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田圃に刻まれた歴史

12月9日(土)は日吉の日文研セミナーに出席しました。先ず過って横浜博物館で観た「新羽の杉山神社の『大蛇の注連縄』を観ようと、地下鉄「新羽駅」で下車して。真っ直ぐ北に歩いて行きました。写真を撮って弘前の林檎公園に「イブの林檎」を提案しようと思い、その企画書に「藁で作った大蛇」を添付しようと想ったのでした。ところが杉山神社からの帰路の道を迷ってしまい、丘を越えて地下鉄「高田駅」まで2時間も歩いてしまいました。我ながら良九歩いたモノです。
この日のセミナーは工学部の学生が発表し、テーマは「シンセサイザー」でした。「シンセサイザー」の歴史に始まり、どうして音が出るのか電子工学的手法により電子音をを合成して聴かせてくれました。スクリーンには美しい棚田が映されていました。シンプルな電子音による音楽が棚田の美しさに通じる処があると思いました。
以来1週間私は田圃の事を考えていました。「シンセサイザー」の画面の棚田はタイの山岳地帯かフィリッピンの奥地のモノでしょう。
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これはフィリッピンの奥地の棚田です。棚田の畔は等高線に沿って石積みされていますが。日本の棚田とは違います。それは、フィリッピンやタイの田圃は地下播きで、田植えや稲刈りが無くて稲穂だけを何度も刈り取るのです。日本の棚田は田植え・草刈・稲刈り・刈干しを繰り返すので。その道具が畔にあります。
日本の棚田とは明らかに違います。等高線に沿って石垣を積んで。「方形に水を張る処は同じですが、日本のお米は手間のかかるジャポニカ米、東南アジアのお米は直播きすれば何度も稲穂を刈り入れできるインディカ米なのです。
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これは奥能登の白米千枚田です。昼間見れば田圃の畔に刈干しの木や棚が設えて在ります。
2年前の今頃私達は奥能登の「白米千枚田」を観に行きました。能登の山が日本海に没する海岸の断崖地(地滑り地)に石垣を積んで猫の額ほどの狭い田圃が鱗の様に積み上がっていました。夜に輪島の宿から千枚田を観に行くと田の畔にLED灯が点いて見事でした。
奈良の西の京は昨今は住宅開発が盛んですが私の学生時代は一面の田圃でした。薬師寺の近くのバス停は「九条」です。京都で九条と云えば京と駅前ですから、平城京の九条がこんな田圃の中かと驚きます。でも古代の条理制が今も残されていることに感慨を深くします。平城天皇は田圃を条理に区画整理して成人男子には1区画の田圃位(一反)女性にはその三分の二を口分田として分け与え。税を決めさせたでした。この時既に日本の条理は長方形に田圃も長方形に区分されていたのです。「何故田圃は正方形でなく長方形だったのか?」役人の気持ちになれば直ぐに判ります。長方形にすれば短辺を確認すれば直ぐに全体を把握できるのです。一枚の田圃を一反と数えます。一反の田圃から収穫できるお米を一石と数えます。一石のお米は俵で四つです。古代も現代も同じで役人は執りやすい方法で税制を決め。住人も田圃にくっ付けて把握しようとするのです。今進行中の住人番号制は平城京以来の役人の願望です。
大黒様は俵の上におわします。
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此れは日本最大の大黒様で鶴見の総持寺の寺務所棟に祀られています。大黒様は稲作豊穣の守護神ですから俵の上においでです。
レポーターは子工学的手法により楽音等 を合成して見せました。団塊世代からは『シンセサイザーの音はデジタルで冷たい、音楽はアナログでなくてはいけない』発言されました。私は学生世代からは楽器が苦手で音痴なのでカラオケは逃げ回っていました。そんな自分であってもシンセサイザーなら『音で自己表現』が出来ると思いました。
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此れは朝日新聞の記事日吉の銀杏と戦争の史実を伝えていました。
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此れは日吉来往館のロビーに展示された戦争体験「聞けわだつみの声」のハイライト安曇野の上原少尉の遺構がパネルになっていました。
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セミナーから帰宅する時は既に夕闇で銀杏も闇の中でした。
高校の授業では次の様に教わりました。
「平城京も平安京も唐の都長安を真似て作りました。都をの通りを碁盤の目状に整備し中央に南面して皇城(大極殿、御所)を置きました。皇城から真っ直ぐ南にのびた大道路を置き東西に西一条一里)西一条二里)と区分しました。碁や将棋で位置を示すのと同じで誰もが土地の位置を的確に把握できたのでした。平地だからこそ条理性が適用できるのであり、棚田や山では条理では呼べません。
平城京や平安京が平地だから条理性で田圃や住宅地を指示出来たのです。
碁盤も将棋盤も枡は正方形に見えますが、条里制では縦は狭く横が広い長方形です。何故長方形なのか?疑問は華南やベトナムの田圃を観れば解ります。
華南やベトナムでは田圃を耕すのは力のある牛で、牛に鍬を曳かせているのです。牛を効率的に操るには直線距離が長いと効率的なのです。平城京では既に牛を使って田圃を耕していたのです。牛と鍬が長方形の口分田を決定づけていたのです。華南やベトナムの米は長粒米(インディカ米)です、一方日本の米は短粒米(ジャポニカ米)です。ジャポニカ米は手がかかります。毎年春に植え替えします。植え替えの際して他の雑草よりも成長していないと雑草に負けてしまいます。だから稲は苗代で大きくしてから、田圃に植え替えします。植え替えに際して5株程度に揃えて植えるのも、雑草に負けない工夫です。
田植えを終えたら次は田の草取りです。田の草取りは人力だけで行います。牛は使えないのです。「鍬」を使って稲株の間に生えた雑草を鋤取ります。「鍬」は「櫛」の様な格好をしていて、雑草を「梳きとる」道具です。弥生遺跡からは色々な形をした鍬が出土しますと。

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