマスの爺婆デート』には格好です。ホテルグランドはアールデコの建物でシルエットロマンスにはピッタリの雰囲気です。
氷川丸は日本郵船の所有(国の重文)ですが、乗船口は横浜港ベイクルーズ入口の隣にあります。観光客で時間とお金の在る人はクルーズ船に乗って横浜駅東口に行きますが、氷川丸に乗船すれば動かないまでも海からの横浜の形式が満喫できます。
氷川丸に乗船するとクリスマスムードが一杯でした。
そこで、ランチの腹ごなしに北に向いて歩き始めました。華僑キリスト教会の脇を越えて創価学会の豪華建物に反発を感じながらその脇を北に歩けばホテルグランド(西)とスターホテル(東)の間に出ます。横断歩道を越せば山下公園です。関東大震災で生じた瓦礫で埋め立てて作ったのが山下公園です。災害を克服して作った公園は横浜市民の自慢であり心の拠り所でもあります。その岸に氷川丸を停泊しているのも何かの偶然でしょうが、昭和初期に竣工してシアトル航路で活躍した三菱重工製の豪華客船が、戦後は「大陸から敦賀への引き揚げ船」として活用され日本人の目に焼き付けられました。
氷川丸の航路を示した博物館のパネル。横浜からシアトルがメイン航路でした。
シアトル航路用に建造された氷川丸でしたが戦中戦後は病院船・引き揚げ船に転用されました。(博物館のパネルを撮影)
1961年からは山下港に係留され、横浜市民のシンボルとして、重文の栄誉も受けて過しています。
横浜市民でありながら氷川丸に入っていないのは引け目を感じていました。今週初めは埼玉県の志木に行きました。”埼玉からみなとみらい線に乗り継いで来た観光客は山下公園から横浜駅東口にクルーズ船に乗るか、乗らない人は氷川丸のデッキから海を見て帰るのだろう”想像しました。
一等客室の外のデッキで写す。向こうに見えるのはみなとみらい地区、客船が停泊しているのは大桟橋。左(西)側に見えるのが山下公園です。
日本郵船には飛鳥が就航した時見せて戴きました。今迄船に乗ったと云えば新潟港から佐渡の両津港まで、博多港から釜山港まで、どちらも高速フェリーでした。ですから豪華客船に乗った事はありません。だからこうして氷川丸の桟橋を渡るのでさえ胸が躍ります。それに今日はクリスマスムード一杯なのですから。船内に喫茶スペースでもあったら、コンソメスープでも戴こうかな?欲望が頭を擡げます。
此れは一等客室の食堂です。
此れは一等客室の部屋です。ツインベッドにアールデコの装飾が眼に付きます。
一等客室の廊下です。今はクリスマス飾りで統一されています。
此れは一等客室の中でも特別な部屋です。この部屋は椿に藤に枇杷がステンドグラスされていました。別の部屋には鳥がデザインされていました。
でも。缶コーヒー一杯のサービスもありませんでした。本町にある「郵船記念博物館には喫茶コーナーが常設されているのですが。考えれば氷川丸にはそんな媚びた施設はありません。「重要文化財の中でスープを飲もう」云った下心自体が不埒なのでしょう。最近は文化財に悪戯されている事件が多発しています。彼方此方に監視カメラが設備されているし警備員が巡回していました。そんな次第で文化財のアールデコの椅子やソファーがあっても座れませんでした。
此れが氷川丸の構造図です。煙突の真下がエンジンのある機械室その下が船員の部屋で私達が見学できるのは機械室のフロア以上です。煙突の右側進行方向に3階建部分がありますが上から操舵室船長室その下が一等客室その下が三等客室になります。何故か二等客室はありませんでした。
船は船底から数えれば5階が船長室で6階が操舵室です。杖なしで歩くには負担も危険も大きなモノがありました。でも、アールデコを目の当たりにするのは軽い眩暈と勇躍する悦びがあります。白金の庭園美術館や隣接する「朝香邸」も重文のアールデコデザインの建築ですが、氷川丸のそれは国威をかけた意匠であり、欧米のハイソを「おもてなし」しようとしたのでしたから。
此れは一等客室の娯楽室です。トランプに興じたのでしょう。他に読書室がありました。
此れは娯楽室の天井照明です。総じてアールデコで統一されていましたが子の天井照明だけは和風でした。
氷川丸が竣工したのは1930年(昭和5年)でした。12千トンの豪華客船でした。気になったのは氷川丸が浮いているのか、それとも船底は柱で海底に固定されているかのの疑問でした。隣にクルーズ船が発着しても少しも動じないのです。タラップを降りる時も少しもタラップは動きませんでした。横須賀の戦艦「三笠」のように固定化されているのかもしれない。固定化されていたら重文には不適格ではないか…。思いました。
氷川丸のタラップ少しも動じないので足元の悪い私も安心して降りられました。
もう一つ調度品や甲板を磨いている少年が居たのです。
此れは船長室のデスクです。左のラッパ状の筒は操舵室に繋がっていて此処から船長は指示を出します。
調度品は真鍮製品が多いので磨けば有毒の緑青で手が黒く汚れてしまいます。訊けば「浜中」の生徒だとの事。”「はま中」は解ったけど浜の字は如何書くの?”訊いたら、憮然として「横浜の浜ですよ」叱られてしまいました。
操舵室から外を観ると甲板を掃除している中学生の姿が目に入りました。勿論船長室も彼等が磨き上げていました。
船内の手摺もアールデコでした。見事に磨かれているのも浜中の生徒の情熱の成果です。氷川丸は横浜の誇りなのです。
此れは機械室に並んだエンジンです。
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2017年12月12日
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