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2月27日(火)に上野国立博物館に「仁和寺展」を観に出かけました。前日は月曜日で休館でしたし、27日が朝から小春日和であったからででしょう。驚くほどの混雑でした。私は仁和寺は再三登りました。何しろ嵯峨の入り口に在る事、それに遅咲きの「御室の桜」が人気です。
私の推測で確たる根拠も無いのですが。私には御室桜は二重の意味で思い入れがあるのです。第一は、京都御所の「左近の桜」のイメージである事、第二に奈良の八重桜のイメージである事です。
「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」 伊勢大輔
伊勢の歌は、我が生家のカルタ会で私の得意札でした。伊勢の歌で知る限り、平安時代御所に匂っているのは八重桜だったのでしょう。。霞系の桜でもないし、ましてや山桜でも染井吉野でも無いのです。
京都御所の左近の桜写真出典:御所のパンフ右に在る左近の桜をアップで観ると「山桜」なのです。
左近の桜を宮内庁のホームページで確認すると、御所に桜を植えたのは桓武天皇で平城京では梅だった、と説明しています。桓武天皇が植えられた桜が「貞観の天災」で倒壊してしまい、以降何度も植え替えられ現在の桜は平成10年に植えられた山桜だそうです。http://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori4.pdf。
私は平成10年の植え替えに際して「御室仁和寺の桜」にせず、「山桜」にした理由が疑問でなりません。
山桜は国花ですが、私には「軍国主義の匂い」がして平和主義の我国は「御室の八重桜」こそ最適だと思うのです。
仁和寺は皇室とゆかりの深い門跡寺院で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」と称されました。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになりました。 御室は桜の名所としても知られ、桜前線が北上して想いを残した人は行く春を惜しむ様に仁和寺に上り「御室の桜」を愛でるのです。
春色色濃い上野の東博前広場
今年の春は「福島の桜」と「庄川桜」を観に行く予定ですから。「御室の桜」は観られません。
何度も出かけた仁和寺ですが、じっくり宝物を観た事はありません。今回の「仁和寺展」は宝物を拝観する絶好の機会です。加えて、各地の御室系の寺院の宝物も拝観できるのです。藤井寺の千手観音(国宝)や私の生活圏にある龍華寺の菩薩像(重文)も出展するというので、後期展示が始まるのを待って出かけました。でも、大変な混雑で平成館に入るのにも30分待ちでしたから、お目当ての空海の書や藤井寺千手観音を拝観するのに一苦労でした。
空海は豪放磊落な人物と思い込んでいましたが、繊細几帳面な文字を残されているのに驚きました。私が感服したのは「観音堂」の展示でした。
広大な仁和寺の何処に観音堂があったのか私の記憶には定かではないのでしたが、、須弥壇や壁絵も博物館に再現して観音堂の諸仏を展示した迫力には恐れ入りました。一見した瞬間は中尊寺金色堂や白水阿弥陀堂を観る想いがしたのですが、林立する菩薩像は東寺金堂や、二月堂仏像群にも劣らぬ迫力でした。
仁和寺観音堂の再現展示、中央に千手観音立像を祀ってその左右に眷属である28部衆と風神雷神像計30仏が揃った壮観さはオーケストラのような感動を呼び起こしました。
手前の緑色が風神像中央の千手観音を中心に28部衆が並んでいました。須弥壇も展示の為に新設し、壁絵もスキャンしたのでしょう。長生きしているとこんなすごい展示を観られるのは感激です。千手観音の脇侍に不動明王、降三世明王が立っていました。
東の脇から諸仏を眺める手前は雷神でその後ろが密遮金剛、その隣が神降り天だそうです。(背後の壁に貼ってありました)
須弥壇の後ろの空間の壁絵です。千手観音の真後ろ(北)の壁には下の絵が描かれています。
千手観音の真後ろの絵です。補陀落山で説法をする観音菩薩を中心に、そのまわりに観音の三十三応現身の一部が見えます。国立博物館の説明では「木村徳応」という絵仏師の作で、生年は文禄2年(1593)と考えられており、少なくとも75歳ごろまで活動していたことが知られています。当時の記録にも「仏画をよくし、諸宗の祖師像をよく写す。諸山に多く蔵せり。仏画師中の健筆たり」と評されており、江戸時代前期、京都を中心に、宗派を問わずさまざまな寺院で活躍していました。江戸時代仁和寺中興の祖「仁和寺宮守覚法親王」時代に作られたモノと説明していました。
壁絵の上段は説法する観音菩薩ですが下段は地獄絵でビックリしました。写真は浄玻璃と云われる鏡で生前の悪行を確認される亡者手前は青鬼(地獄の獄卒)に仕置きされる亡者。
下は火炎地獄で火炙りの刑に処される亡者。
実に壁絵も諸仏も良く出来ていました。須弥壇裏の細い通路を巡るのは善光寺や清水寺の「胎内巡り」を思わせました。一回りすると、地獄を巡って今一度現世に戻って来た感覚に陥るのです。
おまけに此処だけは写真撮影が許可されていたのです。でもフラッシュを焚いてはなりません。みんな写メールを堂々と撮っていました。出口で初老の親爺が係員を掴まえて説教していました。
「撮影は総て禁止すべきだ!フラッシュを焚く人も出ている。宝物がが傷んだら如何するんだ!」
お爺さんは展示が現代のハイテク技術で複製した事は想いもつかなかったのでしょう。東博の係員は可愛そうにサンドバックで叩かれ通しの状態でした。
「これはスキャナーと3Dプリンターを駆使したコピーですで、謂わば「クローン」です」説明したくても、お爺さんの怒りは溶けそうもない諦めたようでした。
それにしても気になったのは庶民を対象にした「善光寺」や「六波羅密寺」と違って此処は御室仁和寺です。皇室ゆかりのお寺です。近世には皇室も庶民と同じ地獄思想が染入っていたのでしょう。
仏像の技法として、感じ入ったのは、藤井寺の千手観音像です。
仏像写真集には必ず、天平仏像の代表として解説される木芯乾漆像を前から横から、背後から観られました。写真集は前からだけ写されていますから、千手千眼の手はまるで光背のように揃っていますが、実際は4列も重なっていた事実は初めて知りました。
壁には、千手観音坐像の躯体は木を彫って作られ、千手は桐の木を使って指は銅線で作られ、いずれも木糞漆を練って肉付けしている、解説してありました。漆は租庸調の調に相当する地方の特産品。貴重な漆を使った仏像は国の仏所で作られたのでしょう。私の生活圏には金沢文庫の龍華寺があります。その菩薩像は重文の乾漆像である事は知っていました。でも、一度も拝観した事はありませんでした。この機会に拝観できる、テレビで知っていました。
仁和寺展の第二室に展示されていました。茶と臙脂色の混じった飴色のお身体でした。解説には都で作られた三尊仏の脇侍が横浜の龍華寺に残されたモノであろう。推測していました。
天平仏飛鳥仏は思いの他横浜に残されているのです。
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