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戦前までは横浜市南部の「戸塚区」「栄区」「泉区」は鎌倉市の一部で「鎌倉郡」でした。だから我が生家の事を「鎌倉の盛徳寺」と呼びます。鎌倉郡の実業家として有名な人は「鎌倉ハムを創業した。富岡家で戸塚に我国最初のハム工場を建設したのでした。最初の工場は明治10年創立では戸塚区柏尾にありましたが、関東大震災等で現在の主工場は栄区笠間にあります。近くの大長寺さんには富岡家が建立した「家畜碑」も建っています。
これは1876 年(明治10年)に創立した戸塚柏尾の鎌倉ハム工場で現在は倉庫として活用されています。戸塚の数少ない文化財です。
此れは鎌倉市岩瀬に在る大長寺の家畜碑で鎌倉ハム創業の富岡家が建立しました。家畜供養碑と書かれた板碑の表面に豚と牛が描かれていて背面に富岡家が建立した旨刻まれています。
私は中学高校と横須賀線に乗って横須賀に通学していました。大船を過ぎると車窓からは大船軒の工場が見えました。大船観音の視線の先でした。柏尾川沿いに大きな工場が建ち、看板に「大船軒/鯵の押しずし」と記されていました。
鎌倉ハムで成功した富岡家が駅弁事業を始めたのでした。
大船駅に真近な工場は昭和40年代に長谷工マンションに代わり工場一部が残されて現在も駅弁事業を継続しています。鎌倉ハムの主工場倉庫は鎌倉市岩瀬に移転しました。岩瀬の拠点は道路拡幅などの計画されていますから、大船駅前からの移転は良かったのかもしれません。でも「大船軒」は駅弁の巨漢「崎陽軒」に押されて総じて不冴えの様に見受けられます。「鯵の押しずし」と云えば名物駅弁だったのですが・・・・。もう一つ看板商品がありました。「ハムサンド」でした。大船軒のハムサンドと云えば日本最初のサンドイッチで、御成小学校の家庭科の授業ではハムサンドを作りました。ハムサンドと紅茶の組み合わせが美味しい事を初めて知りました。
鎌倉郡住人にとっては富岡家の事業は地域の誇りでした。
大船軒の事務所棟は大正時代の香りが漂うモルタル作りです。昭和6年竣工と会社案内には記されています。
以前は工場はその旧ビル内に製造ラインがありましたが、近年最新の工場が隣接地に建築され、事務所棟はそのまま残され、会社の応接室会議室は、立地を活かして喫茶店として活用されています。鎌倉ハムは日本最初のハム会社と云ってもそれで創業利益を確保出来るほど実業は甘くありません。日本ハムができ伊藤ハムやプリマハム等大資本に押されます。加えて大船駅に停車する列車も減って経営環境は悪化します。昭和70年代に大船軒は工場敷地の柏尾川寄りを売却し。工場の奥に在った事務所棟と富岡家の屋敷を残して売却、工場は駅から遠い岩瀬の横浜環状道路近くに移転したのでした。
これが大船軒の運営する喫茶室のメニューです。
私達はランチを大船軒で取ることにしました。前回来た時はハムサンドに紅茶でした。でもハムサンドは週末だけで普段はビーフカレーがお奨めとの事。私達はビーフカレーを注文しました。美味しいしボリューも程々で満足だったのですが。矢張り大船軒に来たら鯵の押し寿司が食べたくなるのが人情です。追加して押し寿司をオーダーしました。5貫で600円でした。
手前のモルタル造り建物が大船軒の事務所棟。昔はこの建物内で押し寿司を製造していましたが20年程前に向こうのピンクの工場を建設して此処で製造保管しています。その奥の常緑樹は創業家の富岡家の邸宅です。
大船軒の応接室を喫茶室に転用したモノ。落ち着いた空間です。
北側の壁には神棚が在って鎌倉中のお札が供えられています。現社長は福田 利幸氏で創業家とどんな関係に在るのか不詳です。少なくとも私は良い印象は持っていません。
此れがビーフカレー500円です。見ての通り角きりのお肉が多く入っています。
これが鯵の押し寿司ですお吸い物が付いて600円でした。
大船駅に向けて歩きます。昔スカイラークの在った処はバスセンターになって玉縄の城廻り循環バスや藤沢駅行きのバスが発着しています。連絡橋を渡れば目の前が大船観音です。この観音像の落慶法要には学生時代に参列しました。観音像のある山が父の親友の寺有地だったからでした。白い蛍光セメントで塗られたお顔は夜見上げると怖く見えます。法華寺十一面観音のお顔をこぴーしたまでは良かったのでしょうが。戦争で工事を中断して、再開した頃に偶々蛍光セメントが開発されたので。闇夜に蛍光がどんな効果を示すか確認せずに作ってしまいました。
大船観音像。敷地は無我想山黙仙寺の所有です。様々な人間の思惑で翻弄されてきました。
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