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『2月3日の節分会は、何処に行こうか?』迷った挙句久々に片瀬の龍口寺に向かいました。午後1時から水行があって、豆撒きは午後3時に始まります。1時間余り時間を持て余したので、山門前の上州屋に行き、「法難牡丹餅」を求め、境内のベンチに腰かけてお茶にしました。「厄除け牡丹餅」を戴き、豆撒きのお豆を拾って食べれば、今年の厄除けはもう万全です。
日蓮宗の聖跡寺院龍口寺で営まれる節分会の水行
これは瀧の口の法難の故事を伝える牡丹餅です。故事は「胡麻牡丹餅」ですが、この日上州屋は小豆牡丹餅だけを商っていました。手抜きをしていると道路向かいの「江ノ電最中」さんに水を開けられてしまいます。
私の目の前では地元の料理屋さんが出店して、「恵方巻」を販売しています。
恵方巻の出店の背後には、お城の様な書院が見えます。
龍口寺書院の玄関。三重の破風はお城の様な威圧感があります。
私はこの建物が好きで以前住職に訊いた事があります。答えは昭和初年に信州上田の養蚕で成功した富豪が寄付した建物だそうです。今日はお寺の世話人も多く居られます。そこで年長者に訊いてみました。
これは水戸藩の藩校「弘道館」です。龍口寺大書院は藩校又は藩邸を想わせる風格です。
「この大書院の威容には何時も感心しています。以前住職に上田の養蚕実業家の寄付に依るモノだ」聞きましたが。お城のような建物です。細部の意匠は花頭窓等寺院建築の意匠が観られますが躯体自体は城郭建築の様に見えますが、何かハッキリした事は解っているのですか?」
「松代藩の藩邸であったものが、昭和の初め上田の実業家を経て、龍口寺に書院として移築されたのです。何れ改修等を行えば判明するのですが・・・」
大書院の玄関を入ると長い廊下を経てコンクリート作りの新書院に繋がります。
長押も鴨居も長さも1間(1.8、m)×4×4=16間(30m弱)になります継ぎ目の無い豪華な建物です。木製の建具も、古い硝子も今では貴重です。
江戸から明治にかけて各藩の藩邸はは自然消滅したのでしょうが、信州の人はモノを大切にします。松代藩の中屋敷は現在佐久に残されているそうです。http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/edoyashiki/edoyashiki.html ですから、此処龍口寺の松代藩の藩邸が龍口寺の大書院として活用されていても不思議ではありません。
いずれにしても解体修理してみれば判明する事ですし。耐震工事をする必要もありそうに見えます。龍口寺大書院の歴史が判明するのが楽しみです。
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