|
2年ほど前に慶応大学の日本文化研究会のセミナーで現役学生が「扇の系譜」をレポートしました。その質疑応答で「竹櫛+和紙」の扇と「檜扇」とどちらがルーツか?」議論になりました。
私はそのセミナーでは自身の意見を整理できないで居たのでしたが,自宅に戻って百人一首の絵札を確認して、”高貴な人(皇后や中宮や斎宮)は檜扇』で、女房は紙扇で描かれている”確認しました。でも、自身納得できた訳ではありませんでした。檜扇も紙扇も女性の持ち物ですから、お洒落で使い方(仕草)こそ重要だったのでしょう。うるさ型の清少納言に「扇の使い方次第で、「すさまじきもの」にもなれば「おしとやか」にもなるのでしょう。ライバルの紫式部に言わせれば清少納言や和泉式部のように機敏で行動力のある女性の扇仕草は「すさまじきもの」で赤染衛門は「御淑やか出来品がある」と評しています。
古代女性の必須持ち物の扇でしたが、檜扇、絹張り扇、紙張里の3種類がありました。写真は按察使大納言の「中の君」が匂宮に懸想して庭先の紅梅の枝に歌を結び匂宮に発見して欲しいと歌を描いている場面。紙製の扇を放り投げて歌に夢中です。檜扇の使用は皇后や斎宮に限られていました。写真出典「石山寺昨源氏物語カレンダー」 屹度和泉式部は安っぽい扇でパタパタ煽いでいたのでしょう。 紫式部は和泉の才能は認めながらも「けしからぬかたこそあれ」と評しています。一方赤染衛門は上品な扇で淑やかに風を送っていたのでしょう。『ことにやんごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく』と評しています。
【黒川能の王祇祭り】
今年の秋は何処に行こうか?考えて居ました。
友人とは桧枝岐にいって「村歌舞伎」を観ようか?「大鹿村と桧枝岐どちらを優先しようか?」と話していました。突然に山形県鶴岡市の黒川能を想い出しました。私は学生時代十和田から路線バスに乗って玉川温泉を経て黒川に出て福島の叔父の寺に出た事があったのでした。ブナの林を出ると突然に美しい集落に出たのでしたが其処が重要無形文化財の黒川能が保存されている黒川村でした。黒川村で福島行のバスに乗り換えたのでしたが、ゆっくり観たい美しい村でした。黒川村の春日神社の「王祗祭」(無形文化財)が保存されてきているのでした。
これは鶴岡市黒川村の王祇会館で春日神社に奉納される「黒川能」です。舞手が扇を持ち扇の上に載せた能面を付けて能を舞います。扇は「三宝」のようなもので、その上に奉げられた「面」を被ることで舞人は「神」になるのでしょう。床を踏む(足拍子と云い能舞台の床下には甕が埋められていて良く響く様になっています)事で大地の神に新年の豊作を促します。お相撲さんの四股や地鎮祭と同じ意味になります。
「扇」が祭りで重要な役割を果たす例は数多くあります。有名なのは那智大社の「火祭り」です。まるで秋田の竿灯の様に扇を飾ります。
扇は神様の依り代であると同時に厄も溜まるのでしょう。その扇を焼く事で厄を除いて神に降臨して貰います。昨年大雪の中観に行った「角館の火振り神事」も同じで炭俵を焼いて振り回す事で四方八方の厄を追い散らすのでしょう。
今冬見学した角館の火振り神事、扇こそ使わないものの良く似た厄除け招福神事です。
源平合戦のハイライトは「屋島の戦い」で那須与一が舟の上の扇を射落とす場面です。命を懸けた戦いの最中に何と「遊びか!」思ったのは高校の古文の授業でした。でも扇の意味を理解すれば那須与一が扇を射落したのは平家の軍の神を射落し、源氏の軍の神が上る事を示唆していたのでしょう。少なくとも古代末期の人にとっては源氏が平家を打ち破る行く末を暗示されたと思います。
扇は手動の送風器具と云う意味だけでは無く。手を叩いて神に合図するように、扇を振って神を招いたのでしょう。扇を射落す行為は吉兆占いであったのでしょう。
そう考えると、「紙扇」より「檜扇」の方が古くて権威も在る事に納得です。「檜扇」も「三宝」も桧の素地が活かされています。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




