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昨今は父親に依る「継子いじめ」がとまりません。日本の社会・文化史を紐解くと「継子いじめ」は大きなテーマになっています。どれもこれも、父親が新たに妻を迎え、後妻が先妻の子供を苛めるのです。総じて後妻は血筋も教養も美貌も先妻より劣ります。子供は先妻の優れて、尊い資質を遺伝しています。そして新しい親の虐めにも負けずに成長して。「メデタシ・メデタシ」のエンディングを迎えるのです。先ずは代表的な継子いじめ物語を紹介します。
『姥皮』(御伽草子)は 継母に憎まれ虐待された先妻の産んだ姫君は、岩倉の観音に参籠して蝦蟇蛙から姥皮を賜りこれを着て「火焚き姥」になります。この姥皮を着ると容姿は醜くなりますが、難題を解決する知恵を授かれるのでした。姥皮を脱ぐと美しい容姿が現われます。ある時「恋煩い」で重傷な姫君を姥皮を着たお蔭で救済します。姥皮を脱いだ素顔を若旦那に見そめられ、結婚して幸せに暮らします。
これは越水利江子著の姥皮姫です。
『落窪物語』 主人公は中納言源忠頼の娘(落窪の姫)です。母と死別した姫は継母のもとで暮らすことになったが、継母からは冷遇を受けて落窪の間(独房)に住まわされ不幸な境遇にあり、味方は女房の「あこき」と末弟の「三郎君」だけでした。そこに現われた貴公子、右近の少将「道頼」が現われ、姫君に懸想します。道頼は姫のもとに通うようになります。しかしそれを知った継母に納戸に幽閉されてしまい、さらには貧しい典薬の助の元へ嫁がされそうになるが、そこを道頼に救出され、二人は結ばれます。道頼は姫君をいじめた継母に復讐を果たし、中納言一家は道頼の庇護を得て幸福な生活を送るようになりました。しかしなった継母は、姫を寝殿造りの落窪に住まわせます。更に姫君をこき使います。姫は道頼少将(後に太政大臣)と結婚するが、これを知った継母は、典薬の助に姫を犯すようそそのかします。しかし、危ういところで道頼少将は姫を救出して自邸に迎い入れます。
落窪物語は平安中期の小説で、竹取物語は伝記小説伊勢物語は和歌物語であるのに対し、継子虐めといった社会問題を素材にドラマチックな展開は源氏物語に先行し、影響を与えた人気小説です。
『住吉物語』 四位少将が、中納言の姫に恋文を送ります。しかし継母が四位少将を欺き、姫では無くて自分の娘と結婚させてしまいます。その後も継母は、年寄りに姫を与えようと企みます。晩秋の夜姫は屋敷を出て住吉に身を隠します。夢に依って、4位少将は住吉に行き姫と再会し結婚します。4位少将は関白に栄達します。 『鉢かずき姫』(御伽草子)「鉢かずき姫」が13歳の時母が病死してしまいます。母は病床で長谷観音の夢告を視て姫に鉢を被せてしまいます。
以降、姫は継母に気味悪がれ、苛められ続きます。鉢かずき姫は亡母の墓前で「早く私は母の下に行きたい」と泣きます。継母は、「姫が墓に参って自分や殿を呪っている」と讒言します。父(殿)備中守実方は讒言を鵜呑みして姫を屋敷から追放します。追放された姫は世をはかなんで入水をしたが、鉢のおかげで溺れることなく浮き上がり、「山陰中将」という公家に助けられて、「風呂焚き」として働くことになります。中将の四男の「宰相殿御曹司」に求婚されるが、宰相の母はみすぼらしい下女との結婚に反対し、宰相の兄たちの嫁との「嫁くらべ」を行って断念させようとしました。。
ところが嫁くらべが翌日に迫った夜、鉢かづき姫の頭の鉢が外れ、姫の美しい顔が露わになりました。加えて歌を詠むのも優れ、学識も豊かで非の打ち所がありません。嫁くらべのあと、鉢かづき姫は宰相と結婚して3人の子どもに恵まれ、長谷観音に感謝しながら幸せな生活を送りました。「鉢かずき姫」は「初瀬姫」の訛りとも云われる。長谷寺功徳譚です。
【石堂丸と刈萱上人】(善光寺説教節) 平安末期、九州の筑前荘博多所に、加藤左衛門尉重氏という領主がいました。 ある春の花見のおり、自分の盃に桜の花が舞い落ちるのを見て世の中の無常を感じ、出家をして仏門に入る決心をしました。 家族には何も言わず、九州よりはるか遠い高野山にて修行に励み、周囲から刈萱上人と呼ばれるようになりました。
一方、残された家族には石堂丸と名付けられた赤子がおりました。 石堂丸は父を知らずに育ちますが、14歳になった頃父を探して遥々高野山に登ります。そこで「刈萱道心」というお坊さんに遇います。石堂丸は父親と直感して刈萱道心のお弟子さんにして貰います。しかし刈萱道心は自分が父である事は隠してしまいます。
石堂丸を心配した母の「千里」は高野山下の「玉屋」という旅籠まで来て、そこで亡くなります。石堂丸は立派な御坊様になり善光寺に入ります。
これは和歌山県橋本にある刈萱堂に祀られている石堂丸の母「千里ノ前」像以前次にブログアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%B4%A2%B3%FE%C6%B2&sk=0
【弱法師】(四天王寺説教節)
俊徳丸(しゅんとくまる)は、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物。河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。
此れは下村寒山作の「弱法師」です。寒山は三溪園の臥龍梅を視て原三渓の屋敷で描いたと云われます。国の重文
以上は総て「継子虐め」の物語でした。総て素材は平安時代ですが、良く読まれたのは中世でした。
平安時代は母系社会でした。女性は両親の家に匿われて生活します。男性は女性の家に訪問して結婚します。所謂「妻問い婚」ですから、産まれた子供は「父は誰か?」はあまり問題にされません。
男が妻に厭きて若い女性を妻にすれば継子は大量に発生します。継子は後妻に虐められる運命にあって、大きな社会問題になっていたのでしょう。そして良く読まれた中世は父系社会です。尊い先妻の子を苛める後妻は成り上がり者で醜いし,知性もありません。
古代の母系社会から中世の父系社会への変換時に「継子虐め」が多発し、中世的仏教倫理感から「継子虐め」を否定する「小説」「物語」「草紙」「説教節」が隆盛したのでしょう。「子供は可愛い」「子供は神からの授かり者」と云った心情は普遍的真理ですから「継子虐め」は何時でもどんな家庭でも許されるものではありません。
【捨て子問題】
近世飢饉が頻発するなかで「捨て子」が増えたのも致し方ない側面がありました。童謡「7つの子」にあるように、食べ物の無い家では7つの子を山に捨てたのは、7歳までは子供は神様からの預かりモノで食べ物が無いので、「山の神」にお返ししたモノでしょう。大江山酒吞童子も、足柄山の金太郎も捨て子を山姥が育てたモノでしょう。
西条八十作詞の「七つの子」は山に捨て子された子供の記憶でした。捨て子は山の神に子供をお返しする感覚ですから、苛めたりまして殺してしまうのに較べれば遥かに人道に即しています。
AUの販促でも金太郎(濱田岳)は活躍しています。
処が昨今は前段に書いたように若い父親が入って後妻ならぬ「後夫」になって、先夫との間に出来た子を折檻して殺してしまいます。母は観て見ぬ振りをしているようです。「何処かが狂ってしまった」としか言いようがありません。
最近は家族に児童虐待を防止を働きかけるより地域で児童を見守る方向に代わって来たようです。
幼児虐待による死亡数は昭和20年代より多発していたようですが、昨今は警察が把握するようになったので、マスコミを含めて厳しく監視して刑事告発される事件も増えたようです。上表によれば10万人の人口都市で0.4人も虐待死しているのですから12人/300万(横浜市人口」になります。
『2010年代少子化が進行したばかりか折角産まれた子供を親がDVで殺してしまう様になった』歴史書に記されるでしょう。「親性の喪失」はどのように解釈されるのか、心配でなりません。
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