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1月4日川崎民家園に出かけた目的は「獅子舞」を観られたからです。案内では「午前11時に佐々木家住宅で開催される」、されていました。
此れは民家園の佐々木家住宅(長野県南佐久郡八千穂村/国の重文)の縁側を舞台に客席は庭に茣蓙を敷いて獅子舞が演じられました。前半はオカメとヒョットコによる踊りでした。高千穂神楽はエロスがあって面白かったのですが、サッパリした踊りでした。
11時に着くには9時に我家を出発しなければなりません。1月4日は川崎市も仕事始め職員も気合が入っているし笑顔も爽やかです。民家園の地形は尾根も在れば谷戸もあります。日陰の通路は凍っているので、転ばない様に注意して佐々木家に向かいました。道祖神の前の坂道には霜柱が立っていました。踏めば「ザック・ザク」音がします。道祖神様も「良く来た!」歓迎して下さっているようです。
11時前には沢山の人が佐々木家の縁側前の庭の桟敷席に坐っていました。
晴れ着を着て背中にお獅子を背負って踊るオカメさん。
お化粧をするオカメさん。この後二人のヒョットコさんが登場します。オカメさんはモテモテのようです。
定刻に獅子舞が始まりました。獅子舞を演じるのは民家園に近い白旗神社/https://tesshow.jp/kanagawa/kawasaki/shrine_miyamae_hachi.htmlの氏子が作っている「タイラ連」だそうです。住所表示は「平」で白旗神社も平安時代に遡る平家の一族が守ってきた神社だそうです。私は白旗神社は鶴岡八幡宮の源氏池にもあるし藤沢の白旗神社のご神体は源義経ですから、源氏に近い神社とばかり思って来たのですが、平家が守ってきた神社だというのです。
でも、ネットで確認すると創建は八幡太郎義家が奥州征伐を終えて帰還の折に建立したのが始まりだそうですから、偶々義家の家臣にいた「平」と名乗る郷士が守って来た神社だったのでしょう。
川崎市宮前区とか田園都市線の宮前と云えば首都圏では人気の住宅地ですが「宮前」とは白旗神社である事も初めて知りました。
ヒョットコさんとオカメさんが揃って母屋の広間で踊ります。法被には「襟に平と染め抜いてありました。
白旗神社氏子連による獅子舞はオカメさんの踊りに始まり、ひょっとこ一が加わり面白可笑しく踊りました。そのうちひょっとこつは去ってオカメだけが縁側に残されます。
此方はヒョットコさんが獅子舞の頭を背負って踊る場面です。
オカメさんも獅子頭を背負って傘をさして暫くヒョットコさんと踊っていましたが・・・。
背中に負ぶっていた獅子頭を縁側に寝かせて暫く面倒を見ています。ヒョットコとの間に子供を授かったのでしょうか?
獅子頭のマントを繕うオカメさん。どうもオカメさんは金太郎のお母さんの様で、ヒョットコとの間に出来た子供が「獅子頭」で金太郎の様なストーリーのようです。
オカメは縁側で背中に背負っている獅子舞の頭や唐草模様のマントを繕ったり獅子がまるで我が子の様に愛しみます。獅子頭を頭に載せて踊ります。最後は「獅子の歯で観客の頭を咬んで終わるのだろう・・・。」予測していたのでしたが突然に終わってしまいました。博多時代宮崎の焼酎メーカーが「高千穂の神楽を観に来い」熱心に誘ってくれたので、出かけた事がありました。丁度今頃の季節で、夕方高千穂神社に近い農家の庭先で見物しました。寒くて寒くて閉口しましたが、「オカメヒョットコの道化踊り」は高千穂の方がズット面白かったのでした。
獅子舞も昨日書いた追羽根と同じくむろ町時代に始まった云われています。
「伊勢」で疫病除けに獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞ったのだそうです。
その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、「悪魔を払い、予祝の縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事にで獅子舞が欠かせないようになりました。古代に京が都であった時代は京文化が日本中に拡散したように 獅子舞が江戸で広まると日本の各地に急速に広まりました。
「伊勢大神楽」や「熱田神楽」が獅子舞を舞いながら、全国を業脚し悪魔払いをしたのでした。応仁の乱が「獅子舞を全国に拡散させたのでしょう。
オカメは阿亀(おかめ)と書き、お多福、阿多 福(おたふく)も意味します。
その福々しさは、オカメが「お釜」を連想させます。
オカメがお釜ならヒョットコは竃に火を焚く下男です。
オカメさんが面倒見した獅子頭は勢い良く踊ります。
縁側から庭に下りて子供達の頭を齧って厄払いするモノと思っていたのですが突然に獅子舞は終えてしまいました。
歳神様は「綺麗好き」「清潔好き」そして「美食家」であって「お笑い」が大好きと思われました。
そんな神様ですから、お正月は「綺麗に正装」して、「おせちの御馳走」を用意し、「お笑いの芸能」を奉納するのでしょう。「オカメ・ヒョットコ」の掛け合いは少しばかりエロが混じっていて「天岩戸の鈿女の巫女」の踊りを髣髴させます。
岩戸神社の「鈿女の巫女」像古事記の「桶を俯せにしてその上で、鈿女の巫女が胸をはだけて裾を捲って踊ったので天照大神が岩戸を開いた、と記述されているのを忠実に表現しています。
縁側の被り付きに陣取っていた子供達は面白く無いと思ったのか席を外してしまいました。伝統の通り演じる事も大事でしょうが、少し東に行けば「藤子不二雄ミュージアム」です。子供達の好きな演出があったらもっと張り合いが出そうな気がしました。
民家園の入り口ロビーの天井にもオカメさんが出迎えてくれました。
オカメのルーツは天岩戸の「鈿女の巫女」で竃の象徴と思います。
一方ヒョットコは竃の前に蹲って吹き竹を使って火を起こそうとしている下男であると思われます。
写真は明日香村の座神社で2月に催される御田祭りです。オカメとヒョットコさんが神殿で写真の様なエロチックな仕草をして、その後田圃に下りて追いかけっこをします。見物人の女性のお尻を叩いたりします。「良い子を産め」と云った意味でしょう。奈良は御田祭りが多く残されていて西方村の池神社では2月19日に奉納されます。此方は牛と子供が主役です。どれも抱腹絶倒の祭りで、日本の正月は「笑い」が欠かせません。歳神様は「笑い」がお好きなのです。
一方獅子舞のルーツである中国の獅子舞は春節で主役になりますが。厄除け魔除けが主目的のようです。
此れは横浜中華街の春節に登場する獅子舞です。二人で動作させます。日本に伝播すると随分変化したモノです。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893297.html?m=lc&sv=%BD%D5%C0%E1&sk=0
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